科学者のpride and prejudice

On 2014/2/1 土曜日, in anesthesia & critical care medicine, by bodyhacker

某原稿-何のことか皆さんには解らないと思いますけど-に目処がついたので書いてみます。

 

New York TimesにScientific Pride and Prejudiceと題するエッセーが掲載されていました。書いたのはMichael Suk-Young ChweさんというUCLAの研究者です。

”Pride and Prejudice”というのはもちろんJane Austenの小説のタイトルに由来します。

結論は”Understanding science as fundamentally a human process might be necessary to save science itself

科学は世間の人たちが「そうあって欲しい」と願うとか「そうあるべきだ」とか勝手に想像しているよりもっともっと”Pride and Prejudice”に満ちた科学者の営みなのだと言うこを文学評論の理論の議論から始めて最終的には科学・科学者のあり方まで広げで論じたものです。

冒頭の段落だけ引用します

SCIENCE is in crisis, just when we need it most. Two years ago, C. Glenn Begley and Lee M. Ellis reported in Nature that they were able to replicate only six out of 53 “landmark” cancer studies. Scientists now worry that many published scientific results are simply not true. The natural sciences often offer themselves as a model to other disciplines. But this time science might look for help to the humanities, and to literary criticism in particular.

 

小説”Pride and Prejudice”に

I will venture to say that my investigations and decisions are not usually influenced by my hopes or fears

というのダーシーの台詞があります。

つまりダーシー氏は、「こういったこと」があり得るのだということは認めているわけです。 実際、科学の分野でも研究は研究者自身の「hope」などに影響されます。

理想の学者はバイアスや野心を捨て去った存在であるべきかは大いに疑問です。バイアスや野心は科学者の推進力です。

ミリカンは油滴を用いた実験で電子の電荷(電気素量)を明らかにし同時に電子の質量も求めたという業績でノーベル物理学賞を受賞しました。 原理は単純な実験で高校の物理学の教科書でも取り上げられているほどです。

しかしこの実験は彼らが残した実験ノートの検討に寄れば「理論」に合致する測定結果を取捨選択していたのだという議論があります。

つまりミリカンが170あまりのデータから58例のデータを選択したことで統計誤差が小さくなるようにしたのだと。

確かに彼らの実験ノートには書き込み“Best yet — Beauty — Publish.”がハッキリと認められます。

しかし結果として彼の求めた電気素量は現在知られている値と比較して遜色のない精度で彼らの発見は科学の進歩に大きく寄与したことには間違いがないのです。

ミリカンは彼のドグマというか信念に忠実に突き進んで行ったのかもしれません。

このように科学がどうあるべきかの理論とは別に科学者はバイアスに満ちた人間であるのです。

 

 

ネイト・シルバーは著書「シグナル&ノイズ」専門家を「ハリネズミとキツネ」に分類する話を紹介しています。古代ギリシャの詩人アルキロコスの誌の一節から取った分類です。つまり「キツネはたくさんの小さなことを知っているが、ハリネズミは大きなことを一つ知っている」です。

科学者もこの二つのタイプに分類されると思います。他人がどう言おうが自分の発想・仮説に良くも悪くもとことんこだわり頑固で硬直的でしかもイデオロギー的な人とその対極にある人とにです。

基礎科学の分野ではハリネズミとキツネの役割を別々の自分が演じることが多いと思いますしそれでよいのだと思います。ハリネズミとキツネを兼ね備えたlabは強い!!

しかし臨床医学というか医療の世界ではすこし事情が異なります。 バイアスや野心の影響で医療が左右されるのはちょっとまずいし、ハリネズミみたいな人がいたらこれも問題です。自分の信念で勝算のない手術に突入したらこれは患者も付き合うぼくら麻酔科医も困ります。

ミリカンみたいに都合の悪い実験結果を抹消したり改ざんされたらこれは困りますよね。

日経ビジネスの記事に以下の様なものがあります。

実験室や臨床の現場から得られるデータは混沌としており、論文をまとめる際はそれを解析して、明らかにおかしいものは除外して考察する必要があります。変なデータが出る原因は、「大学4年生が試薬の量を3桁間違えた」から「被験者の状態が悪すぎて投薬を継続できない」までさまざまです。このようなケースは普通、「捏造」とは言われません。得られたデータを除外することは、論文に理由を記載すれば「改ざん」にはなりません。新薬の臨床試験においては、試験から脱落した患者の数を書くのは普通のことです。今回、非難の対象になっていることの、何が良くないのかを報道から理解するのは非常に難しいです。もし、1施設で実施されているプロトコールが、試験の共通のものと違うのであれば、取ったデータは考察の対象から除外し、次の被験者から合うようにすればいいのです。    

ホントにこんなのでいいのでしょうか? ぼくにはこの増田さんという人がどうしてこのように寛容なのか理解できません。

   

