がんとハイポキシア研究会の世話人をやっています。

バイオストレス研究会の世話人もやっています。


“Figure1”

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Harvard大学にDr. William G. Kaelin Jr.という研究者がいます。

腎癌とか副腎腫瘍の研究ですごく有名人ですがその研究から細胞の低酸素感知機構の分野の研究に展開してこの分野での貢献が認められ他の二名の研究者とともに昨年のAlbert Lasker賞を授賞しました。 このようなエラい人なのですが,一度某meetingで吠えていたのを目撃して以来なんか怖い人ではないかという先入観をぼくは持っていました。ちなみに,日本から彼のlabに留学した人は結構多いです。

最近啓蒙活動をしているらしく “Common pitfalls in preclinical cancer target validation” なども最近出版していました。

今日紹介するのは Nature誌に発表された Publish houses of brick, not mansions of strawという論説です。

Papers need to include fewer claims and more proof to make the scientific literature more reliableという主張が展開されています。

 

最近科学論文特に生命科学分野の論文の再現性が大きな問題となっています。 捏造とか改竄は置いておくとしてもある論文の結果を定性的かつ定量的に再現することができないという事態がそこここで起こっているわけです。

そもそも高価な測定機器や特殊な遺伝子改変マウスを用いた研究は機器・マウスを利用できない環境にある研究者は再現を試みることもできません。

 

そうこうしているうちに,Like the proverbial boiled frog that failed to leap from a slowly warming pot of water, biomedical researchers are stuck in a system in which the amount of data and number of claims in individual papers has gradually risen over decades という事態に陥っていると主張しています。

つまりこの事態は The danger is that papers are increasingly like grand mansions of straw, rather than sturdy houses of brick. だというわけです。

Kaelin氏はLasker賞を授賞する位ですから,細胞の低酸素感知機構研究の分野で大きな仕事をいくつもしています。

Negative regulation of hypoxia-inducible genes by the von Hippel-Lindau protein. O. Iliopoulos et al. Proc. Natl Acad. Sci. USA 93,10595–10599; 1996HIFalpha targeted for VHL-mediated destruction by proline hydroxylation: implications for O2 sensing. M. Ivan et al. Science 292, 464–468; 2001は今でも読み継がれているこの分野の正典です。読んでいない奴はモグリだという様な意味です。

しかしこの二つの論文もあわやrejectという状況だったのだそうです。

前者は,” failing to include a clear mechanism and animal experiments”という理由で後者は”because we hadn’t identified the enzyme responsible”という理由で。

しかし”Fortunately, an experienced editor intervened, arguing that publication would open the search for the enzyme to other groups”という事で日の目を見たのですが “such reprieves seem less common today”だと。

そうですよね。結構おもしろくとも純粋な現象の報告はいわゆるprestagiousな雑誌に掲載されることはありません。

 

という訳でKaelin氏は論文とは”Figure1″で提示されるobservationを強固に補強するようなものであるべきだと主張します。 この”Figure1″という言い方というか概念は,大学院生だったときに指導してくれた先生にも何度もいわれた概念です。 現在の査読制度では,主主張から解離した些末な追加実験などが要求されすぎているという訳です。

一昔前は例えば “an entire paper could consist of the detection of two proteins that bound to one another and the follow-up experiments to establish that binding occurred in living cells”なのに しかし今や”Figure1″どころかSupplemental Figure1まで繰り出さないと収まらないほどのdata量が要求される時代になってしまいました。

 

今回おもしろいと思った点はもう一つあります。Kaelin氏のような臨床出身(彼は泌尿器科医だったはずです)の研究者が,”We need to stop telling basic scientists, especially trainees, that their work’s value lies in its translatability“と述べていることです。” We must return to more careful examination of research papers for originality, experimental design and data quality, and adopt more humility about predicting impact, which can truly be known only in retrospect.” だということです。 これはぼくのもう一人の師匠から随分といわれた事です。

「あなたの研究が臨床に役に立つとか人を救うとかそんなことをあんたのような頭の悪い人間が考える必要はないのだ。そんなことよりとにかくよいサイエンスを行いなさい」というアドバイスです。

よい論文は他人に引用されていつか世界を変える世界は変わらなくとも他人の世界観を変えるはずたという訳です。

彼の文章は The main question when reviewing a paper should be whether its conclusions are likely to be correct, not whether it would be important if it were true. Real advances are built with bricks, not straw.

