空は真っ青なのに吹雪いているというような不思議な天気でした。
手術室の廊下からよく見えるのです。
夕ご飯に外出したとききれいな満月が東山から昇ってきたところを見ました。空は澄み渡っていて本当にくっきりすっきりの月でした。

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昨日と今日の御大のブログエントリーがネットで話題になっています。
昨日のエントリーは「科学技術政策の底で:貯蓄型から宝くじ志向生活へ」です。

有名ジャーナルにでると、研究費がもらえる、ありきたりジャーナルにいくらだしても研究費はもらえない。これが真実かどうかではなく、そういうふうに日本の研究者の多くは考えているのです。

ぼく自身はこう考えた時期もありましたが某研究所を辞めるときにそういった考えとはきっぱりと縁を切りました。基本的には自分の興味のある事をできる範囲でするというスタンスです。今後はわかりませんが幸い今まで何とか研究を継続してくることができました。

重点領域、重点研究、などといっているうちに、国立大学の研究室ではほんらいあるべき研究が歯がぬけるように減っているのではないでしょうか。

これはそうかもしれません。特に臨床講座では格差が激しくなっていると思います。麻酔科学教室が手がけるのは生理学または薬理学の延長上にある研究テーマであり余りお金になりません。学内でも全然お金とポストが廻ってきません。

根本的には普通の研究をしてつましくても長期の研究をしたいと願う若者がどんどん減っているのです。なぜなら、そういう若者の存在をまったく日本は奨励しなくなったからです。
研究が射倖性の高い職業になってしまったのです。

くじに当たるはずれるといような次元で研究とつきあっていると「脳」を病んでしまいます。一方,医者は自分の行為が絶対的に他人の為になっているのだと確信でききる局面に遭遇できます。精神衛生上とてもよろしい。
ぼくは,臨床の片手間に研究をしているわけでもないし,研究の慰みに臨床をしているわけでもありません。ぼくにとっては両方必要なのです。
高村光太郎に「自分と詩との関係」という一文があります。こんな心境なのです。

どちらかを捨てろと言われたらそれは断然,研究を捨てますけど。

今日のエントリーは「国はうすくひろく、民間がとくべつなものを支える」です。

そして研究成果はその内容を発表内容、つまり論文で評価してほしい。どこのジャーナルに出版したかではなく、研究内容で評価してほしい。
成果を生みだす研究者と成果を評価する目利き、の両方が平等な立場で研究継続の可否を審査して欲しい。こうしてもたぶんみなが研究費を得られるわけではない。でも日本の科学技術の世界が一変するでしょう。いまのようなばくち的な雰囲気が一変するでしょう。まさに持続可能な研究世界がうまれてくるとおもいたいのです。

これは難しいですよね。国が配る研究費の審査でも公平とはほど遠い状況だと思います。「目利き」が例えば麻酔科学の分野でどれくらいいるのでしょうか。
少なくとも「どこのジャーナル」に掲載されたかではなく何回引用されたとかそのような基準を導入して審査に客観性を持たせてもらいたいと思います。そのためには5年とか10年くらいの長さが必要な場合もあると思います。例えば5年で20回引用されない論文は産業廃棄物ですし,個人的には100回の引用を目処に考えています。100回以上引用された論文は自分の中でもよい論文だと考えています。他の研究者の評価もこういったことを基準に考えています。

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これすごく面白いと思います。ぼくも似たようなことを考えていました。

Prolyl hydroxylase-dependent modulation of eukaryotic elongation factor 2 activity and protein translation in acute hypoxia.

J Biol Chem. 2012 Feb 3.

そうそう「魚は痛みを感じるか?」は面白いですよ。変な麻酔関連の雑誌に出いてる総説を読むよりよほど日常の臨床にとっての示唆を多く得ることができると思います。

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