地震

仲のよい友人一家が熊本で被災したのですがいろいろ様子を聞くと報道では解りにくい事が多々ありますね。 屋内に留まったままだと怖いので屋外の駐車場なので一晩を過ごしたと友人も書いてきていました。

友人は自動車をもっていないので移動に大きな障害があったようです。

加えてスマホ、携帯の電源問題。これは大きい。

 

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研究室のalumniの re-union

米国から2002年の2月に帰ってきて産業技術総合研究所の主任研究員にしてもらい大阪府池田市のキャンパスで研究活動をはじめました。

4月から京大の麻酔科から院生が来てくれてその後も人が増えて結局は院生5人とぼくの6人で研究単位を形成することになりました。 途中で産業技術総合研究所をぼくが辞めたので研究の場を大阪市内の北野病院に移しました。 -どう考えてもこれは病院だと思っている人がほとんどなのですがこの病院は田附興風会医学研究所 北野病院というのが正式な名前で歴とした研究機関なのです。学振の科研費も取れますし、日本育英会の奨学金の免除職としてカウントもしてくれます-

それから2005年にぼくが京大に移動するまでの3年間ぼくと一緒に研究活動を続けてくれた研究室のメンバーと土曜日にre-unionを果たしました。

椎間板ヘルニアの手術を受けたばかりのメンバーも含めて全員ーといっても6人ですけどー集合でした。

一人一人の先生方とは出会ったりしたこともあったのですが-一人の先生は今でも同僚として今日も一緒に当直していますー6人一緒でというのは初めてでした。

ぼくがすっかり忘れていたいろんなエピソードを皆がよく覚えていてぼくとしてはちょっと恥ずかしかったです。米国から帰ってきたばかりでぼくも大分気負っていたのだと思います。今から思うと結構な酷い罵倒などもしてしまったと思っていてほんと穴があったら入りたい気分です。しかし、「自尊心など捨ててしまわないといけません。そのために人間は学問をするのです」よ。

 

この三年間はぼくの研究履歴でも最高の三年間だったと思っています。

自分では重要だと思っているいくつかの発見を論文にできましたし「皆で一緒にscienceをしている」という感覚をこの時期ほど持ったことはありませんでした。

 

また北野病院という市中病院でも自分達で知恵を絞り、またサポートしてくれる体制さえあれば旧帝大系の大学病院でもなしえなかった研究が可能となるのだということを身をもって体験したことになりぼくのその後の研究室の運営の考え方を規定する重要な期間でした。ぼくは麻酔科に属するタダの医局員で基本毎日手術室にいましたが部長の足立先生のサポートで研究室の運営ができていました。

 

昨日もメンバーの一人が話していたのですが、何か高価な機械があるからこれを使おうという方向性でなく何かを証明するためにはこの細胞を用いてこのような実験を行ってこのような結果を出す必要があるという方向性で研究を進めることができた期間でもありました。

研究費の調達も含めて、研究なんてやる気と少しの知恵があればどこでもできるのです。できないのは知恵がないからなのです。

 

という訳でこのre-unionとっても愉しい5時間でした。

 

またやりましょう。

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今日は当直です。

朝から緊急手術がいままでなく朝から結構捗りました。

今週中にrevisionの作業は終えます!!【業務連絡】

 

 【追記】

と思っていたら深夜にかけてよばれました。 

またエントリーの最初のversionで年代をまるまる10年間違っていたので訂正しました 

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