奈良東大寺

On 2014/5/18 日曜日, in hypoxia reseacrh, by bodyhacker

朝から日当直です。

午前中にいろんな事ができて今日の予定を順調に消化して疲れたのでぼっとしています。

いつもの日曜日当直なら今の時間(午後3時)くらいにはお呼びが掛かって麻酔をしている場合が多いのですが今日は今現在何もありません。いつもと違うのでこのまま行くかもしれません。

6時くらいになっても何もなければ河川敷に出て夕日をながめようかと思っています。

【追記】

結局「出動」してしまい夕日を観ることはできませんでした。


連休の真ん中5/3に家内と東大寺を訪ねました。関西に30年以上いて一度も訪れたことがないことに気づき思い立ちました。 朝起きると雨だったのどうしようかと思いましたが結局出かました。難波で近鉄線に乗り換えて近鉄の奈良駅に到着です。 県庁前を通って直ぐに東大寺の境内に到着です。

小林秀雄に「」という随筆があります。

小林秀雄は1928年の約一年間を奈良で過ごしたことがあるそうで約20年後に奈良を再訪して東大寺の二月堂でボッとしていると「失われた時間」を読んだ事を想いだしそこから「時間」についてとりとめもない概念がうまれてきた、ということをつづったごく短い文章です。

二月堂ー大仏殿ー正倉院ー転害門を経て海龍寺まで彼は歩くのですが地図で調べるとものすごい距離になる事がわかり転害門-正倉院-大仏殿-二月堂と歩くことにしました。

脇道にそれて、大仏殿を表に回り込むと雨にも関わらず大勢の観光客で道があふれていました。修学旅行生も大勢いて修学旅行のメッカなのですね東大寺は。ぼくの高校時代の修学旅行は京都・奈良でしたが東大寺でなく薬師寺を訪ねたのでした。

小林秀雄は湧いてくる観念から逃れるように西に向かって早足で歩きながら 「私が信じているただ一つのものが、どうしてこれ程脆弱で、かりそめで、はかなく、又まったく未知なものでなければならないか」などと考えたのです。同行した家内はもちろんこんな事は知りません。呑気に鹿にエサをやっていました。

この随筆は「小林秀雄全作品 第17集 私の人生観」に収録されているのですが文庫本としては「Xへの手紙・私小説論」に入っています。 ほぼ同じころやはり奈良を舞台とした「蘇我馬子の墓」とうタイトルの随筆を発表していてこっちにも心引かれます。 こっちは「小林秀雄全作品 第17集 私の人生観」と文庫本の「モオツァルト・無常という事」に収録されています。去年訪れました。

奈良は遠い場所だと思い込んでいたのですがえいやっと思えばごく短い時間で訪ねることができる場所です。


今朝の日本経済新聞の「日曜に考える」で「科学研究 公正さどう保つ」というタイトルで日経の記者が大隅典子さんと北沢宏一さんに科学研究のあり方について「聞いた」という記事が掲載されていました。(参照:購読権が必要です)

生命科学分野は研究不正が起きやすいそうですね。

「日本に限らず欧米でもそうした傾向があるようだ。実験などに多くの人がかかわり、労働集約的な面があるのが一因かもしれない。新しい解析技術が次々に導入されて電子データを扱うことが一般的になり、パソコンによる画像加工などが容易になったのも背景にあるだろう。」

ぼくはもし生命科学で起こりやすいとしたらそれは生命科学のあり方に内在するものだと思っています。 つまり学問が民主的であるという事に。

数学とか理論生物学は学問として遂行するために特別な能力が求められます。ぼくが考えるにそれは努力でどうにかなるという類いのものでなく生まれつきのものだ。そのような特権的な学問領域に参入できる人の数は限られていて妙な過当な競争は起こりにくいのではないか。それに比べて生命科学では「学位論文をコピペ」したり「研究熱心で寝食を忘れて没頭」したりでなんとかなる場合がある。ついでに「「美味しいそばが食べたい」と実験の空き時間に「そば打ち教室」に通ったり、仲良くなったケーキ屋さんに突然弟子入りしたり」でもOK。(参照

論文はどの程度、重要ですか。

「有名誌に論文が載るかどうかはいわばいっときの出来事。後々まで自分の足跡として残るのは、長い研究の歩みの中で何を明らかにできたのかということではないか。評価する側もそこを見なくてはならない。英誌ネイチャーや米誌セル、米誌サイエンスなどに載るのがそれほど大事なのか。私は既に教授の地位にあるのでこんなことが言えるのかもしれないが」

