2018年 研究総括

 

恒例ですので今年も「ハイポキシア生物学の2018年を振り返って」書こうと思ったのですがネタ切れなので自分の研究室の2018年の総括もいれて水増しします。

でも短いです。すみません。

 

今年の成果を報告する必要がありまとめてみたら論文は英文/邦文、原著/総説合わせて10報出せました。

教員は二人しかいないのでこれで十分だと自分では思っていますが他の人がどう思うかはわかりません。

 

今年はじめたプロジェクトにバクテリアのメタゲノムがあります。

12/27に論文がなんとかアクセプトになりました。

ノウハウを獲得したので今後しばらく続けていこうと思っています。

 

pubmedで”HIF[TIAB] and 2018[DP]” (2018 12/31)と検索窓に入力すると1717報の論文があると返ってきます。”HIF[TIAB] and 2016[DP]”では1695篇です。”HIF[TIAB] and 2017[DP]”1773報です。

“hypoxia[TIAB] and 2017[DP]” では6789報だったのが”hypoxia[TIAB] and 2018[DP] “(2018 12/31)では6826報です。

数年前から免疫の分野でHIF関連の優れた研究が次々と発表されるという傾向は今年も持続していました。一方で分子生物学会や癌学会の演題を検索しても低酸素とかHIFとかのキーワードをもつ演題はほんと少なくなりました、というのも去年と一緒です。

今年も免疫系の雑誌でよく取りあげられていたと思います。

 

多分これは書いて良いと思うのですが来年の9月の末にGLSさんが来日して職場でもセミナーを開いてくれる予定になっています。

セミナーのトピックスはhistory behind the science的なものにしてもらおうと思っています。

皆さんHIFについて彼が話しているのは聴いたことがあってもそれ以外の話はあまり聴かれたことがないのではないかと思います。

敢えてこじんまりとやろうと思います。またアナウンスします。

 

ぼくの論文の被引用回数をGoogle Scholarで定点観測をしています。

  • 2013年: 732
  • 2014年: 728
  • 2015年: 669
  • 2016年: 558
  • 2017年: 585
  • 2018年: 541 

と推移しています。

伸びが止まったもいえるしこれくらいで定常状態になったともいえるしこればっかしは自分がどれだけがんばっても過去の業績については何もできないのでこれから自然減を新たな論文で補っていくということになります。 まあどうでもよいことなのですが被引用回数は論文(雑誌でなく)に対する評価このように明確に数値化される指標があると気になります。

という訳で来年もよろしくお願いします。

来年は医学部の学生と読書会もはじめます。一冊目は「エピジェネティクス――新しい生命像をえがく」です。

このブログも続けていきます。


「私の人生観」

小林秀雄に「私の人生観」という作品があります。講演録のような体裁で書かれた比較的に長いものです。

冒頭近くに

天職」についての記述があります。

私は書くのが職業だから、この職業に、自分の喜びも悲しみも託して、この職業に深入りしております。深入りしてみると、仕事の中に、自ずから一種職業の秘密というべきものが現れてくるのを感じて来る.あらゆる専門家の特権であります。秘密と申してもむろんこれは公開したくないと意味の秘密ではない、公開が不可能なのだ.ヒトには全く通じようもない或るものなのだ。それどころか、自分にもはっきりしたものではないのかもしれぬ。ともかく、私は、自分の職病の命ずる特殊な具体的な技術の中に、そのなかだけに、私の考え方、私の感じ方、要するに私の生きる流儀を感得している。かような意識が職業に対する愛着であります。

という文章があり、その直後に

今日では様々な事情から人が自分の一切の喜ぶ喜びや苦しみ悲しみを託して悔いぬ職業を見つけることが大変困難になったので、多くの人が職業の中に人間の目的を発見することを諦めてしまったからです。これは悲しむべきことであります。

とあります。 ぼくは職業的に麻酔と基礎研究をしていますがいまや医者という職業は普通の労働者が行うものとなってしまいこの職業は「天職」として全うするのが困難になってしまったと思います。

今年世間的に話題になった医学部・医科大学の入学試験問題もこのような状況を反映したものだと思います。

 

一方基礎研究の界隈では研究者は単なる労働者でありタイムカードでその勤務状況を管理すべきだという議論はあったとしてまだまだすごく少数派です。

この「私の人生観」後半にはこんな記述があります。

私がここで、特に言いたい事は科学とは極めて厳格に構成された学問であり仮説と検証との間を非常な忍耐力を持って往ったり来たりする勤労であって今日の文化人が何かにつけて口にしたがる科学的な物の見方とか考え方とか言うものとは関係がないと言うことです。そんなものは単なる言葉に過ぎませぬ。実際には様々な種類の科学があり見る対象に従い見る人に気質に従い異なった様々な見方があるだけです。対象も持たず気質も持たない精神は科学的見方と言うような漠然たる観念を振り回すより他に能がない。心理的現実だとか歴史的現実だとか、何だかんだと彼んだとかいう現実の合理的模像が、彼を閉じ込めている。

おっしゃる通りに「科学的」であるとはそう簡単なことではありません。

これは職業的な科学者でもいうのですから閉口します。

医療でも同じです。医療とて体系を持った学問であり「仮説と検証との間を非常な忍耐力を持って往ったり来たりする勤労」であるのですがそれを理解していない人は多いと思います。

扱う材料に精通し、材料の使い方に個性的方法を自覚し、仕事の成り行きに関し、素人に伺い知れない必然性を意識し、成就した仕事に自分の人格の刻印を読む、そういうことがどんな仕事にせよ、練達の人には見られるのであるが、

 

前回書き忘れました。 「人体はこうしてつくられる――ひとつの細胞から始まったわたしたち

「素人に伺い知れない必然性を意識し、成就した仕事に自分の人格の刻印を読む」ような一冊です。

こういう本を書いてみたいものだと思います。

 

人体はこうしてつくられる――ひとつの細胞から始まったわたしたち


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