よい「査読」を行うために

On 2013/8/23 金曜日, in Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

他の人がどのように論文を作成しているかには興味があります。

自分の方法論はある程度確立しているとは思っているのですがより効率的な方法があれば「まね」したいといつも思っています。 指南書は書店でも何冊も並んでいますしamazonでもすごい数見つかります。

読んでみると当たり前の事が書いてあることも多いのですがそれでも通読すればいくつか教訓的なことは学ぶことができます。

このような指南書は大きく二系統に分類できます。

一つは,科学論文とはかくあるべきでありその為に論文はこういう風に書いていくのだという事に重点をおくもの。 もう一つは、内容より技術的なことに重点を置いたものです。

前者については研究分野が異なるとほとんどまったく役に立たなくなることがあるのですが後者はどんな分野であっても他人の”hack”を見せてもらったという感じで満足できる場合が多いように思えます。

後者の代表は、梅棹 忠夫 さんの「知的生産の技術」でしょう。 1969年に出版された岩波新書の一冊ですが今日性は十分あります。「知的生産」という言葉がクールです。先日,本を整理していたら出てきたので読み返しました。

諏訪邦夫先生の「医科学者のための知的活動の技法」も後者の代表の一冊です。 いわゆる座右の書-文字通り机の上に30冊くらい積んである本と云う意味です-です。 技術論なのですが不思議と今日性を失いません。

逆にこう書く「べき」系の本は時間が経つと古くさい感じがしてきます。

先日,紀伊國屋で二冊の本を立ち読みしました。

基礎から学ぶ楽しい学会発表・論文執筆」 「査読者が教える 採用される医学論文の書き方

いくつか「論文を仕上げて投稿して」のサイクルを繰り返していけば自分の方法論は確立されていくのだと思いますが初めての人はこういった指南書にあたってだまされたつもりでやってみるのも手だと思います。 でもこういった指南書を自分一人で読んで論文の投稿をおこなわないといけないような環境にいるとすればそれは不幸なことかも知れません。

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紀伊國屋で

ビジュアル図解 科研費のしくみと獲得法がわかる: 応募の方法から、申請書の書き方・仕上げ方まで

科研費獲得の方法とコツ 改訂第3版~実例とポイントでわかる申請書の書き方と応募戦略

を見かけました。

後者はすでに改訂第3版ということで相当売れているようです。

目を通してみましたが始めて科学研究費申請をする人には大変役立つと思います。

申請書も書いて採択されるという過程を繰り返していると勘所が解ってくるという側面はありますがこういった本を参照して時々自分の方法論を批判的に振り返るのは悪い事ではありませんし無駄にはならないと思います。科研費のシステムには大きな問題があると思っていますが,現行の「ゲームのルール」には従う必要がありそのルールの理解にはこういった指南書が有用です。

 

科学研究費は研究機関に3割の間接経費が入ります。そう大きくない大学でも年間総額5億円だとすれば一億5千万円の間接経費が入ることになります。専任の職員を複数雇っても十分おつりが来ることになります。各大学でシニアな研究者が申請の全てに目を通して添削するなど行ったりしているようです。大学のサポートを受けることができやすい環境は整ってきています。

論文執筆でも科学研究費でもそれでは著者がどれくらい論文を発表しているのかとか科学研究費を獲得しているのかというのは重要な情報だと思います。いまはそれを簡単に検索できてしまいます。内容は優れていても…という指南書はいくらでもあります。今回紹介した4冊でも様々ですね。


あるtweetがきっかけで「査読のためのガイド」を読みました。

査読の仕方を学ぶ機会はそう多くありません。自分が投稿して査読者のコメントを読む。そのやりとりを通じて査読コメントの書き方などを学んでいくのだと思いますが大学院を終わって直ぐくらいであれば年間に10回もやりとりするという研究者は多くなくそれ故学ぶ機会も増えません。雑誌によっては最終的に採択された論文についてそれまでのやりとりを公開しているものがあります。参考にはなると思いますがちょっと怖いですね。

さてガイドラインです。 英国生態学会が発行するいくつかの雑誌に投稿されてた論文の査読者に向けて発行したガイドラインです。

最後の方にFAQがいくつか出ていました。

  1. How does an editor make a decision?
  2. Why has the editor disagreed with my evaluation?
  3. Is reviewing a revision different to reviewing the original submission?
  4. Do reviewers need to know whether an article will be published open access?
  5. Can I pass a review request on to one of my students?
  6. Can I review with my supervisor?
  7. Can I ask for advice on a review?
  8. What do I need to know about data archiving?
  9. Do I need to know whether data will be archived?
  10. What do I do with supporting information or supplementary files?
  11. Is reviewing for an open access journal different to reviewing for a subscription journal?
  12. Should I apply different standards when reviewing for different journals?
  13. How much time should I spend on a review?
  14. Do I need to correct the language in an article?
  15. How different should the confidential comments to the editor be from the comments that the authors will see?
  16. What should I do if I have already reviewed the same article for a different journal?

