台風で家にいます

On 2014/8/10 日曜日, in hypoxia reseacrh, by bodyhacker

台風です。

関西では金曜日の夜から降り始めて土曜日の午前は大雨になっていました。 土曜日のお昼過ぎに突然晴れ上がりここだとばかり買い出しに出かけました。 途中猪名川の川縁を走るのですがこんな感じになっていました。

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あのくらいの雨でここまで増水するのですから四国はどんなになっているのでしょうか

という訳で、久しぶりに週末に家にいます。子どもが模試の監督にいくというので石橋まで出かけましたが結局模試は中止となったそうです。でも監督者の出欠をとっていて○をすると半日分と交通費がもらえるのだそうです。

本やら録画したテレビ番組やらを消化していました。

自分のフォトストリーム-505

NHKのEテレで 「戦後史証言プロジェクト」の一環で「日本人は何を目指してきたか」というサブシリーズが7月の上旬から放送されていました。

今回は

  • 第1回 湯川秀樹と武谷三男
  • 第2回 鶴見俊輔と「思想の科学」
  • 第3回 丸山眞男と政治学者たち
  • 第4回 司馬遼太郎

で一応完結ですがこの後4回の放送が予定されているそうです。

この番組を見て日本人は第二次世界大戦から以降何か学んだことがあったのかと少し暗い気持ちになりました。今日的な問題と思っていたものの多くは少なくとも第二次世界大戦後も何度も繰り返された問題だったのです。

ここで取り上げられている思想家とくに鶴見俊輔、丸山眞男は熱烈な信奉者がいると同時に苛烈な批判を加える人もいます。

丸山眞男は鶴見俊輔を批判したし、丸山眞男は全共闘運動への立ち位置から多くの批判を浴びました。 このような事実も番組で取り上げられていました。特に丸山眞男は「ここまでいわれますか」というくらいだったと思います。当然と言えば当然とも思いますがテレビでやられるとちょっとびっくりします。

特に丸山眞男の息子さんの証言は丸山の人間としての立ち位置を象徴するような貴重な証言だったと思います。

 

今回のシリーズ決定的な人物が欠けていました。 吉本隆明です。 おそらく次のシリーズには取り上げられると思います。

現在晶文社から全38巻の予定で全集が刊行されています。 特別のサイトもあって推薦の言葉が掲載さています。 読んで感動しました。

 

「才覚と機転」」というタイトルで鶴見俊輔が推薦文を書いています。

ネットで公開されているものですから鶴見俊輔の部分を全部引用してみます。

戦時下の体験を戦後もしっかりと持ち続ける。そこに吉本隆明の特色と力強さがあった。 戦後まもなく、学生だった吉本が「春の枯葉」の上演許可を求めて太宰治に会いに行ったのも、彼が太宰の中に同質のものを読み取っていたからだろう。自宅には不在で、教えられた行きつけの飲み屋に行くと、果たして太宰が居た。そこで上演許可をもらい、しばらく雑談をした。 戦時中に太宰の作品に出会い、その世界に引き込まれた私もまた、吉本と同じ頃、講演の依頼で二度ほど太宰のもとを訪れた。あいにく二度とも留守だったため、私はあきらめて帰った。運不運もあるが、その場で吉本のような才覚と機転を、私は持っていなかった。 吉本は自分の立つ場所というものを、当時からすでにしっかりと持っていた。太宰との出会いも、その中から生まれたものだったろう。

実際これはあります。 研究も結局は出会いだと思います。 そこに「才覚と機転」を見いだすのは評価する側の審美眼の問題だと思います。 大抵はそうはならずにはじめから関わっていた人は「運が良かった」程度にあしらわれて、はじめから自分たちがやってきたような顔をするエラい人がほとんどですけど。

人間的な、あまりに人間的な」というタイトルの見城徹氏の文章は特に感銘を受けました。 ぼくも「転位のための十篇」は時々読み返します。

吉本隆明も「擬制の終焉」で大々的な丸山眞男批判をしていました。晩年は「不謬ならざる法皇」ともいわれた事もあるはずで思想が同時代性を保つことの難しさを教えてくれます。