と結ばれています。

ちょっと勇気つけられました


Powers of Two

かくて行動経済学は生まれり」という本が出版されました。

これは,“The Undoing Project: A Friendship That Changed Our Minds”の邦訳です。多分一年経っていません。

内容は,書評を参照してください。

心理学者ダニエル・カーネマンと共同研究者エイモス・トベルスキーの評伝です。エイモス・トベルスキーはすでに無くなってしまったのでノーベル賞を受賞できませんでした。

ぼくは邦訳を読んでいませんがとてもおもしろくて感動的な物語です。

POWERS OF TWO 二人で一人の天才」という本もありこの二人も取り上げられています。

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「よい研究をしろ」と師匠はいった

On 2014/9/29 月曜日, in hypoxia reseacrh, by bodyhacker

 

前回のエントリーの続きです。

前回のネタの続編に「本質的なことをやりなさい」というエントリーがあります。 今日はこれで少し書いてみます。

ここで出てくる(敬語の使い方がなっていないのかもしれない)先生は、同窓生なら誰でも知っている(これも敬語がなっていない)あのN先生です、たぶん。


ぼくは授業は受けたことがあるけど先生の院生だった訳ではありません。

大学院のリトリートで有馬温泉の兵衛向陽閣(そうですあの向陽閣です。 参照1, 参照2)で大学院のリトリートがあったときに結構長い時間をかけて彼の研究哲学を語ってくれたのを聞いて合点がいった経験はあります。

沼さんに「お前のやっていることには意味がないんじゃ」などといわれながらProstaglandin研究を続けた話などには素直に感銘を受けました。

その折りに「本質的なこと」論について触れたかどうかは実は覚えていなかったのですが講演を聞いたときにとったメモを見たら書いてありましたね。(一応、これはと思う講演などはMoleskineに記録はとってあります。「知的生産の技術」の基本です。)


N先生は、どういう巡り合わせか麻酔科の院生の学位の審査員となることが多かったと思います。ぼくと一緒にやった院生の審査にも何度かきてくれました。 論文には、明示してある結論とは別にメインとはいえないがそっちの方が生物学的にはよほど不思議で意味があるーと少なくとも自分では思っているーというような現象なりを含んでいる場合がありますが、自分としてはそこが実は一番重要というか「好き」な部分だったりするようなことをさっと発見して指摘してくれるということが何度かありました。するとぼくなど単純ですから「さすがN先生だ」と思うわけです。相当その分野の動向に精通していないとそういった質問はそもそも発想すらできなかろうというようなことをさっと繰り出してくるのです。かなりの回数の学位の講演会に参加しましたがこの類いのコメントはN先生以外からからは出てきませんでした。


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ぼくが入門した麻酔科の当時の教授だった森健次郎先生 (ぼくは彼に入門して破門されてまた拾ってもらったのです)は、ぼくには「よい研究をしろ」といったと記憶しています。偉い先生の例に漏れず「よい」研究とは何かについて具体的なことを言ってくれるわけではありませんでした。

「一流」の研究室(当時でも京大にはいくらでもあった)に行ってそこのテーマで「ハウス栽培的」に論文を作るのはつまらないともいわれた覚えもありますからいまならiPS細胞を使って何かやるというようなテーマは森先生的にはNGかもしれません。10年経ってもそのテーマを追いかける価値のあるテーマを大学院の時に探せといわれました。

またさらにお前のようなバカが見つけたことが直ぐに臨床現場で役立つなどと思うなともいわれました。 冷静に考えるとそれはそうなんですけど幼気な若者はそう考えがちだし結構いい歳とった研究者でもそう考えている人がいてちょっとびっくりすることもあります。

