論文は一種の宣伝または広告

研究上の不正に関わる報道やうわさが絶えません。

基礎研究だけでなく患者への処方薬の薬効についての臨床研究でも不正が取りざたされています。

いろんな雑誌でいつも取り上げられるのは日本のある麻酔科医が行ったとされる「不正」です。(参照 この場合は研究自体が行われなかったという可能性も高く実際上はこの行為によって何らかの被害を被った患者がいなかったか極端に少なかったと考えられますが-論文の影響力が極端に低かったから-最近報道されている降圧薬の薬効についての問題は処方されている患者さんの数を考えれば大きな問題だと思います。ちょっとびっくりします。

お金とか名誉とかいろいろとこのような不正の動機を説明する要素はあると思いますが個別の事例でホントはどうなのかは本人しか知り得ないことであるとは思います。でも最近はどう考えても集団で不正を行っているような場合もあって少なくともぼくには理解不可能です。よほど結束が固い研究チームなのでしょうか。

ところで日本麻酔科学会ってすごく「やさしい」学会だって知っていましたか? 本人が認めた不正をなぜか有ったこととして認定しないというやさしい学会なんですよ。 (参照) 国が適当に作ったガイドラインがどうあれ捏造は捏造だと思うのですがどこまでおめでたい人たちなんでしょうか。

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今日は別の観点から研究とその成果を考えて見たいと思います。

きっかけはあるtweetです。

“Journal of Biochemical Chemistry” (JBC) の左下隅の脚注の場所には以前

The costs of publication of this article were defrayed in part by the payment of page charges. This article must therefore be hereby marked “advertisement” in accordance with 18 U.S.C. Section 1734 solely to indicate this fact.

このような文言が記してありました。(最近のものにはこの文言は入っていないようです)

言葉通りに解釈すると出版費用がpage chargeで賄われているのでこの論文は18 U.S.C. Section 1734で規定されている一種の「広告」または「宣伝」なのだよと

ということです。

 

ちなみに 18 U.S.C. Section 1734って以下の通りです。

Editorials and other matter as “advertisements” Whoever, being an editor or publisher, prints in a publication entered as second class mail, editorial or other reading matter for which he has been paid or promised a valuable consideration, without plainly marking the same “advertisement” shall be fined under this title.

 

論文って一種の「意見広告」なんですよ。 こう考えると論文ってどう扱うべきか見えてくるような気がします。

 

  • 論文は真理とか真実を記したつもりでも「意見広告」

    論文で書いてあるからといってそれは限定された条件下でしか成り立たない場合がある。 ある一つの論文の主張を鵜呑みにしたら危ないと言うことです。あくまでも自分たちが観察したことをまとめて意見として表明しただけです。

  • 意見がコンセンサスになるには時間がかかる

    世紀の大発見でも皆に認めてもらうまではただの「一つの意見」にしか過ぎないのです。新聞やテレビが背景をすっ飛ばしてある発見である疾患の根本的な治療法が見つかるかも知れないという言い方をよくしますが、可能性を述べたという意味では間違っていないかも知れないけど風が吹けば桶屋が儲かるという程度の意味合いの場合もある。

    「意見広告」で述べた意見が少なくとも専門家の間でコンセンサスになったということはどうやってわかるのでしょうか? そのようなコンセンサスに昇格した意見はほどなくして他人の論文に引用されます。その論文の引用回数を調べればある程度のことはわかるかも知れません。

  • 意見広告なのだから都合の悪いことは隠しているかも知れない

    ある実験を行いました。実験者はその実験に習熟していなかったので何度かの予備実験を行いました。ある場合には自分たちの思うような結果が得られたけど何度かは思うような結果どころが正反対の結果しか得られませんでした。その後「本実験」ということになり実験を行った結果結局4勝2敗の結果でした。

    さてこの実験者はこの結果をどう扱うべきなのでしょうか? 定性的な実験と定量的な実験では扱いは異なるかも知れません。ポジコン・ネガコンは動いているという前提があるとないとでは事情は異なるでしょう。また「意見」の構成上の必要度にも寄ります。

    さて面倒な事には眼をつぶってやり過ごしこの実験を省いても「意見」が「成り立つ」と思い論文を作成して投稿したところreviewerに追加実験を命じられました。 凍結している細胞を起し直して実験に再度取り組んだところ今度は0勝6敗となりました。要するにいかようにも実験結果の再現ができなくなってしまったのです。細胞はATCCから取り寄せ直し試薬も全部新しくしたのに… さてこのような場合に研究者はどうすべきなのでしょうか。

    この研究は筋が悪いのでもう止めちゃうというのは普通の人の取る道ですが,再現性には眼をつぶり別の雑誌に投稿するという方法をとる人もいるでしょう。

    たぶんバレませんよね。学位くらいこれで取っちゃうかも知れません。

  • 広告されてる意見が「正しく」ともそれにいたる手続きには瑕疵があるかもしれない

    論文は意見広告でありその意見が妥当であっても論文の細部に渡っても不適切な点が皆無であるとは限りません。ここまでくるとどうしようもありませんね。諦めましょう。

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    このような低レベルな話は「一流」研究者では起こらないと思っていたらどうもそうではないようです。「一流」研究者でも実験結果の流用をしてしまう,また統計的な解析が満足にできないという場合がある事はすでに明らかになっています。

     

連休に”Erasing Death: The Science That Is Rewriting the Boundaries Between Life and Death“という本を読み始めました。 ちょっとびっくりするような内容なのですがまた全部読んだら何か書いてみようと思います。

某学会もこういう面白いネタをもっと扱ったらいいんですよ。毎年「意識」がどうのこうのとかやっていても埒があきませんよ。

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