しかし、その吉本隆明もレトロスペクティブには間違っていたところもあります。

でも「彼は戦後の反体制運動のなかで扇動者の役割を果たしたり時局発言をしたりしたが、また大衆消費社会に迎合したとも言われたが、そしてオウム事件の時には麻原彰晃を擁護したり反原発運動に対立したりというフライングを犯したりもしたが、そういうふるまいの瑕疵はかれの業績を傷つけない」という指摘は正しいと思います。

擬制の終焉」の『「私」的利害』の問題などぼくの中でまったく克服できていない問題です。

「医療」にはヒューマニズムの実現という側面がありそこを強調する意見も根強くありますが「医療人」とても職業人です。おなじ事が科学にもいえます。「科学」には真理の探究という側面がありますが「科学者」は現在では職業人です。これが現時点での科学の孕む問題の多くの根源だと個人的には思っています。

 

実は吉本隆明の講演を録音したものが出ています。 ぼくは持っています。 iPhoneにいれてあるので時々電車で聞き直します。 すごいよ。

 

鶴見俊輔の番組の彼の言葉を紹介します。

真理は間違いから、逆にその方向を指定できる。こういう間違いを自分がした。その記憶が自分の中にはっきりある。こういう間違いがあって、こういう間違いがある。いまも間違いがあるだろう。その間違いは、いままでの間違い方からいってどういうものだろうかと推し量る。ゆっくり考えていけば、それがある方向を指している。それが真理の方向になる。

この部分は本になって出版されていますが本人があの真剣さで話すとすごい説得力でした。 (参照: 日本人は何を捨ててきたのか: 思想家・鶴見俊輔の肉声)

真理は方向性だ」という指摘は重要です。これをネタにして今度どこかで話し見たいと思いますが注文があるかどうかはわかりません。

敬称は省きました。

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金曜日の夜から本を何冊か読みました。

「絶対に受けたくない無駄な医療」もその一冊でした。

米国で展開されているChoosing Wiselyキャンペーンの内容を部分的に日本語でまとめて解説を加えたものです。

一般の人が読んでも今ひとつわかりにくいかも知れません。これだけを患者さんとその家族が読んでも混乱します。

費用対効果が低いという事と治療としての効果が無いとか低いという問題は不可分にむすびついていて取り分けて考える事ができにくい場合もあります。 本書でも書いてありますが医療制度の違いの問題もあります。

日本では患者の自己負担の割合が少ないのでCT検査も「しない」で済んだと思うより「してもらって安心」したいと思う人がほとんどだと思います。 医療行為のゴールをどこに設定するか、つまり疾患の治療に設定するのか患者の満足または幸せと設定するのかで医療従事者の行動は変わってきます。 ぼくは麻酔をする医者なのですが外科系の医者が手術すると言ってきた場合多くの場合適応を議論しません。言われたままに麻酔をする程度には「意識の低い」医者です。

そのような麻酔科医も米国ではChoosing Wiselyに参加していています。

以下の5項目がASA(american-society-of-anesthesiologists)の提案です。

  • 1 Don’t obtain baseline laboratory studies in patients without significant systemic disease (ASA I or II) undergoing low-risk surgery – specifically complete blood count, basic or comprehensive metabolic panel, coagulation studies when blood loss (or fluid shifts) is/are expected to be minimal.
  • 2 Don’t obtain baseline diagnostic cardiac testing (trans-thoracic/ esophageal echocardiography – TTE/TEE) or cardiac stress testing in asymptomatic stable patients with known cardiac disease (e.g., CAD, valvular disease) undergoing low or moderate risk non-cardiac surgery.
  • 3 Don’t use pulmonary artery catheters (PACs) routinely for cardiac surgery in patients with a low risk of hemodynamic complications (especially with the concomitant use of alternative diagnostic tools (e.g., TEE).
  • 4 Don’t administer packed red blood cells (PRBCs) in a young healthy patient without ongoing blood loss and hemoglobin of ≥ 6 g/dL unless symptomatic or hemodynamically unstable.
  • 5 Don’t routinely administer colloid (dextrans, hydroxylethyl starches, albumin) for volume resuscitation without appropriate indications.

