20周年

On 2019/8/22 木曜日, in book, hypoxia reseacrh, Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

20周年

8/22は我が家にとって特別な日です。 20年前の8/22に留学のために一家4人で米国に向かったのがこの日。

1999/8/22は日曜日でした。

8/15で京大を休職になっていたのですが1週間日本に留まっていました。

8/16の送り火を観たかったというのも理由の一つでしたが航空券が安くなるというのも理由でした。

 

8/21にアパートを出て、病院内の研究室に出て、リュックサック(3000円くらいのMizunoのものでしたが結局10年くらい使いました)を河原町丸太町のきょねん屋で買って、午後から友人のlabでおしゃべりをして夕方銀閣寺道のアパートに帰る時、今は金沢医大にいらっしゃる加藤先生に京大の近衛のキャンパスから自動車で送ってもらったことを覚えています。

8/22の朝はすごく暑かったです。 タクシーで京都駅に向かうぼくらをアパートの下のタオル屋のおばあちゃんが見送ってくれました。 京都駅からは「はるか」で関西空港に向かいました。

ミネアポリスを経てボルチモア・ワシントン国際空港が目的地です。ユナイテッド航空を使いました。

 

ミネアポリスで米国にVISAを使って入国して早速ハンバーガーを食べました。 最終目的地BWIには夕方まだ日があるうちに到着しました。

下の子がなんとか頑張ってくれました。

BWIには一足先に留学していた今は京都医療センターにいる赤尾先生(大学院生の時に市立静岡病院でアルバイトをしていたのですがその時に内科から麻酔科ローテをしてくれていた先生です)が出迎えに来てくれていました。 アパートの鍵も受け取ってくれていて部屋のエアコンのスイッチも入って冷蔵庫にはおにぎりとお茶を用意してくれていました。一生ついて行こうと思いました。

 

そこから二年半のぼくらの米国での生活が始まりました。

臨床の仕事がないので気楽に暮らしていました。

研究室には7:30には入り(何曜日か忘れましたが麻酔科のgroud roundがある日は6:30には大学に出てセミナーとか聞いていました。ぼくは麻酔科に留学していたのではないのですが大きな講堂でやっていた誰でも聴講できました)16時前にはlabを出る生活(夏時間の時はそれから一家でサイクリングに出かけたりしていました)で基本的には土曜日、日曜日は研究室に行きませんでしたが研究は進んでいました。臨床をしないとぼくでもこれくらいはできるんだと思ったのが最大の収穫でした。

ちょっと記念に書いてみました。


ザ・フォーミュラ

ザ・フォーミュラ 科学が解き明かした「成功の普遍的法則」を読みました。

今度時間があったら何か書いてみます。

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