暇と退屈の心理学

On 2014/7/6 日曜日, in hypoxia reseacrh, by bodyhacker

大学の教員をしているので授業をします。

臨床実習の相手ではなく教室で授業をするのです。といっても年間に6コマとか7コマで始まってしまえばあっという間に終わってしまいますけど。

フリートークをするのでは無く担当が決まっているので、過去の資産を使える場合はある程度準備の時間が節約できますが職場を変わったり退職された先生がいて引き継いだりすると「イチ」からということになります。

医学部の普通の授業というのは特別講義とかとセミナーはすこし趣がことなり事実を重要性の強弱をつけて学生に話していくことなので面白いとか面白くないとかとはすこし違うと思っています。

すでに確立していること、この一年で変わったことなどを調べるのでそれなりに時間が掛かります。

例えば”Anesthesia“というこの分野の一番大きな教科書がありますが該当部分は改訂の有る無しに関わらず一度は目を通します。今では電子化されていますので補遺が追加されていきます。それにも目を通します。

その他その分野の基本的な教科書にも目を通します。

有力なこの分野関連の雑誌を検索してこの一年に出版された総説などにも目を通します。

という訳で結構な時間が掛かりますがたぶんこれがぼくの本職なんです。

 

これを学生に全て話すわけではありません。そんなことをしていたら何が学生として重要なのかわからなくなってしましますし一コマでは納まらなくなってしまいます。

こうなるとこれは学生の為にやっているのか自分のためにやっているのかなんのためにやっているのかわからなくなってきます。

少なくとも自分は物知りになる事だけは確かですが…

 

基礎研究の場合でもこのようなことは行っています。毎週決まった曜日に論文の検索を行って必要があれば読み込むという作業です。 論文や総説としてまとめる場合にはその作業の密度を上げることになります。 10000語の総説だと最低でも200篇の論文に目を通したりするのでこれはしんどいです。いまこんな作業をしていてこれが終わるまではぼくの夏はやってこない、というほど深刻な状況に追い込まれています。今も作業中なのですがストレスに耐えきれずにこんな駄文を書いて気晴らしにしているのです。

しかしこのような作業は自分のオリジナルな研究の推進にはそうそう大きな役割を果たしません。 過去20年以上の自分の研究歴を振り返っても文献検索が自分の研究を飛躍的に進めたという体験はありません。物知りになってどうするのだとは思うのですが、しかし、どうしてもこの作業は必要だとは思います。

 


雑誌 “Science”に”Just think: The challenges of the disengaged mind“というタイトルの論文が出ていました。

 

大学生を対象にした心理学的な実験をまとめたものです。

被検者は何の飾りもない部屋(unadore room)に椅子が置いてありそこに6分から15分ほど座ります(thinking periods)。携帯電話とかその他の持ち物は全て取り上げられています。

ここで課題を出されます。” think about whatever they wanted”と言う課題、他方は”chose from several prompts, such as going out to eat or playing a sport, and planned out how they would think about it”と言う課題です。

その後その体験を”enjoy”したかどうかの質問をされると両課題とも被検者の約50%はそうでなかったと答えました。 57.5%の被検者は集中できなかった、また89.0%は散漫な気持ちがしたいう答えをしました。 同じ検討を被検者の自宅で行っても結果には変わりがありません。 つまりunadore roomでという特殊な状況故ではないというわけです。ちなみに家での場合、立ったり何かしたりととかズルしちゃう被検者がいたそうです。

多くの被検者は”just thinking”という状況をenjoyできなかったという結論です。

次に面白い検討を行います。 痴漢撃退の時に電気ショックを与えるdeviceを使う場合があります。不快な体験で被検者にとって$5払ってでもこれを避けたいと思うような刺激となります。しかし、ここが面白いのですが、”thinking time”にボタンを押すとこの不快な刺激が与えられるという条件下で、67%の男性(女性は25%)はこの不快な刺激を受けるためにボタンを押したという結果が得られたのです。 つまり”pain or boredom”の選択で”pain”を選択する人がいたということです。

 

Nature誌での解説記事では

Wilson intends to pursue ways to tame what he calls “the disengaged mind”. “There are lots of times in our daily lives, when we have a little bit of time out, or are stuck in traffic or trying to get to sleep,” says Wilson. “Having this as a tool in our mental toolbox as a way to retreat or reduce stress would be a useful thing to do.”