日本では「普通の意識の高さ」の麻酔科医にでもほとんど考慮されていないのが現実ですね。というかこれを実践しようとしたら「変わり者」だと呼ばれると思います。

 

米国にAmerican College of Cardiology、American Heart Associationという組織があってこんなガイドラインを出しています。

2014 ACC/AHA Guideline on Perioperative Cardiovascular Evaluation and Management of Patients Undergoing Noncardiac Surgery: A Report of the American College of Cardiology/American Heart Association Task Force on Practice Guidelines

「特に意識の高くない」麻酔科医でも一応熟読して完全に理解しているだろうというガイドラインです。

今回改定されました。

ちょっと気になったのはAngiotensin II receptor blocker, Angiotensin-Converting Enzyme Inhibitorsの扱いです。これらの薬剤は「継続」すべきという勧告となっていました。

 

麻酔に関する部分を読んでちょっと暗い気持ちになりました。 少なくと周術期の心血管イベントの防止に麻酔ができる事はすごく限定的だという研究結果が淡々と述べられているのです。


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仮説、モデル、問い

On 2013/9/16 月曜日, in Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

台風大阪池田市ではもう過ぎ去ってしまいました。

家から伊丹空港を離陸する飛行機が見えるのですが朝から普通のように飛び立っています。西向きの飛行機は飛んでいるのですね。

昨日は家にこもっていたのですがすることもないので映画「台風クラブ」を観ました。調べると1985年ぼくが大学生の時の映画でこれは映画館に観に行きました。 台風って非日常的な感覚を人に引き起こすと思います。

手術室で働くと云うことも本来はそういった非日常性を孕んでいるのでしょうが毎日そこにいると感覚としてはそう感じなくなってしまいます。それでも夏休みなのでしばらくその環境から離れると身体の不調なども消えていきますから無意識にいろんなストレスを引き受けながら働いているのだと云うことが意識されます。

長生きできないはずですよ。(参照)

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医学雑誌Lancetに安倍晋三内閣総理大臣の論文というか意見表明が掲載されています。

“Japan’s strategy for global health diplomacy: why it matters”

です。

さてこの論文の連絡先は

Shinzo Abe

Prime Minister of Japan, Chiyoda-ku, Tokyo 100-0014, Japan

shiro.konuma@mofa.go.jp

となっています。

論文の著者に単独でなるということは、彼がこの論文を執筆したという事を意味すると思うのですがどうなのでしょうか。週刊誌に発表する文章や書店で売られる単行本とは「著者」の扱いが異なります。

  1. 最初から自分で英語で書いて投稿した。
  2. 日本語の下原稿は自身で書いたけどそれを英語に直した人がいて投稿した。
  3. comment故に「コメントした」内容を誰かが英語にして投稿した。つまり自分では一行も文字を書いていない。
  4. そのどれでもなく実質的にはKonuma Shiroさんの論文である。
  5. 実際はもっと複雑である。

など考えられます。

オリンピック招致のプレゼンテーションを見る限り彼が英語を話す能力は余り高くないと思いましたが読み書きする能力はそれとは異なるかも知れません。 この論文は参考文献が22篇ついています。著者は文献は全て読んで内容を理解して引用すると仮定されますがやっぱりそうなんでしょうね。つまり英語を読む能力はそれなりあるということなのでしょう。 さすが総理大臣ですね。

mofaで外務省の事みたいです。

しかし総理大臣がこうなのですから日本ではgift authorshipとかの問題は解決されないのでしょうね。


雑誌Cellに”A Brief History of the Hypothesis“という論文が掲載さています。(参照)

生物学徒には見慣れない単語が並んでいるのですが内容が特段に難しいわけではありません。

ぼくらが研究を始める場合には何かの原動力があるはずです。 立てた仮説を証明したいするとか、モデルがうまく現実にフィットするかどうかを検証したいとかが研究を進めるきっけになります。

生物学の基礎的な実験的な研究を始めるとします。 いよいよ研究を具体的に開始する場合、何から手をつけるでしょうか? まず「仮説」を立てるかもしれません。

このような進め方は実は問題をはらんでいるのだというような事の解説から説き起こして、研究の進め方における「仮説」「モデル」「帰納」「演繹」に関するの歴史的な変遷についてをガリレオから始まってベーコン、ヒュームと進んでポッパーの反証主義的critical rationalismまでを紹介することでreviewした論文です。

例えばNewtonは”I frame no hypothesis”と云う言葉で「仮説」による研究の推進を否定しています。 得られた実験事実に基づき”bottom-up induction”により法則を定立していくというわけです。 という訳でNewtonの方法論は、例えばEinsteinのように光速が不変なのだという公理から理論、法則を演繹していくという方法論とは異なるとしています。

