土曜日の朝に家にいるなんてほんと久しぶりです。今回は明日も登院しなくてもよいのです。

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以前に職場でやっている「研究医養成コース」の話題をしました。

このコースに進むのは第三学年からで一回生・二回生の間は「研究マインド養成プログラム」でそのための準備をするのです。

今年度も22名の参加希望者がいて昨日の晩、駅前の怪しい某所で「情報交換会」がありました。 参加学生は三回生・二回生を含めて三十人以上で、教員は6名での対応でした。 ぼくも二回生を一人預かっているので参加してみました。女子学生は半分くらいの比率でした。

臨床実習で接すると学生さんとはちょっと違って新鮮な驚きがありました。 皆理想に燃えていますよね。

研究生活の初めは小規模の研究室でコツコツとはじめるのがよいと思います。

 

自分の子どもより年下くらいの学生さんたちですが教員の特権でぼくの話をとにかく聞いてもらえるので良かったです。

家ではぼくの話すことに耳を傾ける人はいませんから。

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Do no harm

「医療事故調査制度」って初め聞いたときは何かの冗談だろうと思っていたのですがどうも本当に始まっちゃうようです。

「責任追及を目的とするものではなく、医療者が特定されないようにする方向であり、第三者機関の調査結果を警察や行政に届けるものではないことから、WHOドラフトガイドラインでいうところの非懲罰性、秘匿性、独立性といった考え方に整合的なものとなっています」 とことです。

この法律改正の趣旨を斟酌して検察官・弁護士は調査報告書を根拠とした訴訟提起を行わないようにまた裁判官は調査報告書を証拠として採用しないようにしてもらいたいと思います。

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今日は一冊の本を紹介します。

Do No Harm: Stories of Life, Death and Brain Surgery” 著者はHenry Marshという英国の脳外科医です。

Do No Harm: Stories of Life, Death and Brain Surgery (English Edition)

Marsh氏は覚醒下脳手術の名手として知られウクライナへの医療支援も行い彼の活動を記録したテレビ番組もあるような医者だということです。

出版は昨年です。

雑誌New Yorkerで書評を読みました。 興味を引かれたのでKindle版を購入して読んでみました。

ちょっとびっくりするくらいに面白い本で年に数回しか体験しない程の読書体験となりました。 New Yorkerの書評を読むと内容は大体理解できますがHenry Marshの医者としての体験回想録です。

特に自分の「犯した」errorに力点が置かれています。いろんな種類のerrorのオンパレードです。 New Yorkerの書評のタイトルはAnatomy of errorsですがこの本で語られるerrorsは以下の様に分類されます。

In his decades of medical practice, Marsh has been a witness or a party to almost every kind of mistake. There are errors of commission (the hubristic removal of too much tumor) and of omission (the missed diagnosis). There are errors that go unreported (after a successful surgery, Marsh might decide not to tell a patient about a close call) and errors for which Marsh is held accountable. (He writes that, after one operation, “I told them to sue me. I told them I had made a terrible mistake.”) There are errors of delegation—as when Marsh allows a resident to perform a simple spinal surgery, and the patient is left with a paralyzed foot—and historical errors: at a mental hospital, Marsh encounters victims of lobotomy.

目次を挙げてみます。

  1. Pineocytoma
  2. Aneurysm
  3. Haemangioblastoma
  4. Melodrama
  5. Tic douloureux
  6. Angor animi
  7. Meningioma
  8. Choroid plexus papilloma
  9. Leucotomy
  10. Trauma
  11. Ependymoma
  12. Glioblasatoma
  13. Infarct
  14. Neurotmesis
  15. Medulloblastoma
  16. Pituitary adenoma
  17. Empyema
  18. Carcinoma
  19. Akinetic mutism
  20. Hubris
  21. Photopsia
  22. Astrocytoma
  23. Tyrosine kinase
  24. Oligodendroglioma
  25. Anaesthesia dolora

医者なら解りますが脳外科領域の病名が並んでいます。このような章はその疾患の患者が登場してそれを切り口に彼の体験が回想されていきます。

第六章angot animiではMarsh氏がaccidentalyに医者になった過程も語られます。医学部の学生に医療者になるために学んでいる者の自覚が足りないとか学力が高いから医学部を受験することの弊害が昨今強調されますがそのような意見を述べる人はこれを読んでどう思うのでしょうか。

第20章のHubrisはNew Yorkerの書評で取り上げられたエピソードを含むこの本を象徴するような章です。 その他自分の患者体験とか自分の子どもの脳外科手術などいろんなエピソードが満載です。

医療安全管理室的()な思想によればerrorは本来起こってはいけない事なのですが不幸にも起こった場合そのerrorから学ん()で医療のさらなる発展の糧としないといけないということになります。 Marsh氏の発想はこれとは異なります。 New Yorkerの書評から引用すれば

he writes about his errors because he wants to confess them, and because he’s interested in his inner life and how it’s been changed, over time, by the making of mistakes.

