ぜんぶ雪のせいだ

On 2014/2/8 土曜日, in anesthesia & critical care medicine, by bodyhacker

雪が降るとの天気予報で昨晩の八時過ぎには結構な量の雪が本当に降っていて二時くらいに寝る前に外を見たらかなり積もっていたのですが朝起きると雨・みぞれになっていて積雪としては大した事がないというすこし「残念」なことになっていました。 それでも雪が積もって風が吹くと体感温度は低くなります。

朝から最寄り駅のスタバで仕事をしようと思っていたのですが書き込みをした原稿を大学の研究室に忘れて出たことが発覚。雪が降り出したら困ると思い慌てて出てきたのです。ぜんぶ雪のせいです。

今日から医師国家試験だということです。三日間の長丁場です。試験中には気晴らしというものは無いから大変だろうなと思います。そもそも長時間椅子に座っていること自体一苦労です。

 

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New York Timesに“A solution for bad teaching”というエッセーが掲載されていました。 著者はAdam Grantさんというペンシルベニア大学の心理学の先生です。”Give and Take: Why helping others drives our success”と題する著書を出版しています。

冒頭の一文は”It’t no secret that tenured professors cause problems in universities”。

つまりよい研究者がよい教師とは限らないという、よくある話から説き起こされます。 いくつかの研究では”the relationship between teaching and research is zero”という結果が出ているのだそうです。うなずける話ですですね。一部のスター研究者の醸し出す教育内容とは別物の「効果」はあると思いますけど。

それでこのエッセーはこの状態をどう解決していくかというお話です。

研究のみを行うポジションと教育のみを行うというポジションに分けてしまう。 しかし現実には第三の形態である研究も教育も行うポジションが存在するわけです。 このバランスをうまく取ることが最良のパレート効率性を得るために重要だというありきたりといえばありきたりの話ですが短いし一読の価値はあると思います。教育は真剣に取り組むとすごく労力を消費します。

前の職場では余り意識しなかったというか何も考えていなかったのですが今の職場では結構な加重です。

 

医学部とか医科大学では研究と教育に加えて臨床という業務が普通は加わります。全ての分野でよい教師であることは不可能、と思っています。

医科大学は第一義的には職業訓練校です。基本的な知識を授けて学生はその習得度を評価されます。その成果が最終的には医師国家試験で試されます。

実をいうと今年までぼくはよく知らなかったのですが学生でも国家試験予備校の授業を受講したりするのだそうです。 であればあらかじめそのような授業のビデオを大学での講義で使ってはいけないのでしょうか? そうでなくとも各学会などが内容、出演者などを決めてビデオを作成してそれを通常の講義で利用する。 ぼくは人前で上手に話す能力が極端に低いので上手に話すことのできる人に講義をしてもらうととても助かります。専門医を取ったくらいの見た目のよい上手に話すことのできる先生方を「講師」として投入すれば学生も喜ぶのではないかと結構本気で考えています。何とかなりませんかね。

職場は医科大学でーぼくは教職の免許はもっていませんが学校の教員です-1月の末から3回生の学生さんが5週間の予定で麻酔科学講座で研修をしています。5週間(プログラムによっては三週間)、基礎講座を含む各講座に学生さんが配属されてその教室の「日常に浸る」ことで何かを感得して頂くという趣旨だと理解しています。なので臨床実習の「先取り」をするということが趣旨としては目的ではありません。 実習ですので最終的にはレポートで成果を報告する必要があります。 この活動は今のぼく-来年度であれば問題は解決していると思います-にとっては結構な負担なのですが一方すごくよいチャンスだと思っています。

とにかく彼らとよく話します。

「某」幹細胞の話をしていてクローン人間の話題になったときにKazuo Ishiguroの小説”Never let me go”を読んだ事があるかと尋ねると「ない」ということで急遽 映画”Never let me go”を観ることになりました。 ぼくも久しぶりに観たのですが気合いを入れて観るといろんな気づきがありました。 その後解説をして議論を小一時間行いました。 (こういった活動をレポートにしてそれで受け入れてもらうと助かるのですがこれは無理かやっぱり)

お昼も大学の食堂で一緒に摂ることもあって、今まで知らなかった職場のいろんなことを学生が教えてくれます。ぼくにとってはこれは新鮮で今回の大きな収穫です。

 

さっきのNYTのエッセーによれば、米国では寛大な先生の評価は低いのだそうです。どんどん学生に負荷をかけていく先生の方が学生による評価は高い。要するにこんな先生!?

