AJACSa6河内開催: 明日です

On 2019/7/24 水曜日, in book, hypoxia reseacrh, news, 関西医科大学, by bodyhacker

AJACSa6河内

AJACSa6河内が明日(2019/07/25)に職場である関西医科大学(大阪府枚方市)で開催されます。

内容はここからご覧いただけます

参加受付は締め切っていますが午前中のセミナーは関西医科大学の大学院講義を兼ねていますのでどなたにでも参加していただけます。


登山会コンパ

先々週の日曜日、大学の時に入っていたクラブの新入生歓迎のコンパが京都であったので出席してきました。

ぼくは「登山会」の部員だったのです。

OBの参加はぼくと現在同じ職場の乳腺外科の先生でそれに現在部長をしていただいている京大の皮膚科の椛島先生が参加してしてくれました。 全員で20人ほどの程よいコンパでした。とうとう女子部員がゼロになってしまったそうです。

場所は登山会では定番の「天寅」

30年前に開かれたコンパの時の寄せ書きの色紙と写真がいまだに掲示してありました。懐かしくて思わず何人かに写真を送りました。

職場には「登山会」ではなく「ワンダーフォーゲル部」があります。こちらは半分は女子部員で活動も楽しいです。


「日本社会のしくみ」を読みました

日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学」を読みました。

「社会のしくみ」=「日本型雇用」は、なぜ誕生し、いかなる経緯で他の先進国とは異なる独自のシステムとして社会に根付いたのかを

論じた新書です。

女医問題や無休医問題も日本の社会のしくみの反映なのだから部分的に「矯正」しようとすると逆な歪みが出ると思うし現実に歪みが出ている。

メンバーシップ型からジョブ型への移行は一気に進む訳ではないからしばらくは混乱が続くのだと思います。

医療の世界、少なくとも医者の働き方はジョブ型への移行は可能だしこうでもしないと現実に女性医師が4割を超える今後は無理だとは思う、とぼくが言ってもあまり説得力はないのですけど。

 

「島根大 裁量労働制で是正 勧告受け9000万円支払う」

島根大学で裁量労働制で働く教員の深夜や休日の研究活動について割増賃金を支払っていなかったのは違法だとして、労働基準監督署から是正勧告を受け、およそ200人に合わせておよそ9000万円の未払い賃金を支払っていたことが分かりました

という報道がありました。

これには結構驚きました。 法的にはそうなのだろうけどこんな事が実際に認められるのかという驚きです。

職場の何人かの基礎系の教員とも話したのですが、全員、こんな事になれば逆に早朝、土曜日と日曜日に実験をしようとしても大学にロックアウトされちゃうんじゃないかと心配してました。

この辺医者の世界とは大違いです。

上記のように医者は完全に普通の労働者になったのですが研究者はまだまだ労働者になっていないというかなれていないのかもしれません。

この違いがどうして生じているのかはこれ自体すごく興味のある問題だとは思います。

日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 (講談社現代新書)


日本の研究制度

日本神経科学学会の最終日に「ランチョン大討論会」のテーマは「次の20年にどうやって脳科学にブレークスルーを生むか?」なのだそうです。

若手PI企画によるプレゼン資料が公開されています。ここでいう若手研究者の皆さんは普通の若手でなく有望な若手研究者の皆さんだというのはこの資料を読むときに頭に置く必要のある事だとは思います。

数日前に朝日新聞の山中伸弥先生へのインタビュー記事が掲載されました。

(インタビュー 新時代・令和)分水嶺の科学技術 京都大学iPS細胞研究所長・山中伸弥さん

少し引用します。

――研究者を魅力ある職業にすれば、優秀な若者が増えますね。

 「ただ目利きが難しいのです。大きな可能性がある研究者かどうかは、短い申請書ではわからない。過去の業績は評価できても、新しいアイデアや人となりは評価できません。しっかりした人は5年間成果がなくても支援する価値があります。研究には作法があります。失敗や予想外の結果もしっかり記録に残して解析している研究者であれば、その繰り返しにより驚く成果がでることがあります。そういった努力は書類だけではわからないので、組織が日常的に客観的な評価をしないと、埋もれている才能を発掘できません」