こんなことが書かれていました。

 

自分に引きつけて考えてみても納得できるような話です。 麻酔中の患者さんの経過というのは一様ではありませんが、体表面の手術で経過が完全に凪ぎという場合もあります。ぼくらは様々なモニタとか手術の進行に注意を払っていることになっているのですがいくら集中しようと思っても何も起きないで内的には“the disengaged mind”となることがあります。こんな時にどうしてやり過ごすかとか考えると面白いと思いました。今度同僚や研修医くん・さんと話してみようと思います。

國分功一郎さんに「暇と退屈の倫理学」著作がありますが、これは「暇と退屈の心理学」ですね。

 

暇と退屈の倫理学

 

PNASに”Multiple types of motives don’t multiply the motivation of West Point cadets“という論文がありました。時間がないので後に何か書いて見ようと思います。


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4回生への麻酔科学・集中治療学の授業が来週にあります。

ぼくも3コマ担当します。

職場を変わって担当する分野も変わったので授業の準備をはじめからしました。 “Anesthesia“の該当部分をまず読むことにしています。 とう訳で結構な時間が掛かりましたが今日でほぼ全部準備が終わりました。 来年からは改訂をすればよいだけなので時間はだいぶ節約できると思います。

授業はある程度網羅的である必要があるし自分の意見よりは世の中のコンセンサスを伝える必要があるという点で基礎研究のセミナーとは異なります。 この点ですごく気を遣います。

正規の授業の他に自分の考えのみで構成した「裏授業」などがあると面白いのだと思います。

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少し前に「科学を語るとはどういうことか —科学者、哲学者にモノ申す」を読みました。

消化不良と思われた部分もあったので再読してみました。

哲学者の議論を「的外れ」と憤慨する科学者と、科学者の視野の狭さを精緻に指摘する哲学者による妥協なき徹底対論。価値観の異なる者同士が科学を捉え、語り合うためには何が必要か。

という内容です。

「科学者」役は理論物理学者の須藤靖 氏で「科学哲学者」役は伊勢田哲治 氏で形式上は二人の対談です。

かなりくわしく内容を紹介したブログエントリーもあります。しかしこれを一読しただけでは何が議論されたのかを理解することは困難だと思います。(参照)

以前、「医学と仮説――原因と結果の科学を考える」を紹介したことがあります。2012年に読んだ本で二番目に影響を受けた本として挙げました。(参照) この本も再読したみたのですがそうすると伊勢田氏の主張も何となく理解できる様な気もしてきてこの一週間ほどの読書は無駄ではなかったと今では思っています。

これを読んでから取り組むとさらに得るところが多くなると思います。

医学を含む生物学に関わる人たちはこのように「深刻に」因果論を考える事は少ないと思います。

マウスにおいてある遺伝子を破壊して都合のよい表現型(例えばヒトのある疾患と似た表現型)が得られると、ヒトの疾患の「原因遺伝子」が同定されたというような結論を導きます。言い過ぎだと思うときもありますが基本的にはこれと同様な「論理」を使っていると思います。

ある酵素活性がある現象に関して必要でかつ十分というような大げさな言い方をすることもありますが大抵は持続活性型を強制発現したり、最近ではsiRNAで発現を抑制したりした結果に基づいています。

こういう「単純」な考えばかりしていると確かにすこしバカみたいに自分が思えていたのですが実はノックアウトとかノックダウンの手法は、「原因がなければ、結果がない」というヒュームの因果論的にはこのような手法は適しているのではないかと考え始めました。

iPS細胞などの生物学上の発明が力強いのは「うまくいった」という否定し得ない事実があるからなのだと思います。 最近ではその「否定し得ない事実」が本当にあったのかどうか、もしかしたら誰かが勝手に作ったのではないかという問題が大きくクローズアップさえてきているのですから困ったモノです。(参照)

「実験事実」というか「観測事実」が信用できないのであればそもそもこのような議論は成り立たないということは当たり前です。

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科学を語るとはどういうことか ---科学者、哲学者にモノ申す (河出ブックス)


6/30は勤務先の大学の創立記念日だったのですが日曜日であったということで今日7/1がその代休となり閉院となり手術室も休日体制でした。

家内とデートしようと思ったらスポーツジムとテニスの予定があるということであっさりフラれったので研究室で仕事をすることにしました。

帰宅途中に枚方市駅から交野線にのって私市まで足を伸ばしてみました。 なかなか風情のある沿線ですね。

天野川の堤に七夕飾りが5m置きくらいに飾られている場所がありました。

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新潮文庫の100冊って全部買っても67000円位なんですね。100000円出してもよいのでテキストを利用できる形で売り出してもらいたいと思います。

Amazonの小林秀雄の新潮文庫で出ているものがKindle版として帰るようになっていました。取りあえず全部買いました。

人間の建設 (新潮文庫)

本居宣長(上)(新潮文庫)

本居宣長(下)(新潮文庫)

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

Xへの手紙・私小説論 (新潮文庫)

ドストエフスキイの生活 (新潮文庫)

作家の顔 (新潮文庫)

近代絵画 (新潮文庫)

そして

人生の鍛錬―小林秀雄の言葉―(新潮新書)

