昨日の当直はなんとか乗り切りました。歳取って日が変わるまで麻酔にガッツりつきあうと確かにキツイです。

朝起きてさっそく某申請書の登録をe-Radで始めたのですが,最後の申請書のpdf fileへの変換のステップで何度やってもこけるのです。それではとあらかじめ書類をpdfに変換してそれで試してもだめ,一昨日うまくいった別の書類でもだめ。
隣で作業していたY口さんも同じ症状に見舞われているのをみてこれはシステムの問題だろうと思った頃,やはり「こけているのだよ」との情報を共同申請者にもらったところで「時計台」からの指令が届きここで作業ストップとなりました。

その後試しにもう一回やったらなんかあっさりうまくいってしまいそれによりぼくは「一抜けた」という状態となり今年もこの作業にケリがつけられました。実際には最後の「ポチ」が終わっていないので申請自体は不完全なのですがもうこれ以上やる気はありません。


ぼくは1988年に大学を卒業してそのまま麻酔科教室に入って麻酔医としての人生を始めました。初年度の大学病院で研修を経て滋賀県守山市にある滋賀県立成人病センターに就職しました。
部長が笹井三郎先生で,その他にぼくの麻酔科同期なのですがぼくより一足先に赴任した宮崎先生もいれて4人の麻酔科でした。ぼくが「ひろちゃん」で宮崎先生が「みやちゃん」なので二人あわせて「ひろのみや」で,皇太子殿下と同い年のO東先生と云う構成に加えてE堀先生がいらっしゃいました。隣の子供病院の麻酔科にT田隊員(ホントにヒマラヤ登山とかさていました)がいて週に何回かこっちにお手伝いに来てくれていました。

笹井先生の方針には絶対に従っていました。笹井先生がすごく怖い人でそれ故従っていたと云うよりそうするのがごく自然な感じでそうしていたのです。廻りを見てみると他の麻酔科の先生方もそうしているし定期的に大学からくるアルバイトの先生方がすこし違った麻酔法をしているのを見て「これじゃダメだよと」本気で思っていました。

ぼくらは明確に「笹井流」という流派というか宗派を形成していたと思います。

たぶんイエスに付き従っていた使徒より従順に笹井先生の麻酔を実践していたのではないかと思っています。使徒とは異なりぼくは笹井先生を否認したことはありませんでした。
かくしてぼくの麻酔医としての基礎ができあがりました。

今日的な観点から見ると笹井先生の方法には批判されるべき点はあったと思いますが別にそれが何だよと思っています。

笹井先生の学校を卒業して20年以上経った今でも夜中の緊急症例の麻酔を一人で担当するときはそこら辺のエビデンスなどどうでもよいのであって笹井先生の声が命じるままに麻酔をするという体験をします。ホントに「天の声」を聴くのです。

小林秀雄の「新人Xへ」に「**確かなものは覚え込んだものにはない、強いられたものにある。強いられたものが、覚えこんだ希望に君がどれ程堪えられるかを教えてくれるのだ。**」という一説があります。(「Xへの手紙・私小説論」に収録されています)

「新人Xへ」を読み返す度にこんな事を考えます。


森口尚史氏の一件についてはˇネットでfollowしているだけですが妙な方向に向かっているようです。
この人これからどうやって生きていくのでしょうか。

小林秀雄の「匹夫不可奪志」に「**自分は悧巧だと己惚れたり、あの男は悧巧だと感心してみたりしているが、悧巧というのは馬鹿との或る関係に過ぎず、馬鹿と比べてみなければ、悧巧にはなれない。実に詰らぬ話であるが、だんだんと自分の周囲に見付かる馬鹿の人数を増やすというやり方、実に芸のないやり方だが、ただそういうやり方一つで世人はせっせと悧巧になる。**」というフレーズーがあります。

自戒しないといけないと思っています。

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