「キャパの十字架」がNHKで

少し前に雑誌文藝春秋に掲載された沢木耕太郎氏の「キャパの十字架」を紹介しました。(参照)

単行本化されるようです。(参照)早速予約しました。

2/3の日曜日にNHKでこれをテーマとしたドキュメンタリーが放送されるようです。

沢木耕太郎 推理ドキュメント 運命の一枚 ~”戦場”写真 最大の謎に挑む~

これは期待できます。沢木氏自身が例によって登場です。

問題は「観てから読むか,読んでから観るか」という事ですね。ぼくはもう読んでしまったのでどうしようもないのです。

比較するのはどうかと思いますが「イカ」よりおもしろいと思うのです。


Societyの成熟

体罰,暴行ってなんで今頃問題になっているんでしょう。日本の社会がある程度成熟してきたということなんでしょうか。それとも皆が何かをあげつらうような社会に日本がなりつつあるということなのでしょうか。

その割りにscientific societyはいまだに成熟度がいまいちなような気もします。

相変わらず論文はバンバンretractされるしだからといって何かが変わるでも無し。

再現性のない論文を平気で投稿する人がいると思えばそれを平気で採択してしまう雑誌がある。少なくとも自分たちのグループ内での再現性は必要最低限だと思いますけどね。そもそも他人にほとんど顧みられない論文だがらかそれはそれでよいのかな。確かに誰も追試しないのであれば「再現性」が問題になることはないですよね…

 


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二日連続で病院で寝ると身体の具合が悪くなっていきますね。

査読も今年分は全部終わったし年内自分らの論文の完成に向けてもう少しあがこうと思います。


「スポーツを読む」 から

火曜日の朝の日本経済新聞に”「スポーツを読む」-シンポ特集” が掲載されていました。

作家の沢木耕太郎氏が基調講演でスポーツ作品を書くことについて語ったあと、ロンドン五輪銀メダリストの三宅宏実氏、堀場製作所会長兼社長の堀場厚氏、テレビ東京アナウンサーの大橋未歩氏がスポーツ報道に求めることなどについて活発に議論した。

という趣向のシンポジウムです。 沢木氏の基調講演も掲載されていました(<基調講演>スポーツを書くということ)。

アメリカの記者は試合を見て、各自の頭の中でそれぞれの違うストーリーをつくっている。ジョーダンはどのような考えで、あの場面で3点シュートを放ったのか。なぜ失敗したか、成功したか。キーになる空白の箇所を聞き出したい。記者が描いた試合の見方の構図にピタッとはまれば、彼にとってのストーリーが完成する。だから他の記者の質問に関心がない。

日本の場合は、そういう記事のつくり方をしていない。「あの選手はこんなことを言ったのに、どうしてうちの新聞には載っていないんだ」という話になるのだろう。だから全部の記者が同じ談話をほしがり、 皆で共有する。

今年ほど科学報道が話題になった年はありませんでした。山中氏のiPS細胞の発明に関わるノーベル賞が大きなきっかけになりました。

ライフサイエンス 新着論文レビュー“などの試みが始まっていてこちら側からの切り込みは進んでいます(これ本当によいサービスですよ)がマスコミ例えば新聞からの切り込みは未だ不十分です。”Nature”, “Cell”, “Science”に掲載された論文はそのまま報道される。論文へのリンクなどは一切貼らない,曖昧なコメントがつくだけのお寒い状況はまったく変わっていません。これはiPS森口以後でもほとんど状況に変わりはありません。

そもそも研究成果は雑誌での発表とリアルタイムに報道される必要など全くなく一週間,一ヶ月,一年単位でじっくりと紹介・評価されればよいのだと思います。雑誌のimpact factorにしても二年くらいの時間の経過で同じ科学者仲間がいかにその論文を自分の論文に引用したかで計算されるのです。