5番、12番、13番の質問に興味を引かれました。

いろんな考えがありますが自分が承けた査読は自分でやるとぼくは決めています。大学院生などに外注したりはしたことはありません。自分達の論文が院生などに査読されていたとしたらそれは悪夢だと思います。分量は多い月で4篇,少なければ1篇くらいでしょうか。今まで何とかしてきました。

雑誌にはやっぱり「格」があると思います。それを考慮せずガチのコメントを書いてみても意味は無いと思っていますが公式にはこういう査読には問題はあるのでしょうか。

査読にどれくらいの時間をかけるかというのは結構重要な問題です。そもそも一篇の論文の査読をするのに文献検索をして基本論文を読み込んで一から勉強をしないといけないとすればそれは自分がその分野の「専門家」では無いということを意味するのだと思います。査読を断った方が良いかもしれません。

赤ペンを持ってまず一回読んで問題点などを書き出して二回目を読んでコメントをまとめていくとどんなに短い論文でも-case reportなどは除く- ぼくの場合はやっぱり3時間くらい掛かってしまいます。その他に英語でコメントを書かないといけないという問題もあります。英語が余りにへたくそだと日本人が書いたコメントだと丸わかりになるのがいやで校正に結構時間を使ってしまします。 もう亡くなった師匠は査読コメントを英文校正してもらっていたそうです。


水曜日に中之島で開かれた 大阪大学社会経済研究所 第10回行動経済学研究センターシンポジウム 『医療現場と行動経済学』(参照)

小説家の久坂部 羊 さんが話しているのを直接聞くことができて満足です。

内容は,カーネマンの「ファスト&スロー: あなたの意思はどのように決まるか?」をネタ本としたものでしたがそれに「おもしろく」話すという観点が加わっていたと思います。

平日の夕方にも関わらずホールは聴衆でいっぱいでした。平均年齢は高く要するに暇な人が集まっていたのだと思います。かくいうぼくも暇だったので参加できたわけです。皆さんよい聴衆で医者の集まりでは確実に滑るだろうなと云うネタにも大きな反応が何度もありました。

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Nature Medicineに

Vessel architectural imaging identifies cancer patient responders to anti-angiogenic therapy“と題する論文が出てました。

これは面白いです。

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こんなtweetがありました。(参照

他学部の博士号がどのようなものかよくわかっていないのですがtweetには一面の真理があると思います。

初期臨床研修が終わった時点で医学博士号を出したらいいのではないかと思っています。法科大学院を終えると「法務博士(専門職)」の称号を与えられるのだそうです。医学も「医療博士(専門職)」を出してこの時点でMDと名乗ってもよいし名刺には「医博」と書いてもよいようにするのです。博士号のために無理矢理大学院に入ったりする必要がなくなるし、グレイな論文博士を産み出すこともなくなります。 昔の医者は博士号を持っている人が多いと思いますが最近は持っていない人もたくさんいます。新しく医者になるひとが全員「医博」になると持っていない人が損をするような気になるかも知れませんが仕方ありません。

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この3年9ヶ月くらいに渡ってぼくと一緒に研究を続けていた甲斐さんの博士号のための講演会が今日開かれました。

今回は三回程度の予行演習で今日の本番を迎えました。初回の予行ではどうなることかと思いましたが今日は細かい点まで突き詰めると「間違った」ことも結構話していましたが大きな問題にならなかったのは幸いでした。

早口でしゃべりすぎていかにも暗記した内容をはき出しているような感じもありましたがこれについてはこれ以上は言いません。

審査員は,野田 亮 先生,長田重一 先生,武田俊一 先生の超重量級です。この三方級の先生を至近距離に置き講演できる機会などこれから一生訪れないと思います。麻酔科の子羊を料理するのに何故にこのような牛刀クラスの先生方が降臨したのかは今もって不明です。

ぼくへの新手の嫌がらせかもしれません。

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講演が終わりいきなり長田さんの厳しい質問が来て質問の意図を少し誤解した受け答えをしている間に長田さんが軌道修正をしてくれて噛み合いました。野田先生は素朴な疑問の振りをして実は「おまえはちゃんと解っているのかい?」というような質問を繰り出してこられてここらへんから完全に防戦に廻ることになりました。その後,長田ー野田で数ラウンド廻り一時は「なんてこと言うんだろうこの人は」と思わせる局面を経てなぜか最期の方では議論が噛み合ってきて長田ー野田両先生が「うなずく」までに回復して無事終わったと思いきや,主査の武田先生の繰り出した質問に日和見主義的な受け答えをするうちにお開きとなりました。

学位の講演は大学院生活の総括ですのでこの講演内容には余り口を出したくないと思っています。自分でやってもらわないと困ります。

アドバイスは言葉は時々で異なりますが,審査員に迎合せず自分の論文の主張のhard coreを守り切る必要があると言うことです。審査員に迎合してヘラヘラ笑う奴は博士を名乗る資格はありません。間違った指摘や誘導には断固抵抗すべきです。今日はある程度それが実践できたと思います。