そうしたら何によってたって実際の実験を始めるべきなのでしょうか? この論文の著者はそれは”question“から始めるのだと主張します。”question”から始めて実際に十分な質と量のデータを得てそのデータに寄って”model”を構築していけと。 それによって”hypothesis”を捨て去っても科学が可能になると云うわけです。

なぜなら

The hypothesis may be “dangerous”— it may be used to filter data and induce bias. Therefore, scientists operating in an inductive framework might be insulated from an impulse to defend an unproven premise by adhering to a bottom-up method, producing experimentally derived data in order to build a model, and then subjecting the model to tests for its ability to predict the future. If the model passes such a test, its inductive power is demonstrated.

だからです。

医学研究とくに臨床研究では事情は複雑です。

対象となる患者は均一ではなく結果は常に統計学的に表されます。 つまり確率が支配する世界です。 このような場合仮説を棄却するのもモデルの適合性を認定することも確率という条件付きとなります。

最近世の中を騒がせたARBをめぐる研究上の問題も、ただの仮説が検証の前に「真実」であるかのように扱われてそれを「証明」しようとした結果起こった事件です。 このように仮説主導で行われる研究は様々な意味合いで危険だという見本のようなものです。

しかし、一見立派に見えるRandomized Controlled Trialであってもその結果は簡単に「ちゃぶ台返し」(medical reversal)にあってしまう場合があります。(参照) 見かけにだまされてはいけません。

 

ただある分子のノックアウトマウスを作出してとにかく何か面白い表現形を見つけようというような研究には特にhypothesisだとかmodelとかquestionとかは関係ないかも知れません。単純ではあるが実は力強い推進力かもしれません。実際このような研究はたくさんあります。ノックアウトしたら期待した表現型が出なかったけど粘ったら「予想もしない」ことが見つかったとか。こうなると科学なのかどうかもよくわかりませんが「意外性」はとにかくこの世界では重要視されます。

この論文でも取り上げられていますが例えば”What is the sequence of genome X ?”と云うような問題にはそもそも”hypothesis”は必要で無く”question”だけが必要です。

医療の世界も個人のライフログと関連付いた医療データが利用できるようになれば従来型の研究手法では解明できなかった様々な問題にアプローチできるようになると思います。 たぶん10年後にはこのような解析法が主流になっていくのではないかと思っています。

It is better to see science as a quest for good questions to try to answer, rather than a quest for bold hypotheses to try to refute.

というフレーズで締められています。おっしゃる通りとしか云いようがありません。

 

この論文では「演繹 (deduction)」と「帰納(induction)」という二つの論証法が挙げられているだけでもう一つの重要な論証法についての言及がありません。 もう一つはの論証法とは「仮説推論(abduction)」です。(参照)

シャーロック・ホームズの方法論としても有名です。

ネット上から少し引用します。(参照)

[ホームズ]「‥‥きみが今朝ウィグモア街の郵便局に行ったのは観察で判るけれど、きみがそこで電報を打ったと判るのは推理の力でね」

[ワトソン]「その通りだ!‥‥しかし、正直な話、どうして判ったんだろう?」

[ホームズ]「簡単なことさ。‥‥説明などいらないくらい簡単なことだよ。‥‥僕の観察によれば、きみの靴の甲には赤土が少しついている。ウィグモア街の郵便局の前の歩道は最近敷石をはずして、土を掘り起こしているからね、郵便局に入ろうとすれば、その上を踏まないわけにはちょっとゆかない。そこの土がちょうどそんな赤い色をしているわけで、この界隈には他に例がない。ここまでが観察。あとは推理だね」

[ワトソン]「じゃあ、電報はどうして推理したんだろう」

[ホームズ]「何でもない。午前中僕はきみの前に座っていたんだから、君が手紙を書かなかったのは判っている。それに、開けたままのきみの引き出しには切手も葉書も十分にあった。となると、郵便局に出かけて、電報を打つ意外の何をするんだろう。よけいな要素を取り除いていけば、残ったものが答えのはずだ。