 

ところで、医者を目指す学生にはクローニンとは云わなくとも「罪と罰」とかくらいは読んでおいてもらいたいとは思います。

今の学生は医者になるという目的意識が明確なのでそれでいいのかもしれないなとは思うときはあります。 ぼくはまったくそのような意識が欠落したまま医学部に入ったので在学中にそのような意識を涵養するということが一つの課題だったのです。


昨日の夜始めて知ったのですが世の中では「ゴーストライター」が話題になっているのだそうです。 いくつかのブログエントリーを読みましたがどうもピンと来ません。理由を考えると要するにぼくは問題となっている「音楽」を聴いたことがない音楽に何ら造詣が高くないのです。 どうにも判断しようがありません。

少なくとも自分の専門分野であればそのまんま騙されてしまうということは少ないかも知れません。 専門分野であれば何らかの評価を下すし、その範囲で全体の胡散臭さとかも何となく感じてしまいます。もっと正確におかしな点をピンポイントで指摘できるときもあります。とにかくどの雑誌の載ったとかどこの研究室から出た研究だとかにあまり惑わされずに研究を咀嚼できると思います。これは 基礎研究の分野でも臨床医学の分野でも同じです。あれだけ明確なのに、何で皆がその胡散臭さに気付かないのかがぼくにとって不思議だと思う場合もあります。誰とかどれとかは云わんけど。

小林秀雄に「骨董」「真贋」という文章があります。 こんなときにいつも思い出します。

以前に少し書いたことがあります。(参照1, 参照2)

 


New Yorkerに載っていたこれ 読んだら背筋が凍りますぜ。

ANNALS OF SCIENCE / A VALUABLE REPUTATION


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昨日の当直は辛うじて昨日のうちに終わり寝たはずなのですが,夜中にPHSが鳴った様な気がして起きてしまいそれ以後眠れなくなってしまいました。一回起きてしまうとやはり当直室は寒く感じられこれでいかんと思い早々に研究室に移動してエアコンのスイッチを入れてオイルヒーターで暖をとっていました。困ったものです。

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New York Timesを読んでいたら面白い記事というかエッセイを見つけました。
アメリカの元財務長官でハーバード大学の学長もしたサマーズ氏の”What You (Really) Need to Know“というタイトルです。
時代が変わっているのだから教育システムも変わる必要があるということを主張した文章です。
このエッセーを巡って紙上debate(“English Is Global, So Why Learn Arabic?“)も開催されています。

主張が箇条書きにされているのですが少し引用してみます。(ぼくが一部を太字にしました)

  1. Education will be more about how to process and use information and less about imparting it. This is a consequence of both the proliferation of knowledge — and how much of it any student can truly absorb — and changes in technology.
  2. An inevitable consequence of the knowledge explosion is that tasks will be carried out with far more collaboration. As just one example, the fraction of economics papers that are co-authored has more than doubled in the 30 years that I have been an economist.
  3. New technologies will profoundly alter the way knowledge is conveyed. Electronic readers allow textbooks to be constantly revised, and to incorporate audio and visual effects.
  4. As articulated by the Nobel Prize-winner Daniel Kahneman in “Thinking, Fast and Slow,” we understand the processes of human thought much better than we once did. We are not rational calculating machines but collections of modules, each programmed to be adroit at a particular set of tasks.
  5. The world is much more open, and events abroad affect the lives of Americans more than ever before. This makes it essential that the educational experience breed cosmopolitanism — that students have international experiences, and classes in the social sciences draw on examples from around the world.
  6. Courses of study will place much more emphasis on the analysis of data. Gen. George Marshall famously told a Princeton commencement audience that it was impossible to think seriously about the future of postwar Europe without giving close attention to Thucydides on the Peloponnesian War.

まあこれってよく言われることですよね。ちきりん氏の「自分のアタマで考えよう
」でも同じような主張はされています。でもサマーズ氏がこのようにまとめると権威あります。

このエッセーでサマーズ氏は

English’s emergence as the global language, along with the rapid progress in machine translation and the fragmentation of languages spoken around the world, make it less clear that the substantial investment necessary to speak a foreign tongue is universally worthwhile. While there is no gainsaying the insights that come from mastering a language, it will over time become less essential in doing business in Asia, treating patients in Africa or helping resolve conflicts in the Middle East.