そして森先生に常々言われたのは、「二流研究者」を目指せということでした。これについては以前書いたことがあります。


森先生は実は36歳くらいで京大の教授になって以後四半世紀以上ほぼ同じテーマをあらゆる角度から検証するというスタイルで研究を継続してきた人です。 森先生がどのような研究をしてきたのかは大学院を出て麻酔科に「回収」してもらうまでは全く知りませんでした。助手になってから、何度も話を聞いているうちに先生の研究の概略を知ることになりました。 大晦日とか三が日でも研究室にやってきて帰宅時にぼくの部屋にやってきては30分ほど「じゃま」をするのです。それだけ何度も話を聞かされると門前の小僧みたいにはなります。先生の代わりに一時間くらいは場を持たせるくらいできるのではないかと思ったこともありました。実際に、退官に際しての先生の最終講義ではぼくの知らない事は一つもありませんでした。

森先生の学問体系はいわゆる教科書にはまとまって記載されていませんが首尾一貫したものです。「形」として世に出ていないのは残念です。門下生にもどれくらい理解されているのか不明です。 その学問体系は森先生の中では未完として認識されていて、定年が間近になってくると部屋にきてはこれで大学を辞めたらもう仮説の検証ができなくなると何度も嘆いていたのを覚えています。退官してからも医学部の図書館で論文検索をしたり論文のコピーをとっていたはずです。

もしかして成仏できていないのではないかと心配しています。

森先生は自分の研究の話をするときはすこし人格が違っていてぼくが「それはないだろう」などと茶々をいれると本気で反論してきてあげくにはお前のようなバカには理解できないだろうといわれた事もありました。(一度破門されたということもありぼくは森先生には基本的に「バカ扱い」されていたのです。というか世の中の90%くらいの人はバカ扱いしていました。「あいつは”うなぎ”の脳みそくらいの知性しかもっていないなどと余所の偉い先生の事を論評したりしていました。)

今調べたら森先生が著者として入っているすべての論文のうち被引用回数の一位と二位はぼくの論文でした。

森先生には先生が生きているうちには一度もほめてもらったことがありませんでした。生きているうちに教えてあげて誉めてもらいたかったです。

でもやっぱりお前はバカだと言われたかもしれません。


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知的生産の技術とセンス 知の巨人・梅棹忠夫に学ぶ情報活用術 」という新書が出版されました。

直ぐわかるとおりに梅棹忠夫さんの「知的生産の技術」へのオマージュです。

知的生産の技術」は今でもそのまま通用する今日性を持っていました。ぼくの持っている岩波新書は1969年の第4刷です。しおりが付いていて値段は150円と印刷されています。

例えば 10.「原稿」の章に「かならずコピーをする」という段落があります。

原稿を出版社に送る場合などにはコピーを取ることを忘れずにということを述べているのです。 当時はコピー機がなかったので簡単にコピーが取れなかったのですね。ちょっと時代がかっている記述だなと一瞬思うのですがこれも現代的な問題です。

実は今でもパソコンを使っていても「コピー」というかバックアップを取らない人がいます。ハードディスクが壊れて結局ファイルが失われてしましまいます。USBに保存してそれを無くしておじゃんということもあります。

また作業履歴などを残さない人がいます。残っているのは最終校のみという人がほとんどです。 原稿をパソコンのワープロで作成して過程でどんどん上書きしてしまい過去のバージョンが残さない人がほとんどです。パソコンのワープロを使う最大の利点の一つはversionを簡単に残せることです。

5.「整理と事務」 の最終段落では、整理や事務の技法について考えることは、能率の問題ではなく実は精神衛生の問題なのだと主張しています。つまりそれによって生活の「秩序のしずけさ」が欲しいのだと。すごく納得します。


このように考えれば「知的生産の技術」は今でも十分通用するハック本です。というより現在世間に出回っている多くのハック本のネタ本に「知的生産の技術」はなっているのです。

知的生産の技術とセンス 知の巨人・梅棹忠夫に学ぶ情報活用術 」です。 「知的生産の技術」を読んでおけばよりよいと思いますが読んでいなくともまったく問題なく内容に入っていけると思います。 自分の「知的生産」に少しでも困難を感じている人は読めば何かしらのヒントを見いだせるのではないでしょうか。

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