麻酔科登山会 山行#1

On 2016/5/16 月曜日, in hypoxia reseacrh, by bodyhacker

麻酔科登山会 山行#1

先日、麻酔科の後期研修医のO方先生がワンダーフォゲル部だということを知りぼくも学生時代には登山会に所属していたのでその場で麻酔科登山会の結成が決まり今日第一回の山行を日曜日(2016/05/15)に行いました。

当初二人でと計画したのですが、どんどん参加者が増えて、後期研修医3人と大学のワンゲル部員4人とぼくの8人での山行となりました。

集合の阪急芦屋川駅について外に出てみると30人くらいの街コンというか山コン風な男女が集合していました。6人ほどのsmall groupに分かれて出発なのですがgroupのリーダーは完全装備の山ガールというこれまたありがちな構成になってました。その後に興味があったのですがぼくらより遥か先行していたので解らずじまいです。

ぼくらも外形的には女子4人、男子4人なのですがぼくだけ他の参加者の年齢x2より歳取っているという感じのグループでした。

 

六甲山横断 芦屋~最高峰~有馬温泉

をルートとしました。

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  • 阪急芦屋川駅: 7:50
  • 高座の滝、六甲ロックガーデン
  • 風吹岩
  • 雨ヶ峠
  • 東おたふく登山口-土樋割峠-七曲り
  • 11:30: 一軒茶屋 :12:10
  • 13:20: 有馬温泉
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と結構時間を掛けて歩いたことになります。

東おたふく登山口-土樋割峠-七曲り

を通るのは初めてでした。ちょっとした草原を歩く感じでここはよかったです。

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途中下痢患者が出たり、有馬温泉へ降りはじめたとたんにトレッキングシューズのソールがはげたメンバーがいたりしましたが皆無事有馬温泉まで歩きりました。

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かんぽの宿で温泉で汗を流して Hotel Morgenrotの内のグリル六甲で下山してきた登山者向けのビールセットで乾杯。

バスセンターで解散となりました。

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かんぽの宿は自家泉源の金泉です。 これも当初は「銀の湯」でと考えていたのですがどうせ一杯で落ち着いて入浴できないだろうと思い山を下りた最寄りのホテルに決めました。 空いていました。

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快晴、5月の気持ちのよい風が吹き渡り気持ちの良い山行となりました。

皆さんお疲れ様でした。

次は、秋になったら武奈ヶ岳か金剛山が御在所岳にでもと考えています。


ピーターバラカン氏が

などと発言したということで一種の炎上となっていました。

Apple Musicで BABYMETAL

METAL RESISTANCE

を聴いてみました。 特に目くじらを立てるようなものではないと思いました。

紅月 -アカツキ-

などとてもよくできていると思いました。

石川淳の 至福千年

を思い出しました。

【追記】

「紅月ーアカツキ」うたっていたSU-METALが当時14歳くらいだったと知ってびっくりポン


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「よい研究をしろ」と師匠はいった

On 2014/9/29 月曜日, in hypoxia reseacrh, by bodyhacker

 

前回のエントリーの続きです。

前回のネタの続編に「本質的なことをやりなさい」というエントリーがあります。 今日はこれで少し書いてみます。

ここで出てくる(敬語の使い方がなっていないのかもしれない)先生は、同窓生なら誰でも知っている(これも敬語がなっていない)あのN先生です、たぶん。


ぼくは授業は受けたことがあるけど先生の院生だった訳ではありません。

大学院のリトリートで有馬温泉の兵衛向陽閣(そうですあの向陽閣です。 参照1, 参照2)で大学院のリトリートがあったときに結構長い時間をかけて彼の研究哲学を語ってくれたのを聞いて合点がいった経験はあります。

沼さんに「お前のやっていることには意味がないんじゃ」などといわれながらProstaglandin研究を続けた話などには素直に感銘を受けました。

その折りに「本質的なこと」論について触れたかどうかは実は覚えていなかったのですが講演を聞いたときにとったメモを見たら書いてありましたね。(一応、これはと思う講演などはMoleskineに記録はとってあります。「知的生産の技術」の基本です。)


N先生は、どういう巡り合わせか麻酔科の院生の学位の審査員となることが多かったと思います。ぼくと一緒にやった院生の審査にも何度かきてくれました。 論文には、明示してある結論とは別にメインとはいえないがそっちの方が生物学的にはよほど不思議で意味があるーと少なくとも自分では思っているーというような現象なりを含んでいる場合がありますが、自分としてはそこが実は一番重要というか「好き」な部分だったりするようなことをさっと発見して指摘してくれるということが何度かありました。するとぼくなど単純ですから「さすがN先生だ」と思うわけです。相当その分野の動向に精通していないとそういった質問はそもそも発想すらできなかろうというようなことをさっと繰り出してくるのです。かなりの回数の学位の講演会に参加しましたがこの類いのコメントはN先生以外からからは出てきませんでした。


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ぼくが入門した麻酔科の当時の教授だった森健次郎先生 (ぼくは彼に入門して破門されてまた拾ってもらったのです)は、ぼくには「よい研究をしろ」といったと記憶しています。偉い先生の例に漏れず「よい」研究とは何かについて具体的なことを言ってくれるわけではありませんでした。