研究成果を紹介するのに当該論分やその関連論分を読まずして論文を発表した本人の簡単なコメントだけを取って記事を書くような記者が「ジョーダンはどのような考えで、あの場面で3点シュートを放ったのか。なぜ失敗したか、成功したか。キーになる空白の箇所を聞き出したい。記者が描いた試合の見方の構図にピタッとはまれば、彼にとってのストーリーが完成する。だから他の記者の質問に関心がない。」というような取材態度に基づいての記事は書けないのも道理です。
New York Timesなどの科学記事を読めば自分たちの報道がいかに”いけてないか”解りそうなものですが…


「キャパの十字架」を読んで

雑誌文藝春秋の新年号に沢木氏の「キャパの十字架」というドキュメンタリーが掲載されています。

戦争報道の歴史に燦然と輝く傑作「崩れ落ちる兵士」──。だがこの作品は本当にキャパのものなのか? 七十六年間封印されていた「真実」がついに明らかになる。

という触れ込みです。これは面白いです。是非読んで見てください。

雑誌なので写真の質が悪いのが難点ですが単行本化されるときにはこの点は解決されると思います。電子版でinteractiveなものが出ればさらに楽しく読めると思います。

読んで以下の様なことを考えました。

例えば誰かがある科学上の学説を論文としてまとめたとします。論文の査読上は特に問題は指摘されず発見の価値も高いということで雑誌への掲載が決まりました。しかしその論文には「ウソ」が記載されていました (この際この「ウソ」が意図的なウソかどうかは問いません。とにかく科学的な手続きによって検証されうる「ウソ」が含まれているのです)。

一方その発見自体は他の科学者によって追試されていつの間にか科学的な定説となっていきました。つまり「ウソ」によって導かれた結論はそれ自体は「本当」だったのです。

こういう状況をどう考えますか。

hard coreは「正しい」のだからsoft shellの瑕疵は見逃すのでしょうか。それともshellの瑕疵に基づき一旦はcoreは棄却されるべきなのでしょうか。(参照

沢木氏の考察の結果がどのようなものであるとしてもキャパの「崩れ落ちる兵士」または「人民軍兵士の死」は完全に一人歩きをしてきたのです。


2012年のベスト〜本(ノンフィクション)〜

去年に習って二系統に分けてみます。

 

まず非科学系

三位

Quiet” (参照)

二位

武器としての交渉思考」 (参照)

一位

Antifragile: Things That Gain from Disorder ” (参照)としようと思います。

実はまだ2/3位しか読んでいません。年末年始で読了したいと思います。

 

情報の呼吸法」(参照)

20歳の自分に受けさせたい文章講義」(参照)

などもよかったと思います。

 

次に科学系

三位

弱いロボット」(参照)

二位

医学と仮説」(参照) 出版されたのは昨年です。

一位

バイオパンク」(参照)としようと思います。

 

医学書などはぼくはほとんど読みませんが

内科救急 見逃し症例カンファレンス M&Mでエラーを防ぐ) (参照1, 参照2, 参照3)はタメになったとハッキリと言えると思います。

日本にもこういった文化が根付くとよいと思います。

 

ハイポキシア生物学の2012年を振り返って (参照昨年分もたぶんやります。


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医学部の学生の授業でしゃべりました。90分しゃべり続けるので疲れます。学会やセミナーでは長くても60分ですから30分も多いわけです。
出席者は余り多くありませんでしたが一番前に座っていた学生は結構よく勉強していたと思います。「血液ガス分配係数」も知っていました。ぼくがMacBook Airの設定でもたついていたら助けてくれました。試験ではがんばってください。難問奇問で皆さんに挑戦します。

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少し前にGroopmanの”Your Medical Mind: How to Decide What Is Right for You”の邦訳「医者は現場でどう考えるか
」について書きました。(参照
医者の思考の流れを症例を巧みに使って記述して陥りやすい判断の誤りなどを指摘したいくつかの章で構成されたものです。
患者と言うより一般的な読者を想定したものですが医者が読んでも読み応えはあるし医学生,研修中の医師が読めば症例のおもしろさも加わってとても有意義な読書体験となると思います。