 

“Do No Harm” is an act of atonement, an anatomy of error, and an attempt to answer, from the inside, a startling question: How can someone spend decades cutting into people’s brains and emerge whole?

なのです。

そもそもMarsh自身、脳外科手術は”“something I hate doing”だと言い切っています。

確かにこの本はこのような思想で貫かれています。

“Every surgeon carries within himself a small cemetery, where from time to time he goes to pray.” a place of bitterness and regret, where he must look for an explanation for his failures. Rene Leriche La philophie de la chirurgie 1951

この本の冒頭のepigraphです。

上手いこと表現するものだなと思いました。 こういう想いはどの医者も抱えています。 文字通り全ての医者は自分の医療行為とその結果についての「墓地」をもっているのです。ぼくにもあります。明示的に語る勇気がないので表にしないだけです。

安全管理室的思想は、ここに土足で入り込む一種の冒涜だとぼくは思っています。

 

Marsh氏は脳外科医が他の医者といかに異なる人種ということを結構しつこく繰り返します。ハッキリいって鼻につきます。

“Nobody, nobody other than a neurosurgeon, understands what it is like to have to drag yourself up to the ward and see, every day—sometimes for months on end—somebody one has destroyed and face the anxious and angry family at the bedside.”

脳外科医にありがちの考えだなとこれは思いました。 脳外科の医者ってこんな感じの人多いですよね。

 

ちょと調べてみるとNew York TimesにMichiko Kakutani氏とJerone Groopman氏の書評が今月出ていました。

米国では今年になってちょっと話題になっているようです。

本書は特に難しい単語がでてくるわけ出なく文章も平易です。ぼくは通勤三往復で読み切りました。 三つの書評の英文の方が難しいくらいです。

 

医者たるもの共感できるところは多いと思います。

Kindle版も出ています。 ぼくは結局紙の本も買いました。

是非とも一度読んでみてください。

医学部の授業で教材にしたらよいと思うくらいです。

 

Do No Harm: Stories of Life, Death and Brain Surgery (English Edition)


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日本語で科学をするとは

On 2015/2/16 月曜日, in hypoxia reseacrh, by bodyhacker

日当直でした。何もありませんでした。珍しいです。

午前中にどうしてもしないといけないいくつかの事を済ませてしまっってどうしようかと思案して調べ物とか読書に時間を当てていました。


学生と実験しています

このところ学生と一緒に実験をしていますorしていました。 一回生で「研究医養成コース」と三回生で「配属実習」とのプログラムに参加している学生たちとです。

結構単純な実験系を使っての実験でそれなりの「結果」が出てきて一安心です。

 

– まず習得してもらうのはピペット、ピペットエイドの使い方です。 まずやってもらうと力が入りすぎて”おぼちゃん”みたいな不自然な持ち方になってしまうのです。何度かやってもらいここら辺が自然になってくると一応合格となります。

麻酔科研修に訪れる研修医くん・さんたちのマスク・喉頭鏡の持ち方も自然に見える人は大抵うまくできています。

 

– 次は実験の手順を頭にいれるということです。考えならが実験を進めると手順を間違ってしまうことにつながります。

 

– でも一番大切なのは一回一回の実験の目的の把握とそれに基づいた実験の遂行です。

96 wellのplateを使う実験などではいくら8連のピペットを使っていてもplateの左右・上下では処理に時間差などが生じてしまいます。

実験の目的にあわせて薬剤処理の順番などを決める必要がある場合もあります。一番大切なポイントを決めて実験ごとに微調整できるようになれば一人前ですがこれはなかなか実現は難しいです。何度かパイロット実験をしないと明らかになってこない場合もあります。

 

単純な実験でも議論しながら行うと学生の行動様式が変わってくるので面白いです。

 

この実験思いの外うまくいってちょっと実験を追加して論文にまとめたいです。


読んだ本二冊

一冊目

日本語の科学が世界を変える

世界をリードする日本の科学・技術。その卓抜した成果の背景には、「日本語による科学的思考」がある という仮説から出発した日本の科学論です。

生命科学の領域では、基礎研究でも臨床研究でも少なくとも原著論文は英語で書く場合がほとんどだと思いますが、

ここで英語を「使う」からといって「英語で科学をしている」という言い方はできないと思います。 少なくともぼくの場合、「日本語で考えて」いるしその意味では「日本語で科学をして」います。 留学していた初年度はlabで日本人はぼくだけだったので否応なく英語を使っていましたが「英語で科学をしていた」という意識はありませんでした。