「一流」の研究室(当時でも京大にはいくらでもあった)に行ってそこのテーマで「ハウス栽培的」に論文を作るのはつまらないともいわれた覚えもありますからいまならiPS細胞を使って何かやるというようなテーマは森先生的にはNGかもしれません。10年経ってもそのテーマを追いかける価値のあるテーマを大学院の時に探せといわれました。

またさらにお前のようなバカが見つけたことが直ぐに臨床現場で役立つなどと思うなともいわれました。 冷静に考えるとそれはそうなんですけど幼気な若者はそう考えがちだし結構いい歳とった研究者でもそう考えている人がいてちょっとびっくりすることもあります。

そして森先生に常々言われたのは、「二流研究者」を目指せということでした。これについては以前書いたことがあります。


森先生は実は36歳くらいで京大の教授になって以後四半世紀以上ほぼ同じテーマをあらゆる角度から検証するというスタイルで研究を継続してきた人です。 森先生がどのような研究をしてきたのかは大学院を出て麻酔科に「回収」してもらうまでは全く知りませんでした。助手になってから、何度も話を聞いているうちに先生の研究の概略を知ることになりました。 大晦日とか三が日でも研究室にやってきて帰宅時にぼくの部屋にやってきては30分ほど「じゃま」をするのです。それだけ何度も話を聞かされると門前の小僧みたいにはなります。先生の代わりに一時間くらいは場を持たせるくらいできるのではないかと思ったこともありました。実際に、退官に際しての先生の最終講義ではぼくの知らない事は一つもありませんでした。

森先生の学問体系はいわゆる教科書にはまとまって記載されていませんが首尾一貫したものです。「形」として世に出ていないのは残念です。門下生にもどれくらい理解されているのか不明です。 その学問体系は森先生の中では未完として認識されていて、定年が間近になってくると部屋にきてはこれで大学を辞めたらもう仮説の検証ができなくなると何度も嘆いていたのを覚えています。退官してからも医学部の図書館で論文検索をしたり論文のコピーをとっていたはずです。

もしかして成仏できていないのではないかと心配しています。

森先生は自分の研究の話をするときはすこし人格が違っていてぼくが「それはないだろう」などと茶々をいれると本気で反論してきてあげくにはお前のようなバカには理解できないだろうといわれた事もありました。(一度破門されたということもありぼくは森先生には基本的に「バカ扱い」されていたのです。というか世の中の90%くらいの人はバカ扱いしていました。「あいつは”うなぎ”の脳みそくらいの知性しかもっていないなどと余所の偉い先生の事を論評したりしていました。)

今調べたら森先生が著者として入っているすべての論文のうち被引用回数の一位と二位はぼくの論文でした。

森先生には先生が生きているうちには一度もほめてもらったことがありませんでした。生きているうちに教えてあげて誉めてもらいたかったです。

でもやっぱりお前はバカだと言われたかもしれません。


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知的生産の技術とセンス 知の巨人・梅棹忠夫に学ぶ情報活用術 」という新書が出版されました。

直ぐわかるとおりに梅棹忠夫さんの「知的生産の技術」へのオマージュです。

知的生産の技術」は今でもそのまま通用する今日性を持っていました。ぼくの持っている岩波新書は1969年の第4刷です。しおりが付いていて値段は150円と印刷されています。

例えば 10.「原稿」の章に「かならずコピーをする」という段落があります。

原稿を出版社に送る場合などにはコピーを取ることを忘れずにということを述べているのです。 当時はコピー機がなかったので簡単にコピーが取れなかったのですね。ちょっと時代がかっている記述だなと一瞬思うのですがこれも現代的な問題です。

実は今でもパソコンを使っていても「コピー」というかバックアップを取らない人がいます。ハードディスクが壊れて結局ファイルが失われてしましまいます。USBに保存してそれを無くしておじゃんということもあります。

また作業履歴などを残さない人がいます。残っているのは最終校のみという人がほとんどです。 原稿をパソコンのワープロで作成して過程でどんどん上書きしてしまい過去のバージョンが残さない人がほとんどです。パソコンのワープロを使う最大の利点の一つはversionを簡単に残せることです。

5.「整理と事務」 の最終段落では、整理や事務の技法について考えることは、能率の問題ではなく実は精神衛生の問題なのだと主張しています。つまりそれによって生活の「秩序のしずけさ」が欲しいのだと。すごく納得します。


このように考えれば「知的生産の技術」は今でも十分通用するハック本です。というより現在世間に出回っている多くのハック本のネタ本に「知的生産の技術」はなっているのです。

知的生産の技術とセンス 知の巨人・梅棹忠夫に学ぶ情報活用術 」です。 「知的生産の技術」を読んでおけばよりよいと思いますが読んでいなくともまったく問題なく内容に入っていけると思います。 自分の「知的生産」に少しでも困難を感じている人は読めば何かしらのヒントを見いだせるのではないでしょうか。