つまり

1. 驚くべき事実Cが観察される。

2. しかし、もしAが真実であれば、Cは当然の事柄である。

3. よって、Aが真実と考えるべき理由がある。

というわけです。

すこし厳密さに欠けると思いますが医療現場ではこのような推論がむしろ多数を占めると思います。

実は基礎研究もこのようにして研究を始めるのですが論文にまとめる時に推論の方向性を「帰納」か「演繹」のどちらかにそぐうようにデータを並び替えたり議論の順番を変えたりしているのだと思います。 少なくともぼくはそうしていますしこれがぼくにとっての研究の醍醐味です。実際に見いだしたことの生物学的・医学的な重要性とはすこし異なる視点ですがこの推論の過程が面白いのです。そう思っている人は多いとぼくは確信しています。

 

シャーロック・ホームズの記号論―C.S.パースとホームズの比較研究」はすごくためになります。最近興味があって取り出して再読しました。

これはシャーロック・ホームズの方法論でもあるのですがDr. Houseの方法論でもあります。


土曜日の帰宅時に梅田のヨドバシカメラに寄ってみました。 毎日朝夜に前を通るのですが店に寄るのはたぶん三ヶ月以上ぶりです。

Bose社のイヤフォンを試すのが目的でした。

思っていたよりきれいに「無音」になりますね。これは何とかして手に入れたいと思いました。

現在Bose社の耳がすっぽり入るタイプのヘッドフォンを持っているのですが長時間していると耳が痛くなるという欠点と電車内でいい歳してヘッドフォンをしているわけにはいかないという事情でイヤフォンタイプのものがあればいいと思っていたのですがこれは良さそうです。iPhoneとそろえると大層な出費になってしまいますね。


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来週札幌で三泊四日の予定で開催される某リサーチミーティングに参加します。
年甲斐も無く自分を発表者として応募してしまい,当然ながら誰もポスターを作ってくれないので昨日の午後から作り始めさっきほぼ終わりました。
ぼくのいう「ほぼ」というのは95%位なのですがここまで来ればもうさぼっても大丈夫という開放感でエントリーを書いています。

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動画です 森先生の記念樹が揺れています

台風来ましたね。実は台風大好きです。雨風が激しければ激しいほどうれしい,それを室内から見ているのが好きです。
雨は午前中から派手に降っていましたが風は午後3時くらいから6時くらいまでで結局それで納まってしまいました。
R0012414 それだけでは申し訳ないので台風ネタを披露します。
以前ぼくが大学院を終えて麻酔科で助手-今の助教ですね-をしていたとき何曜日か忘れましたが麻酔科のスーパーバーザー-つまり緊急手術を担当する係です-をしていたときの話です。もう15年ほど前の話ですので完全に時効です。
時期は秋でしたがやはり台風が京阪神地区を直撃という局面がありました。今日の台風のように進路から判断してどうしようもなく直撃という状況でした。
その日はなぜが手術室が忙しく午後2時くらいのその時点で4件のバックオーダーを抱えているのに麻酔科の医者が足りずに手術を始められない状況でした。
ぼくはその時点で3件の麻酔科を視ていたと思います。
その状況に業を煮やした手術部の婦長-昔はこう呼んでいました。またこの人とぼくは天敵同士という関係でした-がF先生に向かって「広田のようなボケにやらせているから全然手術が捌けないじゃ無いか何とかしろ!!」-あくまで想像です-みたいなことを云ったからかどうかしりませんがF先生がどんどん手術始めたらどうかとぼくに提案してきました。といっても空いている先生はいないしぼくはぼくで3列抱えていたので無理なわけです。
事情を話したところさっきA先生-あえてイニシャルではありません-がいたので一人で担当させろと云う指示でした。毎週午前で麻酔が終わりしかしなぜか夕方まで手術室にいて帰ることになってるので忙しくても動員しないのが不文律でした。一種の業務命令なのだからいいかと思い直し,麻酔科の休憩室に声をかけに降りると-当時はPHSなどというものは存在しませんでした-いらっしゃいません。たままたいたS籐先生-これはイニシャルです-にどうされたか訊くと,午後二時頃「手の空いている職員は帰宅するように」という放送が入りそれで帰宅されたとのことでした。
これには参りました。
結局淡々と一例ずつ片付け病院を午後10時くらいに出たときは台風は琵琶湖を遙か越えて東に去って行った後で星が出ていたのです。 いろんなエピソードの中でこれは鮮明に覚えているたぶん一生忘れないだろうというものの一つです。また台風が来るといつも思い出します。
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東京からのお客さんに「かりんとう」をいただきました。これが大ヒットです。どうもありがとうございました。 IMG_4894


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