とにかくハリネズミが成功するとインパクトは大きいです。全てが伝説となりどんな失敗も武勇伝となります。これはこれで仕方ないというか当たり前のことでしょう。 報道もそうなりがちなのはそれで仕方ないこと側面はあると思います。逆に成功しないハリネズミは悲惨です。

 

ぼくも例の論文は読みましたが書いてあることは「それとして」理解はできますが深い意味をどこままで自分が掬えているかまったく自信はありません。理由は簡単でぼくがこの研究分野の素人だからです。というより自分の本当の専門分野以外には科学者は興味をそんなにもっているわけではないのです。Nature, Cell, Scienceには目は通すけど全ての論文を深く理解できているわけではありません。本当の専門家が読むといろんなものが見えるのだと思います。新聞記者が論文を読んでいたのか不明だし読んでいたとしてもどこまで深く理解していたかは不明です。記者会見といっても気の利いた質問はできないでしょう。

ぼくでも自分の専門分野の論文には詳細に目を通します。それこそ実験結果のきれいさなどから始まって結構多面的に検討を加えます。昔なら簡単な追試をしたりもしました。つまり主張が正しいならこんな現象が観察できるはずだとかを試すわけです。 納得できなければ他人に意見を求めることもあります。

というわけで新聞記者が発見をその意義や抱えている危うさも含めて報道することは不可能だしそもそもそんな報道は朝日新聞とか読売新聞の読者は求めていないと思います。そもそもNew York Timesと読者層が異なりますし。

 

今回の報道でぼくとして一番気になる点はNatureの査読者から言われたという「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄している」というコメントの文脈です。そもそもNatureへの投稿が査読に廻るチャンスは低いです。すごく低いといえます。

査読に廻ったという事は少なくともeditorは「これはすごい」と思ったはずなんです。 また普通の査読者ならコメントに「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄している」とは書くことはありません。またこの論文のコアの主張はストレス操作がOct4の発現に続いて多能性細胞に特有の多くの遺伝子マーカー(Sox2、 SSEA1、Nanogなど)を発現しさらにDNAのメチル化状態もリンパ球型ではなく多能性細胞に特有の型に変化していることが確認さた、ということでこれ自体どう考えても「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄している」とのコメントにつながらないのです。

もしかしたらdiscussionですごい事を書いていてそれが査読者の逆鱗に触れたのかも知れません。そしたらその内容を知りたいと思います。その歴史的な価値のある初稿を公表してもらいたいです。だれもこの点を指摘しないのはぼくには不思議です。

またNatureくらいになれば査読者の意見など無視してeditorが掲載を決める場合もあります。Natureは過去何度もそのような手法でbreakthroughをスクープしてきたわけです。なので査読者が掲載を却下したという言い方もNature, Cell, Scienceでは通用しないと思います。 ここら辺の経緯は知りたいです。

 

また2009年当時からこの発見について雑誌への投稿を始めたという事ですが他の研究室に抜かれなかったのはなぜなのでしょうか?

iPS細胞は発想自体が特別に特別で「こんなこと起こるはずはない」と皆が思っていたので逆に抜かれるということも起こらなかったと思うのですが今回は”post iPS発見”の出来事です。chemicalで誘導するiPS現象だっていくつも報告されていたのです。MUSE細胞とかもあるにはあったのだからこのような現象があっても不思議ではないと思う方が普通だと思うのですがそこら辺はどうなのでしょうか。専門家にはそこら辺を教えてもらいたいです。というかそこを解説するのが本当の解説なのではないのでしょうか?

この分野の門外漢としてはこのようなことが知りたいです。だれか教えて。

こうなると小保方さんには立花隆氏と対談してもらうしか無いのでしょうか。

 

 

この論文を読んで一番にはじめに思った事はこんなことで細胞の初期化が起こるとすればどうして個体はその恒常性を維持できるのかということです。 STAPを起こす手続きはそれなりに複雑で新聞とかで「簡単に」というほど簡単ではないとぼくは思うのですがそれはあくまでも初期化効率を上げるという文脈だからかもしれません。初期化が起こるかどうかはストレスの有無で決まるとすれば生体内でもこの程度のストレスに暴露される環境はあると思いますしストレスが複合的にかかる場合もあります。その状況下でどうして生体が自らの恒常性を維持できるのか。 生体内では起こらないのだとすれば、そこも大きな謎です。

 

割烹着とかスッポンの写真ってどこからでてきたのでしょうか?なんであんな写真があるのかが不思議です。

ぼくならちょっと引きますよどこかのラボを訪ねたらスッポンがいたら。ちょっと女子力とは違うかも知れませんというかぼくの知っている「女子力」とは違う。

ハダカデバネズミでもちょっと引きました。それでもその後懇親会で話したらこの方はこういうひとなのだと妙に納得もしましたけど。

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