 「例えば大学院生の時に有力科学誌に論文が載った人は、書類上は素晴らしい評価となります。でも運良く研究室が蓄積した成果が出る時期だっただけかも知れない。地味な雑誌にしか論文がなくても、きちんとしたビジョンを持ち、自らアイデアを考え、実験した成果がある人の方が、将来活躍する可能性が高いのです」

「5年間成果がなくとも」ない研究者が生き残るためには、確かにある個人がその個人を評価して擁護するという「しくみ」がないとこれは不可能だと思います。

一方、日本だと業績のimpact factorの「和」で研究能力を評価するというような習慣がまだまだあります。

多分この記事を受けて

こんなtweetをされた方がいました。

一面の真理があると思います。

北米式の「しくみ」だと、assistant professorはすでにPIです。 ここからassociate professor, professorと進む過程で研究成果を積み上げていくのでprofessorになれた段階ではある程度の業績を出すことが「保証」されているわけです。

ところが日本の伝統的な「しくみ」ではそうではありません。 伝統的な講座制では助教、准教授は教授の「番頭さん」として振る舞い「業績」を積み上げていきます。そこから教授になる訳ですがその段階では北米式のPIを経験していない。山中先生の表現を借りれば、「例えば准教授の時に有力科学誌に論文が載った人は、書類上は素晴らしい評価となります。でも運良く研究室が蓄積した成果が出る時期だっただけかも知れない」 という場合もある訳です。もちろんその准教授さんが主導的な役割を果たしたのでしょうが北米型のPIとしての業績ではありません。

教授になって初めて研究室を立ち上げたという人も結構たくさんいます

日本のやり方が悪いとは言えないと思いますが国際化を標榜するためにはこの制度は障害になっていると思います。


boseのQuietComfort 20を愛用していたのですが完全に断線してしまいました。

「修理」に出すと15000円で新品と交換してくれるはずなのですが今回ばかりはどうしたものかと考えています。

いっそヘッドフォンを買おうとかとも思うのですがいい歳をして電車でヘッドフォンをしているのもどうなんだという気がして躊躇しています。

どうせ誰もぼくのことなんで見ていないよとは思うのですが…


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仮説、モデル、問い

On 2013/9/16 月曜日, in Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

台風大阪池田市ではもう過ぎ去ってしまいました。

家から伊丹空港を離陸する飛行機が見えるのですが朝から普通のように飛び立っています。西向きの飛行機は飛んでいるのですね。

昨日は家にこもっていたのですがすることもないので映画「台風クラブ」を観ました。調べると1985年ぼくが大学生の時の映画でこれは映画館に観に行きました。 台風って非日常的な感覚を人に引き起こすと思います。

手術室で働くと云うことも本来はそういった非日常性を孕んでいるのでしょうが毎日そこにいると感覚としてはそう感じなくなってしまいます。それでも夏休みなのでしばらくその環境から離れると身体の不調なども消えていきますから無意識にいろんなストレスを引き受けながら働いているのだと云うことが意識されます。

長生きできないはずですよ。(参照)

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医学雑誌Lancetに安倍晋三内閣総理大臣の論文というか意見表明が掲載されています。

“Japan’s strategy for global health diplomacy: why it matters”

です。

さてこの論文の連絡先は

Shinzo Abe

Prime Minister of Japan, Chiyoda-ku, Tokyo 100-0014, Japan

shiro.konuma@mofa.go.jp

となっています。

論文の著者に単独でなるということは、彼がこの論文を執筆したという事を意味すると思うのですがどうなのでしょうか。週刊誌に発表する文章や書店で売られる単行本とは「著者」の扱いが異なります。

  1. 最初から自分で英語で書いて投稿した。
  2. 日本語の下原稿は自身で書いたけどそれを英語に直した人がいて投稿した。
  3. comment故に「コメントした」内容を誰かが英語にして投稿した。つまり自分では一行も文字を書いていない。
  4. そのどれでもなく実質的にはKonuma Shiroさんの論文である。
  5. 実際はもっと複雑である。

