再開です 2013

On 2013/1/4 金曜日, in Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

昨日の晩から日常生活にresumeしました。

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年末年始は起きている時間の半分は読書で残りはテレビを見ている,歩いている,食べているの生活でした。

積み上げたら膝の高さくらいになる位にたくさん本を読むことができましたが視力が一段と落ちたような気もします。

いや違うね。親切さと心とはまた別のものだ。親切さというのは独立した機能だ。もっ正確に言えば表層的な機能だ。それはただの習慣であって,心とは違う。心というものはもっと深くもっと強いものだ。そしてもっと矛盾したものだ

30年近く前に出版された小説の一節です。

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光る森」というNHKの番組がすごく面白かったです。光るキノコの発光の分子機序はまだよく解っていないのだそうですね。

ドラマではやはりNHKの「御鑓拝借」。

これ以外はNHKの「新日本風土記」をまとめて五回分くらい見てその他はよく覚えていません。

 

元日の夜に「ニッポンのジレンマ」という番組を見たのですが「議論の中身」が理解できませんでした。自分が,いよいよ社会から乖離してきているのかもしれないなと思いました。

長らくいる国立大学病院と言うのはよほど一般社会とは異なる組織なのかもしれません。

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一年の計

一年の計と言っても本質的にはFrom Hand To Mouseといった生活を送っていますから何か言ったところでどうしようもないとも言えます。

データが上がっている研究は論文にする

ということに尽きます。出張の予定もほとんどないし気合いは入れていくつもりです。

もう一つ終わって,来週中にも一つ終わります。とにかく3月までに終わらせないと…

 

 

注文したiMacが届けばたぶんさらに効率が上がるはずです。そう信じています。(参照1, 参照2)

懸案の例の件も進めたいし,新しく考えている事も進めていたいのですができるかな !?


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残暑は厳しいですが朝夕は涼しく特に朝は寒いくらいです。

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一応夏休みです。

子供と家内がダンス大会に出かけて一人で特にすることがないので映画や撮りためたTV番組を観たりしていますがすることがなくなり論文の作業も並行して行っています。 休み明けには共著者に原稿を送って8月には投稿したいです。

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NHKの戦争特集を観て考えた事

毎年この時期になると第二次世界大戦関連のドキュメントが各放送局で放送されます。 特にNHKは一年中戦争ドキュメントを放送していて録画して結局は観てしまいます。(戦争証言アーカイブス)

NHKでこの年の夏に放送されたもので観たものとしては,

などがありました。

「大和」の番組は3時間の長尺で番組中にミニドラマを含むものでした。 衝撃的で考えさせられたのは 戦場の軍法会議 ~処刑された日本兵~ でした。

概要を番組のページから引用します。

67年前の太平洋戦争末期、フィリピンやニューギニアなどの南方戦線で補給が断たれた日本軍に“異常事態”が起きていた。飢えに苦しみ、食糧を求めてジャングルをさまよった日本兵たちが、部隊を勝手に離れたとして「逃亡罪」で次々に拘束され、処刑されたのだ。しかし、当時の記録は、ほとんどが軍によって焼却されたため、その詳細は今まで明らかになってこなかった。 今回NHKでは、その内実に迫る貴重な資料を入手した。戦場で開かれた特設の「軍法会議」で兵士たちを実際に裁いた軍の元法務官が、密かに残した内部文書と14時間に及ぶインタビュー・テープである。兵士たちは、なぜ処刑されたのか。そこで語られていた元法務官の証言は、衝撃的だ。 軍紀を守るために厳罰を科し“見せしめ”を求めた軍上層部の意向で、本来なら死刑にならない罪でも兵士を処刑した、というのである。「法の番人」であるはずだった法務官たちは、なぜ、軍の上層部に抵抗し続けることができなかったのか。戦場で行われた軍法会議の実態を、ひとりの法務官の軌跡を追うことで明らかにし、戦争の罪を見つめる。

という番組です。

軍や政府は戦後,軍法会議の資料をほぼ全部焼灼処分として一種の証拠隠滅を図ったということですがある法務中佐が個人的に残した資料が発掘されその資料に基づきまた生存者の証言で当時の状況が再現されたというわけです。

罪名は「戦時逃亡」,「奔敵(自ら進んで敵軍に向け逃げ去り捕虜になること)」や「死体損壊(これは衝撃ですよね)」などが適応され,結論ありきの軍法会議であっても裁かれたのはよい方で,中には問答無用の銃殺というケースも多かったという事です。

悲惨なのは,残された遺族や親戚も一緒です。多くの場合地域に住むことができなくなり流れて行かざるを得ない,また遺族年金の支払いを拒否されるなどの事態に陥ったのだそうです。

しかしこのような体制は何も「戦時下」だけでなく現在でも続いています。

例えば手術室。

これは一種の「戦場」「鉄火場」であり,ある状況下では目の前の「患者」の心臓を動かし続けるということが目的となりその目的の為にあらゆるリソースを投入していくということになります。 その患者の心臓が動き続けるということがどのような意味を持つのかを考える事は目的の為の行動の遂行にはたぶん「有害」なこともあります。

