コンタミ

On 2014/8/6 水曜日, in hypoxia reseacrh, by bodyhacker

明日計画していたFACS解析でここしばらく続けいた実験に一区切りと考えて、幹細胞を専門にしている同級生の佐々木先生に解析を一緒にしてもらうように依頼もしてさて薬剤処理と思ってincubatorから細胞を出すとバクテリアがコンタミしていました。 今日は研究室に泊まって明日に備えようと思っていたのですがふて腐れて帰宅することにしました。

最近ほとんど実験を失敗しないようになっていたのに…

ましてコンタミとは。

仕方ありません。


昨日の訃報で2006年に書いたブログエントリーを思い出しました。 再録しておきます。


—再録はじまり

月田さんと梅園さん

月田承一郎先生が亡くなりネットでもいろんな方が思い出を語ったり先生の業績、人となりを語ると言うことがあります。
私たちの医学部の同窓会は芝蘭会と言いますが、会報が定期的に発行されています。昨日一番新しいものが郵送されてきました。古瀬さんが月田先生への追悼文を執筆なさっておられました。とても良い文章で長い間一緒に研究を進めてこられた人ならではの文章だと思いました。
「小さな小さなクローディン発見物語―若い研究者へ遺すメッセージ」も出版されました。科学を志す若い人たちは読んだ方がいいと思います。

月田先生とはぼくは個人的にはつながりは無かったですが、こういったときにいつも思い出すのは41歳で亡くなられた梅園和彦先生のことです。

梅園さんがSalkから奈良先端大学院大学に移られてまもなく、当時進めていた研究の相談に奈良先に上がったことがあります。時間をかけてぼくの話を聞いてくださり研究のアドバイスを頂きplasmidなども分けて頂きました。結局その仕事で論文がまとまり学位を取得することができました。

ぼくは人の意見を聞かない人間で初めての論文が出るのに大学院の4年では足りず5年ほどかかりました。そこでまた半年以上ほっておいたので学位の取得にはさらに一年近くの時間がかかりました。学位の公聴会の日は長野オリンピックで清水選手が金メダルをとった日であったということはいまでも記憶しています。1997年のその論文はぼくの書いたすべての論文の中でいまだに引用回数が一番を更新中です。留学の時に頂いた奨学金などもどう考えてもその論文のおかげだとしか思えません。

梅園さんがウイルス研に移られてからも何度か酒席をご一緒させて頂いたこともありアイデアの柔軟さにいつも驚かされました。

その体験以来アイデアを実現する実験系をどう構築すべきか、何かを証明するためにはどういった実験をすべきかということを意識するようになり、こういったプロセスを楽しむことがぼくのサイエンスの方法論となりました。


梅園体験はぼくにとって空前絶後のもので、ぼくにとって身近に存在した最高の科学者でした。いままでふらふらと研究を続けてこられたのも梅園さんの存在無くしてはあり得ないと思っています。

googleで検索してみましたが梅園さんの思い出などを語ったページはあまり見あたりませんでした。ぼくが一つは書いておく意味があると思いました。

奈良先端科学技術大学院大学 バイオサイエンス研究科には梅園賞というのがあるそうです。

–再録お終い


笹井さんは京都大学の医学部を1986年に卒業されましたがぼくは1988年の卒業です。

京都大学の医学部は、京都大学の理系では合格最低点が一番高く入るのがむずかしいと一般には考えられています。いわゆる「頭のよい」といわれる人がたくさん入学してそこら中にいます。しかしーというかだからこそかもしれませんがー皆が皆研究者になるわけではないしさらにその中で大成できる(文字通りの意味です)人はごく僅かです。笹井さんはその数少ない同窓生の一人でした。

彼の達成した事共は、iPS細胞の発明に劣るどころかぼくの考えでは基礎生物学への貢献という意味では凌駕しています。

誰がどこの大学を出たとかをあまり重要視したくありませんが彼と同窓であるということが誇らしいと思う人物の一人でした。

こんな事になり残念です。

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