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原石を磨く 六甲山横断山行

On 2013/4/30 火曜日, in Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

新人のプロモーション

休日でしたが故あって早起きをしました。

テレビをつけるとNHKで「ホリデーインタビュー」の放送が始まるところでした。

インタビューを受けるのは作家の「綿矢りさ」さんでした。

結局全部見てその後電車の中ですこし考えました。

 

綿谷さんは19歳で芥川龍之介賞を受賞し(今でも最年少記録。大江健三郎でも23歳でした。)受賞作「蹴りたい背中 」はミリオンセラーとなったそうです。 しかしその後は精力的に作品を発表してきたとはいえなかったと思います。

大学を卒業後結局は京都に戻り小説の執筆以外にいろんな種類のアルバイトなどを経験して二三年前くらいからかなり旺盛に作品を発表するようになりました。

このようにして今や立派な女流作家に成長されました。

その様な経緯をご自身の言葉で語られていました。

 

芥川賞は新人作家に与えられる文学賞ですので受賞時点ではその作家が将来どうなっていくかについては未知だと言えるのですが受賞作家の多くはその後順調な作家としての成長を遂げているように思えます。

設立者の菊池寛自身は「むろん芥川賞・直木賞などは、半分は雑誌の宣伝にやっているのだ。そのことは最初から明言してある」(参照)と話していたのだそうです。

その意味では「業界」としては受賞者にコケてもらっては困るのだと思います。

とにかく受賞者には本が売れる作家に成長してもらいたいという業界というか編集者の考えがあって必死に育てると持って生まれた才能が開花するという訳です。

具体的にどのようなサポートを行うのかについてはぼくは知りませんが小説「1Q84」には「ふかえり」のプロモーションの様が語られていました。どうやるとしてもとにかく作家が持つ「才能」を見抜くところから出発しないとどうしようも無いと云うことはあると思います。

と書いて今気付いたのです綿谷さんは1984年生まれなのですね。

 

 

研究者の世界にこういう制度はあるのでしょうか。毎日研究室で一緒に生活しなくとも様々な学会やミーティングを通して交流すれば眼の前の若者がどれくらいのものなのかはある程度見抜くことができるます。ここでは学校歴とか少し論文の数が多いとかは大した問題にはなりません。

学会賞などを全くの新人が受賞することはありません。学会賞を受賞したといってもだからといって研究者としての将来が約束されている訳でもありません。学会賞の受章者を必死にプロモートしてくれる人もいません。だいぶ事情が異なるようです。才能を誰かが見抜くと言うより大勢の中から頭角を現し始めた若者をピックアップする感じでしょうか。

日本でも増えてきているテニュアトラックのポジションの選考などはこのようなプロモーションの機会と言えるかも知れません。ただこの場合「業績」が占める比重が高くなっていると思います。将来性だけでは例えば京都大学のテニュアトラックの職を得ることはできないのが現状ではないでしょうか。

しかし業績って実際の処どれくらいに評価されるのでしょうか。日本学術振興会の「基盤研究」などは業績を余り高く評価していないと感じます。 

 

 

臨床医の場合は事情はすこし異なります。国家試験に合格した先生方は突如臨床現場に現れます。適性とかそういったことはとりあえず誰も考えていません。とにかく大学を卒業して国家試験に合格した若者です。

こういった状況で私たちはとにかく「来た」または「来てくれた」先生方を育てていくしかありません。

小説で「野ブタ。をプロデュース」という小説が発表されテレビドラマになりました。ドラマでは「野ブタ」役は堀北真希さんだったので磨けば光る原石だったのです。

職場を移って磨けば光る原石という感じが解り始めてきたような気もします。でも才能を見抜いても本人は麻酔科医にはならず別の診療科に進む場合もあります…

 

ところでこの番組のインタビュアーはNHK京都放送局の中川緑さんでした。

アナウンサーはばっちりハイビジョン対策をしているのでしょうか1966年生まれの彼女は1984年生まれの綿谷さんより肌がきれいに映っていました。

綿矢りさは別方面のプロモーションをしたらもっと輝くよ、だぶん。

 

六甲山横断

昨日の昭和の日に思い立ってハイキングに出ました。

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コースは

芦屋川ーロックガーデンー六甲山頂ー有馬温泉

というベタなコースです。

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朝7時に家を出て8時半から歩き始めて11時45分には有馬温泉にたどり着きました。

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30年前から数えたら何度かたどったコースだし、ガイドブックのはじめの方で紹介されている何の変哲もないこれを山行といえるのかよくわからん山行でしたがしんどかった。心肺機能の衰えをハッキリと自覚しました。

前を歩く人たちをどんどん抜いて進んだのですが登坂をものともせずに走って昇っていたあれは登山者ではなくランナーにあっさり抜かれました。トレーニングの一環で六甲山を走っているのだと思います。加藤文太郎をめざしているのでしょうか。

六甲から有馬温泉に降りる道で膝をやられました。靴はケチらずちゃんとしたものを買う必要があります。

有馬温泉で「銀の湯」・「金の湯」と廻って温泉を堪能して帰宅しました。

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今朝話したら研修医のM山先生がのってきました。今度行きますかい?

 

昭和の日に大正天皇の評伝を読み返しました。(参照)


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