と述べているのですがこの部分について紙上debateが行われています。

たぶん近い将来にに日本語をしゃべったり書いたりするそばから英語やフランス語に翻訳されていくシステムができると思います。
留学をしない,しなくてもよい理由をいくら並べてみても栓がありません。当たり前ですが英会話がうまくなるために留学するわけではありません。より広い視野を獲得するために留学するのですから。

Nature Cell Biologyに
The LIMD1 protein bridges an association between the prolyl hydroxylases and VHL to repress HIF-1 activity
Nature Cell Biology (2012) doi:10.1038/ncb2424
という論文が出ていました。これは面白いです。しかしこの論文はぼくらの2001年の論文の解析の途中でもある程度予想されていたような事象だと思います(参照-Web of Scienceの統計では507回引用されたようです。)。

今年も「キアドラ」が届きました。

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医学界新聞を読んでいたら”Experimental Design for Biologists“の邦訳「バイオ研究のための実験デザイン -あなたの実験を成功に導くために」が出ているのを知りました。日本語は読んでいませんがよい本だと思います。

バイオ研究のための実験デザイン -あなたの実験を成功に導くために


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日経メディカルの記事

「基礎医学の教授に医師がいなくなってもいいのか」九州大学医化学分野教授 横溝岳彦氏に聞く

を読みました。

センセーショナルなタイトルなのですが要旨は医師免許を持つ基礎研究者の数が減っているという事実がありその背景や将来的な影響について横溝先生へのインタビューをまとめた内容です。

先生はこの事態を困った事態だととらえているようです。

この問題は日本の大学の制度と深い関係があると思います。

日本ではそもそも医学生に対する教員の数が例えば米国と比較して少ないということがあります。

例えば,平成21年に国立大学医学部長会議が当時の内閣総理大臣 麻生氏と文部科学大臣 塩谷氏に以下の様な内容の要望書を提出しています。

  1. 人口当たりの医師数を国際水準に引き上げるために、国立大学医学 部入学定員を大幅に増員すること
  2. 医学部教育の質を維持するために、学生あたりの医学部教職員数を 国際水準まで増員すること
  3. 前項に準じて、学生定員増にみあった教育施設の整備、教育経費の 措置をおこなうこと

日本では例えば生化学の授業は一般的には一つか二つかの講座に所属する教員が講義や実習を担当します。

基礎医学の講座の教員ですから大きな講座でも総勢5人もいれば大講座です。

このような状況で,研究能力を主に基準として雇用されている教授をはじめとする教員が教育への熱意や能力に欠けている場合があると講義はうまく成立しないかもしれません。これは教員が医者であるかどうかの以前の問題となります。さらに研究能力と教える能力が必ずしも相関はしません。つまり研究能力は高くとも学部学生を教育するー基本的な知識を効率よく伝授することー能力が高いとは言えない場合があります。この逆ももちろん成立します。

医学教育とくに基礎的な医学教育では特に最先端の知見を学生に伝授すると言うよりは医者として診療に関わる際に必要な生化学,生理学などの原理を実習と共に学んでもらうということが求められます。ここで教員が医者であるかどうかがここで大きく問題になることはぼくは無いと思います。

この知識の伝達が上手に出来る人であればだれでも”よい”講義をすることが出来るはずです。こういったことのための教員を雇えば良いのだと思います。

こう考えてくると現在の医学部の授業はもっと効率的にできると思います。

所属大学の教員が講義を行わなくとも内容を練りに練ったビデオを利用した講義を自由に学生に受講させることは十分可能です。この際講義内容に多様性など必要はありません。基本的な知識が正しく伝達されることがまず重要なのです。話が面白いだけの講義を聴いても最低限の目標さえも達成できない場合もあります。
そう考えると医者を養成する医学部も要らないと言うことになるのかもしれません。

まとめると,教員の数が学生の数に対して十分であり授業も効率的に行われれば「教授」が医者であろうがなかろうが大きな問題にはならないし現代的にはいくらでもそれを克服する手段が存在すると云うことです。

あくまでも医者を養成するという観点からですが,ぼくは基礎医学の教授に医師がいなくなってもいいと思います。

この問題とは別に医者が基礎研究をしないというのは問題だと思います。

研究レベルに関して言えば、医学部出身ではないPhDが研究室にたくさん入ってきていることは、決してネガティブな要素ではありません。しっかり研究をデザインして結果を出す能力は、むしろ理学部や農学部出身者の方が高いと思うので、その点は問題ではありません。懸念しているのは、大学の最も重要な機能である教育に支障が出るのではないということです。