医学教育に限っても日本は日本語だけで6年間の医学教育が可能となっている世界の趨勢から見れば特別な国です。 リアルタイムで外国の最新の知見を取り込むとかそのような必要に迫らなれければ英語が必須な訳ではありません。また最新の知見を臨床現場に取り入れていくことが必ずしも患者のケアの向上につながらないという場合もあります。いくつかの研究が揃ってメタアナリシスができる位に時間的な余裕があれば日本語での解説などもいくつも出てきますし日本語の医学系の雑誌もいくらでも存在して毎号結構興味をそそる特集が組まれます。 それ故独自の進化を遂げているという側面があります。

 

この「日本語の科学が世界を変える」も英語を使わずに日本語で論文をかけというような単純な議論を展開している訳ではありません。

養老孟司先生は実は英語がすごく得意なのだそうですがこんな事を言っています。

英語論文でも、英語と日本語の文化の違いからさかのぼらなくてはいけない。英語論文を書くときに、僕が二つの言語の性質の差を感じるのは、英語の文章を書くためには、日本語で記述するときとは違った部分を観察しなければいけないということ。僕が日本語の頭で観察するでしょ、観察が終わったと思って、今度は英語で書くでしょ、すると、途端にわからなくなって、現物に戻って見直すということがあるんです。なぜなら、英語の文章になるためには、ここが抜けていたら文章にならんというのがあるんですよ。主語が典型的にそう。日本語だったら、主語を省略することだってできる。でも英語では、「はて、主語は何だったっけ」と確認しなければいけない。

この議論と似通った主張も含まれていますがそうでない議論も含まれています。

日本語の科学が世界を変える」 は、一読の価値はあると思います。

 

二冊目

最相 葉月さんの「れる られる

「れる られる」とは、助動詞の「れる」と「られる」のことです。

人の一生で受動と能動の転換点または境目を「生む・生まれる」「支える・支えられる」「狂う・狂わされる」「絶つ・絶たれる」「聞く・聞かれる」「愛する・愛される」の六つの動詞をきっかけに考えた一種の随筆です。

どの章も読むと考えさせられる内容なのですが、第四章「絶つ・絶たれる」研究不正、ポスドク問題を扱っています。絶つ・絶たれるとは文字通りの人生のことです。

医学部の授業で使ったらよいと思う一冊です。

 


麻酔科学会の資料

日本麻酔科学会が後期研修医向けパンフレットを発行しました。

昨年の秋に学会を通じて学会員には配布されていたのですが最近になって学会のホームページを通じて誰でもが閲覧できる形としたのです。

このパンフレットには、「麻酔科医以外の医師は、なぜ、子供に麻酔科をすすめるのか?」というタイトルが付いています。

曰く

麻酔科医、麻酔科医以外の医師それぞれに、麻酔科医の魅力についてアンケートで尋ねたと ころ、どちらも「QOLが高い」という回答がトップでした

麻酔科医という進路選択を語るうえで「QOLの高さ」は見逃せない要素になります

麻酔科医は基本的に集中治療、ペインクリニック領域以外の、いわゆる手術室におけ る麻酔管理に関して主治医になることは、まずありません。ですから、サマリーを書くことも、 まずありません。医師の業務のなかで、詳細なサマリーをまとめる労力と時間は、たいへん大 きな負担になっています。そうした負担から解放される事は、他科の医師から見て「正直、羨ましい」と思われているところもあるようです。

ここでいうQOLとはいわゆるQOLMの事でこれが麻酔科の魅力のトップであると学会が公言するのは問題があると思います。もっと言えば恥ずかしいです。

「サマリー」を書かなくてよいことがそんなに素晴らしいことなのでしょうかそれもぼくにはよく解りません。

やっぱり何か変だぞというような議論はなかったのでしょうか。不思議です。

今日あるブログエントリーを読みました。(『社会貢献曲線』 〜社会インパクトを最大化しようと思ったときに〜)

「社会インパクト」と「スキルレベル」の関係のグラフが書かれていて曲線に「多くの社会貢献活動で必要とされる領域」と「本業の人たちの領域」という二つの領域が存在するとの議論です。

医者にもいろんなレベルがあって「多くの社会貢献活動で必要とされる領域」で働いても社会へ与えるインパクトでは低くなくある意味すごく大きいともいえるのです。しかしこの領域は条件によっては他職種たとえば看護師にとって変わられる可能性も秘めています。「医師免許」に守られているのですね。