結果は「合格」だそうですが,研究科会議が終わるまでは解りませんよ…

とにかくご苦労様でした。4月からはあのMGHに留学なさる予定です。

他大学や診療科からお預かりした人たちも計算に入れると甲斐さんはぼくが直接指導した院生で11人目の医学博士となります。

午後に間違ったtweetをしてしまいました。彼で11人目です。こんなにいたのかと思うと感慨深いですがあと二人「売り払って」ぼくはduty freeとなる予定です。

たぶんすごく清々すると思います。すごく楽しみです。

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冠雪した比叡山-研究室から 午後には全部消えました このような景気が臨めるよい研究室なのですけどね…

今年は金曜日の生化学会で話し納め。21日締め切りの原稿で締め切り納めですが直ぐにでも処理しないといけない論文が少なくとも3つあります。年内には全て終わりたいです。

と思っていたら午後にすごく意外な電話を某所から頂きそれへの対応も残りました。

 


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3月31日です。

職場でも研究室でも異動があります。

「生物学の革命」を探し出して読み返してみましたー1970年に改訂されたものを大学院生の時にどこかの古本屋で見つけたものを持っていますー。

  • 第一部
  • 生物学はどう進むか
  • 第二部
  • 生物学者はどうすればよいか

という構成で第二部は以下の内容となっています

  1. 日本の生物学の不振ー学生制批判
  2. 討論会でー学会の現状
  3. 生物学の教育
  4. 科学者の価値
  5. 科学と民主主義
  6. 生物学者の社会的責任

読み返して,気付いたことがあります。
いわゆるMD. vs PhD.問題などに対するぼくの考えは要するにこの「生物学の革命」を読んで頭にinprintされたものを,さも自分で考えて到達した結論の様に思い込んでいただけなのだと云うことにです。
50年間に書かれたとはとうてい思えない今日的な問題ーポスドク問題などもーが議論されていて,この50年間日本の科学者は何をしていたのだろうという気持ちにもなります。
この本は,今日的な注釈をつけて再編集して出版すれば大きな反響を呼ぶと思います。

例えばいわゆる”お医者さんの研究”を評して

会場での講演の内容をきいていてもそうである。医学部の系の人の研究は,いったい何を目的としてやっているのだが,焦点がはっきりしない。ただ何となくデータを出したという感じがする。そうでなくて,ねらいがはっきりしているばあいでも,データがすこし雑なかんじがする。それには問題がないとしても,ぎりぎりさいごのところ,なんとなく態度があまい,なんとも結論の仕方が強引である,論理性がとぼしい,といったような,なんか割り切れないところがある。

こんな事を言われると気分を害する人はいると思いますが,まさに指摘の通りでぼくなど自分を振り返って恥ずかしくなってきます。本来わかっていないものを”さも”わかったように聴衆の耳に優しく話しかけて聴衆をわかったようにさせるプレゼンテーションがさもよいプレゼンテーションの見本の様にもてはやされます。
関西で開催されるのに地震の影響で中止になるような学会ははじめから開かなくともよいような気もします。

”何々であると断じて大過ないと信じます”というような主観的な結論が堂々と通用する世界は,われわれにとってはおそろしく異質なものである。

さらに

こういう人たちに日本の生物学をあずけるわけにはゆくまい。

とまで書いています。

それでも,医学は進歩する。病人はなおるし,わたしもなおしてもらった。日本人の平均年齢も増した。日本の医学者はみごとな実践能力を発揮したではないか。それはひとつには,日本の医学が孤立してるのではなくて,世界の医学につながっているからなのだろう。そこではたえず誤りが正され,あたらしい達成はすぐにひろまるからである。

大学院に入学するときにかつての師に言われたことがあります。
臨床に役立つなどという理由で研究のテーマを選びなさるなと言うことです。
まず研究として立派な研究をすること,そのような研究は,臨床医学の発展に寄与する場合もあるし無い場合もあるがはじめから臨床に役立つことを狙った基礎研究は碌なものにはならないからそんなことは考えるなという戒めです。また医学・医療はそんな思惑とは無関係に日々進歩しているので安心しろとも言われました。
これは今でもぼくの中では非常に重い言葉として生きています。
臨床は少々頭が足りなくとも地道に真剣に取り組めば必ず結果がついてくる分野です。
たとえばぼくたちのデイサージャリー診療部でも手術後に悪心・嘔吐をおこす患者さんの比率は5年前と比較しても格段に(1/2以下に)減っているのです。これを一つの”達成”と言わずして何というのでしょうか。

医師の博士号についても

だから医学博士の問題を解決するには,医師の資格のある人を全部社会的に博士とよぶことにすればよいのではなかろうか。医学士誰それ博士ということにするならば,それ以上苦労して医学博士の肩書きをとる必要はなく,社会的にももんものの医学博士や理学博士と同等に扱えばよいわけである。

と今から50年前に主張されていたわけです。

実はぼくも
以下のブログエントリーを書いていました。何度も同じ事を書いていたのですね。恥ずかしくなります。これもinprintingの一例だと思います。

ぼくは専門医制度もかなり怪しいと考えています。
分離肺換気も満足に出来ないものが麻酔科医と名乗ってさまざまの学会の専門医資格を取得して,学会の評議員とかしているのは詐欺だろうと思います。


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