医師免許を持って研究をしている人の中にはバットをぶるんぶるん振り回してどこかで当たればホームランというような研究スタイルを採っている人がいます。ハイインパクトな論文を出すのが目標であり継続して研究を続けていくという意志をはじめから持っていない人もいます。

山中さんでさえ 「医師免許があると普通の基礎科学者より給料が少し高いですし、いざとなったら臨床に戻れるという逃げ道があるから生活の心配をしなくてもよい。大胆なことができるし、留学もしやすい。僕自身がそうでした」といっておられたのです。(参照

ぼくにもその側面がある事は否定しません。

 

なかなか闇は深いと思います。


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この数日で明確に秋がやって来ました。 このような変化は一晩で現れるところが面白いです。

こういう現象は,まるで,ある「進化の理論」の顕れのようだといつも思います。

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映画「夢売るふたり」

日曜日に大阪駅の映画館で家内と「夢売るふたり」を観ました。

封切り二日目でしたが観客の入りはお世辞にもよいとは言えませんでした。

結婚詐欺の話なのですが松たか子さん演じる主人公がことさらにえげつなく撮られていてびっくりします。食パンを貪るシーンがあるのですが鬼気迫るものがありました。

少しいろんな要素が詰め込みすぎではないかとも思いましたがたぶん見返すとすごくたくさんの発見があるのだと思います。

実は「ディア・ドクター」をこの映画を観た後に観返したのですがちょっとびっくりするくらいいろんな発見をしました。

観終わったあと家内と喧嘩してしまいました。

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本の紹介

「がんと代謝」

羊土社から実験医学の増刊号「実験医学増刊 Vol.30 No.15「がんと代謝」」が出版されました。ぼくも一部担当させてもらいました。

概要と詳しい目次を観ることができます。(参照

この分野でこれほど集中的に記述された日本語の総説集は現時点では他にはないと思います。

「40年後の『偶然と必然』: モノーが描いた生命・進化・人類の未来」

40年後の『偶然と必然』: モノーが描いた生命・進化・人類の未来」を読みました。 モノーの「偶然と必然」がこの40年の間にどのように受容されてきかたを考察した労作です。 生命倫理を除いてもいまでこそこのような生物学を巡る哲学的な考察は花盛りですが当時は「偶然と必然」が決定的に重要な役割を果たしていてぼくも大学生の時に読みました。

思い返してみると何をこの本から何を学んだかについて明確な記憶がありません。

モノーが提唱した様々な論点はここ30年くらいの間に次々と解明されてきて,彼の問題意識や「予言」も柔軟な解釈によれば全て的を射ていたとは言えると思います。

そう簡単な内容ではありませんがぼくは十分楽しめました。

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医学書院が週刊で発行している「医学界新聞」という新聞形式のマガジンがあります。

毎週送ってくれるのでついつい読んでしまいます。

医学教育に力点を置いた記事が多く読むと為になるものが多いです。

最新号に長谷川 耕平さんと飯村 傑さんの「 M&Mカンファレンスで医療の質“カイゼン”を始めよう!!」という対談が掲載されています。

日頃考えて実践していることと余りにも合致していて感動したので医局の同僚にも勧めました。

ぼくがやっていることはたぶんやり過ぎだと思われていると思うのですが米国ではごく普通に日常的に行われていると知って安心しました。

「M&M(mortality & morbidity)カンファレンス」とは

死亡症例や重大な合併症を来した症例を題材として,悪い転帰に至った原因を医療システムや環境・組織レベルであぶり出し,次の失敗を回避することで医療の質向上をめざすカンファレンス

のことです。

ぼくらの麻酔科でも例えばインシデントレポートが提出されたような症例,予定外にICU入室となった症例は特にM&Mとして症例報告をしてもらい皆で検討するという取り組みは行っていますが当事者に報告を任せるため議論が低調になりがちです。つまりインシデントが起こったという前提から出発しているので当事者には負い目があるし議論する側には問題点を鋭く追及しすぎると当事者を個人的に責めることにつながると考えてしまうからです。