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医学部の学生の授業でしゃべりました。90分しゃべり続けるので疲れます。学会やセミナーでは長くても60分ですから30分も多いわけです。
出席者は余り多くありませんでしたが一番前に座っていた学生は結構よく勉強していたと思います。「血液ガス分配係数」も知っていました。ぼくがMacBook Airの設定でもたついていたら助けてくれました。試験ではがんばってください。難問奇問で皆さんに挑戦します。

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少し前にGroopmanの”Your Medical Mind: How to Decide What Is Right for You”の邦訳「医者は現場でどう考えるか
」について書きました。(参照
医者の思考の流れを症例を巧みに使って記述して陥りやすい判断の誤りなどを指摘したいくつかの章で構成されたものです。
患者と言うより一般的な読者を想定したものですが医者が読んでも読み応えはあるし医学生,研修中の医師が読めば症例のおもしろさも加わってとても有意義な読書体験となると思います。

英語版を以前に読んだのですが-日本からはKindle版を購入することはできませんー邦訳も各所で絶讃されていて書店で見かけたので邦訳を買って読んで見ました。
邦訳はだいぶこなれていて読みやすいと思いましたーところどころ一読意味が通らないと思う箇所がありますが大局には何の影響もありませんー。
Groopman氏はこれ以外にも多数の著書があります。
例えば”Second Opinions“なども「医者は現場でどう考えるか
」とほとんど同じ内容をこちらも症例にそってエッセー風に進めていく著作です。こちらにも邦訳が存在します。(セカンド・オピニオン―患者よ、一人の医者で安心するな!)
その他”The Measure of Our Days: New Beginnings at Life’s End”なども合わせて読みたい本です。
本の紹介にもありますがGroopman氏は”an eloquent new voice in the literature of medicine”と言ってもよい人物だと思います。

池信先生が熱烈に推薦している「Thinking, Fast and Slow」を読み始めました。Kindle版を買いました。英語も平易で進んでいますが読了までには時間が掛かると思います。

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数日前に調べ物をしていたら偶然「NHKスペシャル 沢木耕太郎 スポーツ・ドキュメント奪還~ジョージ・フォアマン 45歳の挑戦~」が番組ごとYoutubeに出ているのを発見しました。
ジョージ・フォアマンのタイトル戦までのドキュメント「奪還」
沢木耕太郎氏が文藝春秋で公表した同名のドキュメンタリーと同時進行で制作されたものです。
文藝春秋のドキュメントではタイトル戦の結果はまだ出ていないところで終わっていました。 (Number PLUS 2011 May―Sports Graphic 拳の記憶に収録されています。)幸運にもこのタイトル戦をテレビ(WOWWOW)で観戦できたことを覚えています。

「NHKスペシャル 沢木耕太郎 スポーツ・ドキュメント奪還~ジョージ・フォアマン 45歳の挑戦~」はNHKのスポーツドキュメントというよりすべてのドキュメントの頂点の一つを極めていると言ってもよいようなすばらしい番組です。
このドキュメントは過去に二回は観たのですがもう一回観たいものだと思っていたらYouTubeで視聴できて満足しました。何度観てもすばらしいです。

以前観たときはそのような感想は持ちませんでしたがフォアマンはすごく丁寧にキレイな英語で話します。彼が伝道師としてのキャリアの中で身につけたのだと思います。フォアマンは日本のテレビ局の取材なのに本当に真摯に語ります,改めて見直してびっくりしました。例えば「闘う目的があれば人はどんな苦しみにも耐えられるものだ」とか本当に真顔で語るわけです。

全編,沢木耕太郎のフォアマンへのインタビューと小林薫氏による沢木耕太郎のドキュメントの朗読で構成されています。その意味でこの番組も彼の「私ノンフィクション」の一つです。
例えばフォアマンがアリにknock outされたキンシャサでのタイトル戦は「壮大な精神の虚構が絶対の肉体を打ち負かしたまさに奇跡としか言いようの無い一瞬」などと表現されます。またフォアマンのこの45歳の挑戦は「粉々になった自我を拾い集める」ための挑戦だという風に語られます。
しかしこのドキュメントはこのような大げさな表現が妙にしっくりといく沢木流の番組に仕上げっているのです。

またこれまた沢木耕太郎が神がかっているとしか思えないのですがアリが番組主催中にテキサスに現れてインタビューに応じてくれたシーンまで入っているのです。
実はこのNHKの番組はフォアマンの「奪還」プロジェクトの唯一のドキュメントです。アメリカ人は全く興味を持っていなかったのです。ここら辺の興味の持ち方,何をテーマに選ぶかのセンスなどには学ぶべきものが多いと思います。

YouTubeでは「ジョージ フォアマン 奪還」で出ています。誰かが今年の9/21にupしてくれたようです。もしかしたら削除されるかもしれません。これを観ないとすれば確実に損をします。

フォアマンの自伝も出ています。これも読んだ方が良いです。(「敗れざる者―ジョージ・フォアマン自伝」)


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