PLoS OneとPeerJに立て続けに論文がアクセプトされて一息つきました。 いくつかばらまいてあるものが年内に何とかなることを祈っています。

最近は広く皆に読んでもらえるならどの雑誌でもいいという程度の「悟り」というか「諦観」を身につけました。 やりたいことを自分の身の丈で継続できるという環境は素晴らしいと思っています。

 

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こういうon-line journalは分量の制約がゆるいまたはないのでいっぱいデータを持っている場合全部突っ込めるのですごくありがたいです。

PeerJは始まったばかりですがPLoS Oneに至っては日本ではこれでプレスリリースを行う研究者や新聞が取り上げたりもして実際にあのImpact Factorも予想に反して結構高めとなってきています。 さまざまなMetricのtoolもあって自分たちの論文がどれくらいの反響があるのかもある程度リアルタイムにつかむことができて大変助かっています。

未来永劫とはいえないけどここ数年の流れになっていくと思っています。

 

雑誌の従来の「権威」で個々の論文の信憑性が担保されるというような考えは昨今の状況を考慮すればすでにタダの「幻想」となっていると思います。基礎的な論文であっても臨床の論文のようなmeta-analysis的なものをかいくぐって初めて真正性が認められるというような時代がやってくると思います。

論文の追試というのは大それた論文であればあるほど世界中で一斉に始まります。製薬会社などには追試を専門にしている部署があるのではないでしょうか。”Science”誌のエッセイによれば追試できない結果を含んだ論文というのはいわゆる一流誌でもすごい数あるようです。(参照)

柳田先生はブログでこのような辛辣な意見を述べておられます。(参照

論文投稿の研究室が高い名声と信用を勝ち得ていると,論文データ中に捏造データがあるなどと思えないものです。最初から疑いの眼でみることはまずありえません。しかしご承知のとおり夢にも思わなかったような人々が捏造データ作成に手を染めていることがいまやはっきりしてくると、この阪急のケースなども同根の病から生じたものではないか、と思いたくなるのです。

まず関西でいうええかっこし、これが行きつくところまでいくと,内容がない癖にいい方で相手を信用させ騙す。見かけがなによりも大切。つまりNCSとかいう頭文字の雑誌の論文があれば見かけは最高になる、だから生きる目的のすべてがそこに向かう。 次ぎにおかしいことがばれたら、誤りであったと言い抜ける。相手をあざむく気はまったくなかったと言い張る。悪気はまったくなかったし、こういう表現がいけないと言うことも気づかなかった。いつもはとかなんべんかはちゃんとしたものを提供しました、などといいぬける。これも研究の世界ではすぐ使えそうな気がします。

捏造研究の現場も日本は国内トップの研究費の非常に潤沢なところで横行しているのですから、なにか同根の問題があるのでしょう。

つまり国内トップといってもたいしたものではないというところでしょうか。

表面を飾り立てることにきゅうきゅうとしている職場の雰囲気がたぶん同根なのでしょう。

 

こんなことならいっそ査読なんて要らないといことにならんかなと思ってしまいます。 

そもそも研究成果の発表の手段は査読付きの論文として発表するだけに限定された訳ではありません。

数学や物理学にはpreprintを収録するarchiveが存在します。 例えば”arxiv“。 形式上の一定の基準を満たせば査読無しに収録してくれます。 研究者が自由にアクセスできます。

ロシア人数学者グリゴリー・ペレルマンはポアンカレ予想を証明したと主張する論文をプレプリント投稿サイトとして著名なarXivに投稿しその後の検討でこの主張は正しいつまりポアンカレ予想は彼によって証明されたと考えられるようになっています。

すごく健全だと思うのですがどうでしょうか。

 

生物学の領域ではいままでこのようなpreprint serverはなかったのですがPeerJのpreprint serverやCold Spring Harbor Laboratoryが運営する”bioRxiv“などが稼働し始めました。

bioRxiv (pronounced “bio-archive”) is a free online archive and distribution service for unpublished preprints in the life sciences.

Articles are not peer-reviewed, edited, or typeset before being posted online. However, all articles undergo a basic screening process for offensive and/or non-scientific content. No endorsement of an article’s methods, assumptions, conclusions, or scientific quality by Cold Spring Harbor Laboratory is implied by its appearance in bioRxiv. An article may be posted prior to, or concurrently with, submission to a journal but should not be posted if it has already been published.

以上の様な条件があります。つまり、preprint serverに託しておいた研究を査読誌に投稿するというようなことも条件付きでは可能の様です。

Many research journals, including all Cold Spring Harbor Laboratory Press titles (Genome Research, Genes & Development, and Learning & Memory), EMBO Journal, Nature journals, Science, eLife, and all PLOS journals allow posting on preprint servers such as bioRxiv prior to publication.

こう書いてありますから早晩ほとんど全ての査読誌はこういった方向性を受け容れることになるのだと思います。

逆に特徴の無い査読誌は消えてしまうと思います。存在意義がなくなりますよね。

今後どうなっていくか関心があります。

 

PeerJのpreprint serverは臨床医学の症例報告も収録してくれます。実はすでにぼくの分も上げてあります。

症例報告なんて別に査読を受けなくともどんどんこういったpreprint serverに投稿して世界中の人に自由に読んでもらえる方がいいと思います。

こんな症例報告を業績にするつもりもないのですが煩雑なやりとりを強いられたり字数制限を考慮したりするのはこりごりです。

 

以前に書いたことがありますがそもそも論文って「意見広告」なんですよ。 (参照)

査読といっても数人多くの場合は二人くらいの研究者が読むだけです。現在の査読システムには問題が多すぎるのです。 (参照:”Are We Refereeing Ourselves to Death? The Peer-Review System at Its Limit“)

 

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昨日の帰宅時に「キレイゴトぬきの農業論」という本を読みました。 脱サラして農園の経営に飛び込んだ久松達央さんが著者です。

調べてみるといくつかの書評がすでに出ているようです。 例えばここではとてもうまくこの本が紹介されています。

これを医療の世界に適応してみてもなかなか面白い示唆が得られると思います。 普通の医療の世界に「天才」とか「神の手」みたいな人は本来必要ありませんというよりこういう人がいるとたぶんとても迷惑する場合もあります。 医療は普通の人間が普通の論理に従って普通に行う事がもっともうまくいくための方策なのだと思っています。

先日医学部の学生くんと研修医くんと25年前の麻酔について話していました。

ぼくが麻酔を始めた頃はpulse oximeterは何でも自由に買ってもらえるK大病院でも一台くらいしか存在せず、人工呼吸が内蔵された麻酔器も数台しかありませんでした。自動血圧計なんて便利なものもありませんでした。

仕方ないので10時間でも手動で人工呼吸をしながら5分おきに手動で血圧を測定するといく局面が何度もありました。なので麻酔中に居眠りなどできません。

もちろん一人で二つの麻酔を掛け持ちするということはこの体制では原理的に不可能だったのです。

今は違います。

 

医療の分野は「キレイごと」抜きで考えるともっと良くなる分野だと思います。

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