枚方周辺は晴れ上がり春の予感さえ漂うという日和となっています。

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昨日は日当直だったのですが4年目専攻医くん(カーリングのルールを知らない) と一緒だったので文字通り「大船」に乗っていたのですが深夜にかけて…

今日は麻酔科5週間配属の学生くん・さんといよいよ実験に突入しました。是非とも論文を書いてもらって理事長賞-そういうのがあるかどうかしりませんけど-を狙いたいです。


以前にも書きましたが電車通勤をしています。 毎日ほぼ決まった時間に決まった車両の決まった席に座っています。朝の時間帯-といっても5時台-では決まった面子が決まった席に座っているわけです。

地下鉄御堂筋線で電車の出発ぎりぎりに走って乗り込んでくる男の人がいます。 mont-bellのパーカーを着た「モンベルおじさん」です。

このおじさん淀屋橋で下りて走って改札を抜けて京阪線に向かいます。おそらく6:30発の準急に乗っているのだと思います。ぼくは小走りには移動しますがねらいは6:40発の特急なので走ったりはしません。

一方、朝毎出会う人に帰宅時に遭遇することは稀です。しかしぼくはモンベルおじさんに帰宅時に準急内で出会ったことがあります。 その時はスーツを着ていました。何をされているのかすごく興味を持っています。

 

御堂筋線にはもう一人の常連がいます。「Mr. anothor マシモ」です。 某大学の麻酔科の前の教授の先生にそっくりなのです。 一度某大学の皆さんに見てもらいたいものだと思っています。

 

この二人の他に、京阪電車で毎朝出会う名物女子高生がいます。 この子は電車に乗り込むなり食べ始めます-立っていても座っていてもです-。パンの次はおにぎり(おむすび)といった感じでばくばくと小気味よいほど食べます。かといって太っているわけではなく普通というよりはすこしやせ気味です。枚方市駅では降りません。

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朝日が水面に反射して枚方大橋を下から照らし出しています

先週に続き今週も関東以北の地方は大雪だったようです。 天災という意味では地震と変わるところはないと思います。

このような記録的な気象は異常なのでしょうか? 地球温暖化の一種の表現型なのでしょうか? New Yorkerにおもしろいエッセーが出ています。 “HOT HEADS IN COLD WEATHER”

書いたのは「シャーロック・ホームズの思考術」の著者MARIA KONNIKOVA女史です。彼女はNew Yorkerへの常連寄稿者の一人なんですね。

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ほんの数日前の本校

新聞報道によればあの世紀の大発見を報告した論文に「不自然な画像」が存在して理研がすでに調査を開始したという由。(参照1, 参照2)

ネットでも大騒ぎとなっています。

 

一般的に「画像」と「結論」の関係では以下の4つが個々の論文毎に可能性として存在します。

  1. 画像に問題が無く結論にも問題が無い
  2. 画像に問題はあるが結論には問題が無い
  3. 画像に問題は無いが結論には問題がある
  4. 画像に問題があるし結論にも問題がある

よく引き合いに出る東京大学での一連の研究不正をめぐる出来事には衝撃を受けました

加藤博士のような「一流」の科学者の研究室で「そんなことが」という驚きです。 その後東京大学の調査結果の中間報告も出て,結果としてかなり多くの論文がretractionとなったようです。 しかしこれら論文の「結論」が間違っていたのかどうかは不明です。

しかし実際に論文のretractionに同意しなかった著者もいるようです。この人たちは少なくとも論文の「結論に自信」を持っているのかもしれません。

今回、理研は「現時点では研究成果は揺るぎないと判断しているが、外部から指摘があったため調査を始めた」とのことです。

何をもって「研究成果」というのか不明ですがこういう説明はこういう場合に常になされます。

 

加藤博士は論文の「結論」の妥当性の議論は無しに東大の調査結果の発表前に辞職しました。つまり2.4.かの決着が着く前というよりその検証は無しに辞職したのです。 つまり辞職の時点では、「形式的な問題」についての責任を取っての辞職です。

 

通常科学論文では「結論」の正しさは「手続き」の正しさに担保されていると考えられています。また査読も提示されたデータが正しく提示されていることを前提として行われます。提示したデータは「不適切」だったけど「結論」は「正しい」というのは本来は妙な言い方です。

今回の調査結果の如何によっては少なくとも日本では「形式的な瑕疵はこれが偶然とはいえない場合であっても結論の正当性によって乗り越えられる」ということを日本で有数の研究機関が認めることになるのかも知れません-もちろん、よい方向にも悪い方向にもそうならない可能性もあります-。「加藤問題」では東京大学は少なくとも公式にはこれ(つまり「形式的な瑕疵はこれが偶然とはいえない場合であっても結論の正当性によって乗り越えられる」)を否定したとぼくは捉えています。

今回の騒動が問うているのは今現在ではこの問題なのだとぼくは思っています。 STAP細胞の再現性については今後の当事者や他の研究者による検証の結果によるわけですから論文内では解決のつかない問題です。また実際に手を動かしていない人間には発言の余地は限られています。

 

以上のことから今回の一件についての理研の発表にはすごく興味があります。

 

クマムシ博士こと堀川大樹さんが自身のブログで以下の様に書いています。

ある研究者が大きな発見の報告をし、国民の多くがその人を称賛するようになると、その研究者による研究報告の内容について議論すること自体が難しくなります。少しでも研究結果の疑義について論じれば、人々から非国民扱いを受けて個人攻撃を受けることがあります。そのような人々は、科学研究の作法について知らないのです。10年ほど前に、韓国ではこのような状況が起こりました。

ほとんどの研究者が疑念を持つようなデータがそこにあったとしても、世間にこのような雰囲気が形成されてくると、ブログなど公の場で自分の意見を述べる研究者は少なくなります。

 

確かにネットでの白熱に較べると「表」での発言は極端にすくないですね。 

ネットで指摘されている「問題点」は言われてみればぼくでも簡単に検証できました。 このような「世紀の発見」と言われる現象の報告の論文でこういうものを見るともう何も信じられなくなります。 Natureの論文は”H.O. and Y.S. wrote the manuscript”ということでお二人とも理研の職員で今回の場合、理研の調査の対象論文は少ない-二つだけ-のですから調査はあっという間に終わるはずです。

 

ただ東大の一連の問題でも今回も「人が死んでいる」わけではありません。 これが医療の世界だと医療行為の後に人が死んだりすると医者は逮捕されて裁判にかけられる可能性が実際にあるわけです。 この場合には「ベストを尽くしました」などという言い訳は通用しない場合がありますし「ついちょっと気を抜いて」などという世迷い言は徹夜明けであっても許されず、「医学の限界を超え」ているというような弁解も無視されてしまう場合があります。

 

そういえばこの前査読した論文でやっぱりレーン毎に切り貼りしたものがあったので指摘しました。トーンを変えると解るとかのレベルでは無く一目見て解るレベルで著者は何の罪の意識もないのだと思います。reviewの結果はどうなったのか今現在連絡はありません。

 

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