 

 

 


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吸入酸素分圧と肺がんの罹患率

On 2015/1/15 木曜日, in hypoxia reseacrh, by bodyhacker

吸入酸素分圧と肺がんの罹患率

一応このブログはblog.hypoxia.jpということで関連した話題を。 PeerJの論文の話です。

Lung cancer incidence decreases with elevation: evidence for oxygen as an inhaled carcinogen

疫学研究の論文です。

活性酸素が発がんに大きな関わりがあるというのは定説でこれを総論で疑う人はたぶんいません。 それなら地理的に高地に住んでいる人達の特に肺がんの罹患率は地理的に低地に住んでいる人と較べてどうなんだという単純な問いに答えを出してみたという単純な論文です。 高地は酸素の濃度が低いので活性酸素の発生もそれだけ小さいのではないかという単純な仮説に基づいています。

データベースに登録されているデータを用いて検討してみると果たして「高地に住んでいる人の肺がんの罹患率は低地に住んでいる人に較べて低い」との結果が得られたということです。1000mあたり12.7%の差になるのだそうです。 このような差がでるのは、肺がん、乳がん、結腸癌、前立腺癌のうち肺がんだけで結論として”酸素は毒だ”ということになるのだそうです。 この現象が吸入酸素分圧の差で説明できるのかどうかは今現在不明です。

でも結構いろいろと面白い論文です。

著者は二人の気のよさそうなアメリカベースの研究者です。(参照

 

全身麻酔の最中って気管挿管されて人工呼吸されている場合がほとんどです。 肺の状態によっては最高100%の酸素- というかこれ以上にできない-を使って人工呼吸をする場合もありますが通常は30-60%位の酸素と70-40%位の窒素が混合した気体を用いて人工呼吸をしています。 酸素の分圧が高いと活性酸素の発生が高くなり肺、特に肺胞の障害や炎症を引き起こすことになるかもということでこの酸素分圧は低ければ低いほど良いと考えている麻酔科の医者もいるしそうそう気を遣っていない麻酔科医もいます。 ぼくはといえばあまり気を遣っていない方に属して酸素60%(つまり酸素0.5L/min+空気0.5L/min この位減らすと呼気が吸気に混ざって60%には達していないと思います)で管理していることも多いです。少なくとも麻酔中の吸入酸素分圧は決着が着いていない問題だと思います。

一去年の春から故あって一酸化窒素(笑気)を使って麻酔をする機会があります。改めて思うのですがやっぱり楽ですね。 「ちょちょいとひねってぱっぱと」麻酔をするには最高の薬です。もう少しすると日本からはなくなってしまうのでしょうか。 若い先生も麻酔科医である以上あの感覚は身につけて置いた方が良いとは思います。笑気とエンフルレンで麻酔をしていた時代が懐かしいです。

これも面白かったです。


入学試験改革

大学入試改革も安倍色、新試験20年度実施へ(真相深層)

大学の入学試験改革を含む教育改革が俎上に登っているようです。

「天才」が学校に行かなくても済む分野と「天才」でも学校に行くとさらに大きな成果を生み出す可能性がある分野があります。 将棋などは前者で数学などは後者だと思います。

そこまでの天才でない人はやっぱり学校には行った方がよいのだと思います。

いろんな大学は自分らの考えに沿っていろんな基準で学生を選んだらよいと思います。

良く覚えているエピソードがあります。

医者になって1年目の3月くらいに手術室で麻酔をしていると、当時の麻酔科の教授がやってきて「お前は、東大と京大の医学部の両方に合格したらどちらに進学するか?」という質問をしてきたことがありました。その時はナイーブに「普通は東大に行くんじゃないでしょうか。ぼくもそうします。」と応えると「お前もか!!」というのです。 入学試験制度の関係で東大の理科三類と京大の医学部医学科を両方を前期日程ととして受験できる年がありました。試験をしてみると京大の医学部の合格者の成績上位20人くらいがごっそりと入学辞退をしてたぶん東大の理科三類に進学したという事があって教授は怒っていたのです。「身も蓋もなくこれはまずい。実態が丸わかりじゃないか」という訳なのです。 ぼくなど実際にそうなのだし皆がそう思っているのだからそれでいいのではないかと思うのですがそうはいかないということで直ぐに前期日程で両方の受験はできないように変えてしまったはずです。

しかしぼくも本当の天才は医学部などに入って医者などになるよりはもっとすごいことをした方がよいとは思います。

人物評価などされたらぼくなど医学部に入学できなかったと思います。あの制度でぼくは良かったです。

 

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なんと

しかしどこから金が出ているのでしょうか。

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