このような負の部分を乗り越えてM&Mが行われるような麻酔科ができればこれは素晴らしいことになると思います。

以下に印象に残った発言を引用します。

長谷川 悪い予後が起きる場合,通常一つの失敗だけが原因となることはなく,複数の穴をくぐって致死的なエラーが生じることがわかっています1)。日本では,「私の力不足です」と非を認めることが“責任を取った”と評価されることもありますが,そこで思考停止に陥らず「エラーの原因は何か,システムに穴があったのか」まで議論を進め穴を同定し,その穴を埋めるよう行動しなければ再発防止にはつながりません。

これはすごく重要な視点です。「私の力不足」と言われるまたは思ってしまうとそこから先には進めません。

飯村 現状を知ることは医療の質改善を行う上での第一歩です。ピーター・ドラッカーも“What gets measured gets managed”と表現しているとおり,自分たちの医療がどこに位置しているかを把握して初めて改善につなげられます。当院では,ジョイント・コミッションのプロトコールに則って各科のデータを測定していますが,情報不足で出せない指標もあり,どこにデータの不備があるかようやくわかってきたところです。

麻酔なら麻酔の結果を最終的には患者満足度まで含めて評価していく事が必要だと思います。新薬が発売されてまた末梢神経ブロックなどが導入されてその前後で自分たちの麻酔がどのように変わったかまた麻酔の結果がどのように変化したかを意識的に把握しないとそれだけに終わってしまいます。重要なのは他人が出したエビデンスではなく自分の病院の自分の患者に対してどれだけの事ができたかです。

長谷川 M&Mにはいろいろなスタイルがありますが,ブリガム・アンド・ウィメンズ病院(BWH)では準備と当日の司会をチーフレジデントが持ち回りで担当する形式で行っています。担当者は,M&M専門の指導医と何度もミーティングを重ね,「システムエラーはあるか」「標準的治療から外れていないか」という観点から取り上げる症例を選定します。

これは「目から鱗」ですね。当事者には報告させないというのはよい方法だと思います。重大なインシデントの場合,さまざまな職種の現場に関わった人に聞き取りを行います。当事者の思い込みも明らかになることもあります。客観的な事実に基づき自由な討論ができればM&Mの効果も上がると思います。

*長谷川 *米国の医療者は他者がどんな治療を行っているか厳しく見ており,標準的な治療から外れ突飛なことを行っている医師は「根拠があるのですか」と指摘されます。M&Mには,その施設の医療水準を保つ目的もあります。

思いつきであれこれ患者に働きかけるのは倫理的にも大問題です。がんこな医師が自分の方法に固執して成果が上がらないのは現代的な観点からは非常に困った事になります。

ぼくは職場のデイサージャリー診療部で行われる麻酔科管理症例については麻酔記録と術後の患者インタビューの結果を全て閲覧しています。「標準的な治療から外れ」たような麻酔管理があれば個別にお話を担当医師に聞かせていただくこともありますし全体的な問題と思えば皆に議論をお願いしています。

長谷川 M&Mは,研修医はもちろん指導医も身が引き締まり勉強になります。私の施設では M&Mにはほぼ全員が参加しています。

こういった麻酔科になるとよいと思います。


iPhone5が発表されました。

目下の焦点はテザリングか可能になるかどうかです。詳細が出れば4Sユーザーですが機種変更しようと思います。 room324では皆これで浮き足立っています。

家内とのけんかも実はこれが原因でした。


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査読の透明性

On 2010/11/6 土曜日, in Net Watch in Science, Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

ここ数日完璧な天気が続いていますね。

京都は観光客でいっぱいです。

昨日の夜、夜11時頃牛丼を食べ終わって交差点で信号待ちをしていると自転車に乗った外国人が何かぼくに向かって手を振っていました。ぼくは音楽を聴いていたので言っていることが聞き取れなかったのですが、earphoneを外してみると、How can I get to Sanjo-O Hashi?とと尋ねていたのでした。河原町丸太町の交差点だったのですが…下って行くと三条にでるので左に曲がると答えるとありがとうと立ち去りました。昨日何かあったのでしょうか?