など考えられます。

オリンピック招致のプレゼンテーションを見る限り彼が英語を話す能力は余り高くないと思いましたが読み書きする能力はそれとは異なるかも知れません。 この論文は参考文献が22篇ついています。著者は文献は全て読んで内容を理解して引用すると仮定されますがやっぱりそうなんでしょうね。つまり英語を読む能力はそれなりあるということなのでしょう。 さすが総理大臣ですね。

mofaで外務省の事みたいです。

しかし総理大臣がこうなのですから日本ではgift authorshipとかの問題は解決されないのでしょうね。


雑誌Cellに”A Brief History of the Hypothesis“という論文が掲載さています。(参照)

生物学徒には見慣れない単語が並んでいるのですが内容が特段に難しいわけではありません。

ぼくらが研究を始める場合には何かの原動力があるはずです。 立てた仮説を証明したいするとか、モデルがうまく現実にフィットするかどうかを検証したいとかが研究を進めるきっけになります。

生物学の基礎的な実験的な研究を始めるとします。 いよいよ研究を具体的に開始する場合、何から手をつけるでしょうか? まず「仮説」を立てるかもしれません。

このような進め方は実は問題をはらんでいるのだというような事の解説から説き起こして、研究の進め方における「仮説」「モデル」「帰納」「演繹」に関するの歴史的な変遷についてをガリレオから始まってベーコン、ヒュームと進んでポッパーの反証主義的critical rationalismまでを紹介することでreviewした論文です。

例えばNewtonは”I frame no hypothesis”と云う言葉で「仮説」による研究の推進を否定しています。 得られた実験事実に基づき”bottom-up induction”により法則を定立していくというわけです。 という訳でNewtonの方法論は、例えばEinsteinのように光速が不変なのだという公理から理論、法則を演繹していくという方法論とは異なるとしています。

そうしたら何によってたって実際の実験を始めるべきなのでしょうか? この論文の著者はそれは”question“から始めるのだと主張します。”question”から始めて実際に十分な質と量のデータを得てそのデータに寄って”model”を構築していけと。 それによって”hypothesis”を捨て去っても科学が可能になると云うわけです。

なぜなら

The hypothesis may be “dangerous”— it may be used to filter data and induce bias. Therefore, scientists operating in an inductive framework might be insulated from an impulse to defend an unproven premise by adhering to a bottom-up method, producing experimentally derived data in order to build a model, and then subjecting the model to tests for its ability to predict the future. If the model passes such a test, its inductive power is demonstrated.

だからです。

医学研究とくに臨床研究では事情は複雑です。

対象となる患者は均一ではなく結果は常に統計学的に表されます。 つまり確率が支配する世界です。 このような場合仮説を棄却するのもモデルの適合性を認定することも確率という条件付きとなります。

最近世の中を騒がせたARBをめぐる研究上の問題も、ただの仮説が検証の前に「真実」であるかのように扱われてそれを「証明」しようとした結果起こった事件です。 このように仮説主導で行われる研究は様々な意味合いで危険だという見本のようなものです。

しかし、一見立派に見えるRandomized Controlled Trialであってもその結果は簡単に「ちゃぶ台返し」(medical reversal)にあってしまう場合があります。(参照) 見かけにだまされてはいけません。

 

ただある分子のノックアウトマウスを作出してとにかく何か面白い表現形を見つけようというような研究には特にhypothesisだとかmodelとかquestionとかは関係ないかも知れません。単純ではあるが実は力強い推進力かもしれません。実際このような研究はたくさんあります。ノックアウトしたら期待した表現型が出なかったけど粘ったら「予想もしない」ことが見つかったとか。こうなると科学なのかどうかもよくわかりませんが「意外性」はとにかくこの世界では重要視されます。

この論文でも取り上げられていますが例えば”What is the sequence of genome X ?”と云うような問題にはそもそも”hypothesis”は必要で無く”question”だけが必要です。

医療の世界も個人のライフログと関連付いた医療データが利用できるようになれば従来型の研究手法では解明できなかった様々な問題にアプローチできるようになると思います。 たぶん10年後にはこのような解析法が主流になっていくのではないかと思っています。

It is better to see science as a quest for good questions to try to answer, rather than a quest for bold hypotheses to try to refute.