と横溝先生はおっしゃっていますが,これにはぼくは与しません。
医学研究には米国でいうMD/PhDとかMD scientistが果たす役割が基礎医学研究においてさえもまだあると思います。臨床医学の現場で得たある種の能力は研究の遂行を利することはあってもそれの障害となることは無いと思っています。その意味では医者の免許を取得して二年間の臨床研修を終えることにはその後基礎研究の道に進む者にとっても大きな意味があると思います。医者はもっと基礎研究に関与すべきなのです。一時期にせよ患者と向き合った経験がある者でないと気づかないことはたくさんあります。そのための基礎研修の二年は決して遠回りでは無いと思います。

今は、博士号という資格と専門医という資格を天秤にかけたときに、どうしても専門医の方が優先されます。若い医師が専門医を取ることに集中してしまって、研究の楽しさや醍醐味を味わわないままに、30歳を過ぎしまう。それなりの臨床のキャリアを積んで、家族がいて、子供がいてという状況で、大学院に入り直して研究のイロハから学ぶというのは、現実的になかなかできない。研究というのは、お金も時間もかかりますから。それが一番大きい原因だと私は思います。

これはどの診療科の専門医かによります。麻酔科の専門医を取得するのはまだまだ簡単です。帝王切開の麻酔をしたことのない専門医でもOKですし,肺動脈カテーテルを挿入したことがなくともOKです。

また大学院生の方がよほど効率よく稼ぐことが出来る時代になっていると思います。

年齢の問題は確かに深刻です。
ぼくも大学院を出て大学病院で助手をしてながらうろうろしていたら35歳過ぎていました。

様々な奨学金や「若手」を対象としたグラントなどに年齢制限が厳然として存在します。外国のグラントは博士号取得から何年というような制限はあっても実年齢をもっての制限があるものは少ないと思います。まるで医者を何年かやった者は研究にたずさわるなと言っているようなものです。

基礎研究を盛んにするために提案です。

東京大学の医学部の卒業生は臨床研修終了後,5年間は臨床医をするのを禁止してはどうでしょうか。全員が何らかの研究に従事するのです。これだけで日本の医学研究の底上げできるとぼくは思います。
医者でないものが基礎医学の教育にたずさわることの是非よりもっと重要な事だと思います。

あるブログエントリーを読みました。(阪大医学部の不正経理について思うこと
大阪大学医学部で起こった研究費の不正経理に関する論考です。

起こったことは新聞報道もされました。
lazybones氏は

研究費が一部の研究者へ集中することの弊害が、研究者自身によって的確に指摘されている。「金余り現象」を生み出す一部の研究者への研究費集中、これを排除するための方策を立てることが焦眉の急であろう。

と主張しておられますが,金を持っていない研究者もいくらでも不正をします。
これは論文の捏造と同じです。大きなお金がからむ不正は摘発されると影響は大きいです。新聞報道もされます。
捏造も舞台がNature, Cell, Scienceなどだと大きく取り上げられますが,誰も知らない雑誌であれば問題とならない場合もあります。しかし等しく不正は不正です。

ちょっと10万円余っているからモニターを買うと称してテレビを買って研究室ではない場所に置いておくなど実際にある事です。逆にどう考えても不正ではないと思う支出に対しては疑義を呈されて何枚も意見書を提出させられました。今日も書きましたし。時間だけどんどん取られます。気分も悪いし。ほんと暴れたくなります。

また不正の告発はなかなか難しいです。

皆が日常的にやっていることに目くじらを立てすぎるとぼくみたいに妙なe-mailを送りつけられ,研究所から追い出される羽目になります。

困ったことのような気もしますが,それが実情だと言うことだと思います。

それにしても阪大のおっちゃん好き放題にやっていたんですね。

年に3回くらいは海外の学会に出席してもバチは当たらないような気もしますが”バカ”な教員にはその時間が与えられません。

麻酔科関連の学会でも出ているのは日本麻酔科学会の学術集会と地方会くらいです。あとはせっせと麻酔しています。

http://farm6.static.flickr.com/5092/5441348276_819043532e_m.jpg

Prolyl hydroxylase 3 (PHD3) is essential for hypoxic regulation of neutrophilic inflammation in humans and mice.

J Clin Invest. 2011 Feb 7. pii: 43273. doi: 10.1172/JCI43273.

こうなるとますます混迷が増してきますね。でも面白いです。
FIH-1ネタも一つ
von Hippel-Lindau Protein Adjusts Oxygen Sensing of the FIH Asparaginyl Hydroxylase.

Int J Biochem Cell Biol. 2011 Feb 10. [Epub ahead of print]

タイトルだけ見て卒倒しかけました。でも読んで安心しました。これはおタッキーな論文なので面白くないと思う人がほとんどだと思います。


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