というくらい観光客があふれています。

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坂本龍一さんの北米ツアーの音源が iTunes storeで公開されています。

おもしろいのはツアーの開催都市ごとに人気の曲が違うことです。

Seattle(10/30)は merry cristmas mr.Lawrence

Boston(10/20)ではhappyend

New York(10/18)ではほとんどすべてが人気

Vancuover(11/1)は千のナイフ

Tronto(10/24)はこれまたほとんどが人気

となっています。

アルバムとして買うのなら New YorkかTorontoなんでしょうか。
たぶん日本ツアーと同じで最後に”best版”が出ると思いますがそれまで待つのか吉かな。

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Natureに

Transparency showcases strength of peer review

Nature 468 , 29–31 (04 November 2010) doi:10.1038/468029a

という”コメント”が掲載されていました。

EMBO Journalが投稿論文の査読の透明性を高めるために様々な改革を行っているようで EMBO JのChief Editorが大いに語るという形式の小文です。

まずEMBO Jでは掲載を断った論文のその後も結構丹念に追っかけています。

For example, only 1% of manuscripts rejected in 2008 ended up in journals with an impact factor two points or more above that of The EMBO Journal; and only 9% have a citation rate higher than the average paper in the journal.

なのだそうです。

これっておもしろい調査です。

また査読のプロセスを公開するようです。というかすでに一部の論文では公開されています。

これはぼくは大歓迎です。理不尽な査読は多いと思います。そもそもその査読をするほどその分野に精通していないと思われるような査読が多すぎます。

またJournalの特徴ーこれにはいわゆる”格”も含みますーを理解していない査読もあると思います。たとえばJournal of Anesthesiaに投稿された論文へのコメントとAnesthesiologyに投稿された論文へのコメントは内容が同じだとしても自ずと違ってくるべきだろうと思っています。
“発見”を重視して掲載していく雑誌があってもよいし完璧な論文を掲載することが目的の雑誌もあっていいと思います。

公開によって

Another appeal of this path was that peer review is rarely formally taught, yet so much depends on it. We hoped that the peer-review process files might serve as a teaching tool. Finally, a clear potential benefit was to fortify the peer-review process. Referees might feel compelled to take extra care when writing their report, as the report would be published, albeit anonymously.

のような効果が期待できると書いています。これはありますよね。査読ってどうすればいいのかなかなか実は解りません。公開によってこういう風にやりとりするのかと言うことを学ぶ機会ができるのはありがたいです。

In line with some other journals, we have also implemented another change: we now explicitly prompt reviewers to declare the common practice of delegating peer review to others in the lab. We request that reports are vetted by the invited referee and that co-referees are named. We regard this as an essential component of good mentorship.

これはよい制度ですね。ぼくは自分に依頼のあった論文査読を他人ー例えば院生ーに外注してもらうということははしませんが、そういうことをする研究室があることもよく知っています。

ぼくの気持ちとしては一生懸命仕上げた論文をその院生が立派な見識を持っているとしても自分が見たことも話したこともない院生に査読されるのはいやだと著者は思うのではないかということが理由です。査読の頻度が比較的に低いと言うことも理由の一つかもしれません。自分で何とかやり繰りできると言うことです。でも若い人の教育には大変役に立つと思います。それにクレジットがつけばなおさらやる気は出て来ると思います。

If peer review benefits from anonymity, why not also mask the author’s identity (‘double-blinded’ review)? We remain interested in this possibility, but fail to see how to implement it without adding delays or requesting anonymized manuscripts for initial peer review (removal of author names does not suffice to anonymize a manuscript from one’s peers).

これは実際には難しいと思います。以前日本麻酔科学会の機関誌Journal of Anesthesiaはこのやり方を採用していましたが、頭隠して尻隠さずで全く意味が無かったと思います。引用論文などで著者、少なくとも著者の研究グループがすぐに解ってしまうのです。materials and methodsなどでは自分らの過去の論文を引く事がほとんどだと思いますのでそこらが手がかりとなってすぐに解りますよね。匿名査読用のバージョンを作るのは大変です。

またぼくは研究の継続性などを評価したいと思います。そのためには著者名が明らかになっている必要があります。あの人たちの研究なのだからここら辺の解析は信用できるがこの部分はどうも怪しいのではないかというような事を考えるわけです。ポッと出の人たちの研究はやはり慎重に見ていかなければなりませんし慎重にデータを見ていきます。

とにかく査読について考えたい人は必読だと思います。 Natureがこういう文を掲載する意義は大きいです。

Wikipediaで”査読”の項を開いてみました。

びっくりしました。すごくしっかりとポイントが挙げられているからです。こっちも読んでみてください。

最後に英文誌なのに日本語でのコメントを認めるのはやめた方がいいと思います>某学会の機関誌

査読の透明性も何もあったもんじゃありません。査読のプロセスが公開されても外国人読めないよ日本語。

大体英語も書けない人はちゃんと英文読めているのかも怪しいよー少し言い過ぎかー。


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