というフレーズで締められています。おっしゃる通りとしか云いようがありません。

 

この論文では「演繹 (deduction)」と「帰納(induction)」という二つの論証法が挙げられているだけでもう一つの重要な論証法についての言及がありません。 もう一つはの論証法とは「仮説推論(abduction)」です。(参照)

シャーロック・ホームズの方法論としても有名です。

ネット上から少し引用します。(参照)

[ホームズ]「‥‥きみが今朝ウィグモア街の郵便局に行ったのは観察で判るけれど、きみがそこで電報を打ったと判るのは推理の力でね」

[ワトソン]「その通りだ!‥‥しかし、正直な話、どうして判ったんだろう?」

[ホームズ]「簡単なことさ。‥‥説明などいらないくらい簡単なことだよ。‥‥僕の観察によれば、きみの靴の甲には赤土が少しついている。ウィグモア街の郵便局の前の歩道は最近敷石をはずして、土を掘り起こしているからね、郵便局に入ろうとすれば、その上を踏まないわけにはちょっとゆかない。そこの土がちょうどそんな赤い色をしているわけで、この界隈には他に例がない。ここまでが観察。あとは推理だね」

[ワトソン]「じゃあ、電報はどうして推理したんだろう」

[ホームズ]「何でもない。午前中僕はきみの前に座っていたんだから、君が手紙を書かなかったのは判っている。それに、開けたままのきみの引き出しには切手も葉書も十分にあった。となると、郵便局に出かけて、電報を打つ意外の何をするんだろう。よけいな要素を取り除いていけば、残ったものが答えのはずだ。

つまり

1. 驚くべき事実Cが観察される。

2. しかし、もしAが真実であれば、Cは当然の事柄である。

3. よって、Aが真実と考えるべき理由がある。

というわけです。

すこし厳密さに欠けると思いますが医療現場ではこのような推論がむしろ多数を占めると思います。

実は基礎研究もこのようにして研究を始めるのですが論文にまとめる時に推論の方向性を「帰納」か「演繹」のどちらかにそぐうようにデータを並び替えたり議論の順番を変えたりしているのだと思います。 少なくともぼくはそうしていますしこれがぼくにとっての研究の醍醐味です。実際に見いだしたことの生物学的・医学的な重要性とはすこし異なる視点ですがこの推論の過程が面白いのです。そう思っている人は多いとぼくは確信しています。

 

シャーロック・ホームズの記号論―C.S.パースとホームズの比較研究」はすごくためになります。最近興味があって取り出して再読しました。

これはシャーロック・ホームズの方法論でもあるのですがDr. Houseの方法論でもあります。


土曜日の帰宅時に梅田のヨドバシカメラに寄ってみました。 毎日朝夜に前を通るのですが店に寄るのはたぶん三ヶ月以上ぶりです。

Bose社のイヤフォンを試すのが目的でした。

思っていたよりきれいに「無音」になりますね。これは何とかして手に入れたいと思いました。

現在Bose社の耳がすっぽり入るタイプのヘッドフォンを持っているのですが長時間していると耳が痛くなるという欠点と電車内でいい歳してヘッドフォンをしているわけにはいかないという事情でイヤフォンタイプのものがあればいいと思っていたのですがこれは良さそうです。iPhoneとそろえると大層な出費になってしまいますね。


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涼しくなってきました。

研究室ではエアコンが作動している時間が圧倒的に長いのですが、あのブーンという音が耳障りで集中できない場合があります。そのためにBoseのnoise reduction systemを内蔵しているheadphoneを持っているのですが、耳を完全に覆うすこし古い機種なので長時間の装着で耳が痛くなってしまい、一時間が限度です。