英語版を以前に読んだのですが-日本からはKindle版を購入することはできませんー邦訳も各所で絶讃されていて書店で見かけたので邦訳を買って読んで見ました。
邦訳はだいぶこなれていて読みやすいと思いましたーところどころ一読意味が通らないと思う箇所がありますが大局には何の影響もありませんー。
Groopman氏はこれ以外にも多数の著書があります。
例えば”Second Opinions“なども「医者は現場でどう考えるか
」とほとんど同じ内容をこちらも症例にそってエッセー風に進めていく著作です。こちらにも邦訳が存在します。(セカンド・オピニオン―患者よ、一人の医者で安心するな!)
その他”The Measure of Our Days: New Beginnings at Life’s End”なども合わせて読みたい本です。
本の紹介にもありますがGroopman氏は”an eloquent new voice in the literature of medicine”と言ってもよい人物だと思います。

池信先生が熱烈に推薦している「Thinking, Fast and Slow」を読み始めました。Kindle版を買いました。英語も平易で進んでいますが読了までには時間が掛かると思います。

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数日前に調べ物をしていたら偶然「NHKスペシャル 沢木耕太郎 スポーツ・ドキュメント奪還~ジョージ・フォアマン 45歳の挑戦~」が番組ごとYoutubeに出ているのを発見しました。
ジョージ・フォアマンのタイトル戦までのドキュメント「奪還」
沢木耕太郎氏が文藝春秋で公表した同名のドキュメンタリーと同時進行で制作されたものです。
文藝春秋のドキュメントではタイトル戦の結果はまだ出ていないところで終わっていました。 (Number PLUS 2011 May―Sports Graphic 拳の記憶に収録されています。)幸運にもこのタイトル戦をテレビ(WOWWOW)で観戦できたことを覚えています。

「NHKスペシャル 沢木耕太郎 スポーツ・ドキュメント奪還~ジョージ・フォアマン 45歳の挑戦~」はNHKのスポーツドキュメントというよりすべてのドキュメントの頂点の一つを極めていると言ってもよいようなすばらしい番組です。
このドキュメントは過去に二回は観たのですがもう一回観たいものだと思っていたらYouTubeで視聴できて満足しました。何度観てもすばらしいです。

以前観たときはそのような感想は持ちませんでしたがフォアマンはすごく丁寧にキレイな英語で話します。彼が伝道師としてのキャリアの中で身につけたのだと思います。フォアマンは日本のテレビ局の取材なのに本当に真摯に語ります,改めて見直してびっくりしました。例えば「闘う目的があれば人はどんな苦しみにも耐えられるものだ」とか本当に真顔で語るわけです。

全編,沢木耕太郎のフォアマンへのインタビューと小林薫氏による沢木耕太郎のドキュメントの朗読で構成されています。その意味でこの番組も彼の「私ノンフィクション」の一つです。
例えばフォアマンがアリにknock outされたキンシャサでのタイトル戦は「壮大な精神の虚構が絶対の肉体を打ち負かしたまさに奇跡としか言いようの無い一瞬」などと表現されます。またフォアマンのこの45歳の挑戦は「粉々になった自我を拾い集める」ための挑戦だという風に語られます。
しかしこのドキュメントはこのような大げさな表現が妙にしっくりといく沢木流の番組に仕上げっているのです。

またこれまた沢木耕太郎が神がかっているとしか思えないのですがアリが番組主催中にテキサスに現れてインタビューに応じてくれたシーンまで入っているのです。
実はこのNHKの番組はフォアマンの「奪還」プロジェクトの唯一のドキュメントです。アメリカ人は全く興味を持っていなかったのです。ここら辺の興味の持ち方,何をテーマに選ぶかのセンスなどには学ぶべきものが多いと思います。

YouTubeでは「ジョージ フォアマン 奪還」で出ています。誰かが今年の9/21にupしてくれたようです。もしかしたら削除されるかもしれません。これを観ないとすれば確実に損をします。

フォアマンの自伝も出ています。これも読んだ方が良いです。(「敗れざる者―ジョージ・フォアマン自伝」)


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