Natureから

Winners take all

Nature 464, 957-958 (15 April 2010) | doi:10.1038/464957b; Published online 14 April 2010

日本の科学関連研究費の配分に関するNatureのeditorial

The government should make sure that the country’s basic foundations for science are in good repair — and that it is seeking out the most creative projects.

のようなことが書いてあります。読み飽きたような論説ともいえますが読んでおくのが良いと思います。

書評から一つ

Calibrating the scales of suffering

Nature 464, 981 (15 April 2010) | doi:10.1038/464981a; Published online 14 April 2010

Do Fish Feel Pain?

by Victoria Braithwaite

Oxford University Press: 2010. 256 pp. $29.95, £14.99

の書評です。サカナの痛みについてですが案外と面白い示唆が…

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金曜日と日曜日と会食の機会がありました。

金曜日は京都で行われていた国際腎臓学会への参加のため上洛中の先生方と日曜日は大学の同級生10人とでした。

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その合間1Q84読みました。

Book3の展開はいろいろと予想していましたが、プロットしては意外とベタな収め方だったと思います。結末だけで言えば、”ノルウェイの森”のワタナベくんと緑、”ダンス・ダンス・ダンス”の僕とユミヨシさんが迎えるラストを凌ぐものと思います。今や日本を代表する国民的な小説家としてはこの結末意外にはありえなかったのでは。

Book1, Book2を読み終えた時点で、Book3があるだろうとは簡単に予想できましたー4月までずれこみましたがーがBook4は無いと思います。ここまで来た以上これ以降は別に “1Q84″というタイトルの小説である必要はないと思います。”羊をめぐる冒険”から”ダンス・ダンス・ダンス”が生まれたような形式でもいい。という訳でBook4は無し、と思っています。

Book3はかなり理屈っぽいと思います。Book1, Book2を受けてある意味無理やりあの結末に持っていこうとしたのでしょうか。青豆ー天吾のかわりばんこの構造をあえて牛河ー青豆ー天吾としたころ。牛河のパートで青豆ー天吾から一歩引いた彼らに関する客観的な情報が加わっているところなどすこし違和感は覚えました。青豆ーこれは苗字、天吾は下の名前ーの名前まで明かされるのですからこれには参りました。
またこの小説のタイトル1Q84を意識してか青豆のパートに青豆の主体的な決意が書き込まれていきます。

例えばp476

ここにいることは私自身の主体的な意志でもあるのだ。彼女はそう確信する。そして私がここにいる理由ははっきりしている。理由はたったひとつしかない。天吾と巡り合い、結びつくこと。それが私がこの世界に存在する理由だ。いや、逆の見方をすれば、それがこの世界が私の中に存在している唯一の理由だ。あるいは合わせ鏡のようにどこまでも反復されていくパラドックスなのかもしれない。この世界の中に私が含まれ、私自身の中にこの世界が含まれている。

これにはヒットされました。理由は今回は書かないこととします。

ある意味 Book3は難解です。たぶん家内はbook3を読破できないと思います。あんまりエロいシーンも無いし。

ゲイのはずのタマルが若いときの子どもが一人いるのだと告白するあたり深読みをすればできなくも無いのですが、安達クミとかフカエリと何らかの関係があるのでしょうか。
というわけでBook3は普通の小説ではありませんね。


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半分あたり

On 2009/9/18 金曜日, in Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

とりあえず予想は半分あたったということで

「1Q84」に続編

ちゃんと読めば続編があることはわかるよ
昨日というか木曜日の夕方からずっと某作業を続けいます。日曜日中には終わらせるよと決意を表明しておきます。

とにかく9月は踏ん張らんと10月になるといやおう無く〆切りが押し寄せてきます。他人と約束しているのは何があってもやらんといけないし…

とにかく飯喰って寝ます


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家内も1Q84を読んだという話

On 2009/7/20 月曜日, in Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

結局今日は喫茶店をはしごしていろんな作業をした。パソコンがあってネットにつながっていればどこでも仕事はできるものです。しかしぐったりとしてしまいました。動かないので身体が冷えてしまうのです。

今週家に帰ってびっくりしました。

家内が1Q84を読んだというのです。青豆編だけ読んで興味が出たので天吾編も読破したということです。-家内は文盲だと思っていました いろいろと聞いてくるので迷惑です-。

一気に200万部(100万セット)出るということはこういうことなのですね。

社会現象として、先週火曜日のNHKの番組で1Q84現象が取り上げられていました。

栗山 千明と青木 崇高の朗読付きだ。-映画になるとしたら青豆は栗山千明か小西真奈美だと思う-

New Yorkerのeiditorの意見がもっとも的確に的を射ていると思った。

村上春樹の小説には世の中や物事に対する彼なりの”見方”が登場人物を通して語られそれの読者を説得してしまうという不思議な力がある。

1Q84でもしかり。学生運動からカルト集団の成立にいたる背景の説明などそれ自体非常に優れたものだ。

また例えば二つの月の話についての小松の意見

ほとんどの読者がこれまでに目にしたことのないものごとを、小説の中に持ち込むときは、なるたけ細かい的確な描写が必要になる。

研究でも通用する話だ。

また天吾が数学と物語の世界を行き来する自分について語る場面(book1, p318)。

物語の役目は、おおまかな言い方をすれば、一つの問題をべつのかたちに置き換えることである。そしてその移動の質や方向性によって,解答のあり方が物語的に示唆される。天吾はその示唆を手に、現実の世界に戻ってくる。それは理解できな呪文が書かれた紙切れのようなものだ。時として整合性を欠いており、すぐに実際的な役には立たない。しかしそれは可能性を含んでいる。いつか自分はその呪文を解くことができるかもしれない。そんな可能性が彼の心を、奥の方からじんわりとあたためてくれる。

基礎研究と臨床の関係もこのようにとらえることができればよいと思う。

それと同時に普通の人間,つまり「かえるくん、東京を救う」の片桐さんのような人、が大きさはともかくある力に対峙していくという筋がある。読者にこれまた不思議な勇気を与えてくれる。力はリトルピープルに代表されたりする場合もあるしねじまき鳥の場合にはもっと漠然としてる強い邪悪なものであるときもあるしそうでない場合ものだが。

例えばbook2のp490あたり天吾の父親の世話をする看護師のセリフ

看護婦になる教育をうけているときにひとつ教わったことがあります。明るい言葉は人の鼓膜を明るく震わせるということです。明るい言葉には明るい振動があります。その内容が相手に理解されていいてもされていなくとも,鼓膜が物理的に明るく震えることにかわりはありません。だから私たちは患者さんに聞こえても聞こえなくても、とにかく大きな声で明るいことを話しかけなさいと教わります。理屈はどうであれ,それはきっと役に立つことだからです。経験的にもそう思います

このような看護師が多分世の中にはいて医療現場が支えられているのだと思います。

って感じ。

しかし1Q84の翻訳はどういうタイトルになるのでしょうか。

Qが9なのは日本語だけだと思う


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