初夏と初秋の極短い期間だけエアコンのスイッチを切っても快適に過ごせる期間があります。ぼくのiMacは大変静かなのでエアコンを切って部屋を暗くして作業をしているととってもはかどると思う時があります。
芥川龍之介の小説に「戯作三昧」というのがあります。青空文庫にも収録されています。八犬伝の作者滝沢馬琴が主人公です。
終り頃の一章に以下のような節があります。長いですが引用してみましょう。

その夜の事である。

馬琴は薄暗い円行燈の光の下で、八犬伝の稿をつぎ始めた。執筆中は家内のものも、この書斎へははいつて来ない。ひつそりした部屋の中では、燈心の油を吸ふ音が、蟋蟀の声と共に、空しく夜長の寂しさを語つてゐる。

始め筆を下した時、彼の頭の中には、かすかな光のやうなものが動いてゐた。が、十行二十行と、筆が進むのに従つて、その光のやうなものは、次第に大きさを増して来る。経験上、その何であるかを知つてゐた馬琴は、注意に注意をして、筆を運んで行つた。神来の興は火と少しも変りがない。起す事を知らなければ、一度燃えても、すぐに又消えてしまふ。……

「あせるな。さうして出来る丈、深く考へろ。」

 馬琴はややもすれば走りさうな筆を警めながら、何度もかう自分に囁いた。が、頭の中にはもうさつきの星を砕いたやうなものが、川よりも早く流れてゐる。さうしてそれが刻々に力を加へて来て、否応なしに彼を押しやつてしまふ。

 彼の耳には何時か、蟋蟀の声が聞えなくなつた。彼の眼にも、円行燈のかすかな光が、今は少しも苦にならない。筆は自ら勢を生じて、一気に紙の上を辷りはじめる。彼は神人と相搏つやうな態度で、殆ど必死に書きつづけた。

頭の中の流は、丁度空を走る銀河のやうに、滾々として何処からか溢れて来る。彼はその凄じい勢を恐れながら、自分の肉体の力が万一それに耐へられなくなる場合を気づかつた。さうして、緊く筆を握りながら、何度もかう自分に呼びかけた。「根かぎり書きつづけろ。今己が書いてゐる事は、今でなければ書けない事かも知れないぞ。」しかし光の靄に似た流は、少しもその速力を緩めない。反つて目まぐるしい飛躍の中に、あらゆるものを溺らせながら、澎湃として彼を襲つて来る。彼は遂に全くその虜になつた。さうして一切を忘れながら、その流の方向に、嵐のやうな勢で筆を駆つた。

この時彼の王者のやうな眼に映つてゐたものは、利害でもなければ、愛憎でもない。まして毀誉に煩はされる心などは、とうに眼底を払つて消えてしまつた。あるのは、唯不可思議な悦びである。或は恍惚たる悲壮の感激である。この感激を知らないものに、どうして戯作三昧の心境が味到されよう。どうして戯作者の厳かな魂が理解されよう。ここにこそ「人生」は、あらゆるその残滓を洗つて、まるで新しい鉱石のやうに、美しく作者の前に、輝いてゐるではないか。……


瞬間的にこのような境地に達することができることがあります。

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京都大学ではホームカミングデイというものが設定されています。今年で5回目です。
同窓会のようなものなのですがなかなか多彩な出し物があります。
例えば、小惑星探査機はやぶさ」プロジェクトマネージャー 川口 淳一郎 先生の講演などが今年はあります。川口先生は京大の同窓生なのだそうです。
しかし笑ってしまうのは、懇親会です。
学生サークルTREVISによるチアリーディングがあるのだそうです。
なんかちょっと…ですよね。

明日からちょっと本腰をいれて取り組んで来週中には懸案を90%以上まで進めたいと思います。昨日の朝から病院滞在が40時間を超えました。revise一つ片付いたので、今日はもう帰って寝ます。

一昨日のエントリーは小林秀雄のパクリです。すみません。

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)


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