ぼくはと言えば,これに「兵士」として戦闘に参加する場合もあるし,司令官として参加する場合もあります。

自分で怖いなと思うのはそのような状況ではそのように行動するのが自然なのでありそれを阻むものは無視して突撃して行くしか無いと考えてしまうことです。 さらに状況が似ているのはどのような状況であったかが問われることなしに「敗戦」に対して突如責任を問われることがある事です。警察が介入したりそうでなくとも自らは絶対安全圏にいる安全管理室による「軍法会議」が開かれたりします。ちょっと怖いですね。

このような状況を打開する-というか避ける-方法で一番簡単なのは「立ち去る」事だと思います。君子危うきに近寄らずが一番単純でかつ確実な方法です。 職場にとどまり状況を変える事はそう容易ではない選択です。しかしだからといって何か抵抗をしてみたいとは考えています。 つまり結局は本当の「戦争」では無いからだと思います。

理想を追求するなら病院のオーナーか最低でも院長にならないと駄目ですね。教授や部長でお茶を濁していいたらいつまでも理想は達成できないと思います。

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読んだ本

夏休み用に本を買い込みました。

結果2012年に入社した社員のTOEICの平均点は800点を越えるようになっていたのだそうです。これってどれくらいできるということなのでしょうか。ぼくは受験したことがないので比較ができません。

文芸雑誌「新潮」に「the story of a day」という特集の一作として掲載された小説だそうです。戦争と言ってもだいぶ趣が異なります。

確かに中島みゆきの世界を小説にしたような感じですね。

その日東京駅五時二十五分発」を読んだら以前読んだ「八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学」を思い出し探したら家で見つかったので読み直してみました。

終戦でも敗戦でもよいのですが戦争が終わると清清するのでしょうね。

映画「凱旋門」の台詞に確か「戦争が終わったらフーケで会おう」というものがあったと思います。 「靖国で会おう」というのでは悲しすぎます。


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昨日の夜に書き出したのですが途中でやめてしまいました。

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月曜日から今日までの作業で某論文のデータ整理がついてfigureもほぼ定まりました。
今週中にはsemi-finalまで持って行きたいです。

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普段はテレビを全く見ません-テレビがないので-が週末は違います。
日曜日に「重力に逆らってまで~映画監督・西川美和が見た女子ウエイトリフティング~」というNHKで放送されたドキュメントの録画を見ました。

映画監督の西川美和さんが、ロンドン五輪を目指す女子ウエイトリフティングの選手たちに密着。重力にあらがい、鉄のバーベルに青春を賭ける姿を追った感動のドキュメント。

という触れ込みの番組です。

ウエイトリフティングという競技にはバレーやスケートのような「プロ」の制度はありません。オリンピックメダルが取れたりすると指導者として生き残る道はあるにせよ将来にわたって「職業」として成り立つかどうかが微妙な競技です。ロンドンオリンピックの出場権を獲得できなかったある選手は国内大会をキリに選手生活から退いてしまいました。
ぼくらのやっている基礎研究も同じようなものかもしれないと思いながら見ていました。

10年ほど前に某研究所の職員になってになって研究をすることが「仕事」になっていたときがあるのですがその時でも理事長に兼業許可をいただき-というか面接にいったらそうしてくださいと直々にご本人に言われましたので-麻酔を週に一回していました。
留学の直後で思い出しながら麻酔をしていたのですが結局は1年半くらいで研究所を辞めることにしました。
ここにはとうてい書くことができない事が主たる理由だったのですが辞めるということを正当化する材料の一つとして「このような生活をしていたら患者に申し訳ない」ということを考えました。
つまり,週に一回ほど麻酔をするようなぼくに麻酔をされる患者さんの気持ちになればこんな中途半端なことは辞めるべきだということです。
というような事を考えて,臨床と基礎研究が両立できるー少なくとも自分でそう考えられるー間は両立を目指し,それができなくなったと思ったときにはキッパリと基礎研究を止めようと考えました。
「命をかけて研究に取り組んでいる」ということをいう人がいますがそれは間違えです。別に研究がうまくいかなくとも自分は死なないし他人も死にません。職を失うかもしれませんがそれは「命をかけて研究に取り組んでいる」という事とは別の次元の話です。別に研究を軽視するつもりはありませんがそういうものだといっているだけです。
一方臨床は間違えたりうまくうまく行かなかったりすると患者が死んでしまうことがあります。ぼくは自分の命をかけて臨床に取り組んでいるわけではありませんが患者の命がかかっていることは事実です。
ついでにいうと大学院で基礎研究をすると論理的な思考が身につくというのも迷信です。ぼくらのような研究分野の生物学者が弄ぶような論理はそう複雑なものではないし臨床の現場でdecision makingの際に求められる論理の方がスピードが要求され難度も高いし高級なものです。といい切ってしまうと怒られるのでそうぼくは思っているという事にしておきます。

そう思ったのが約10年前でその時から何時止めようかと何百回も自分で考え続けてきました。

研究はよほど方法を誤るとかあり得ない作業仮説によらなければ論文などを出し続けることはさほど難しくありません。-それができない人は研究を続けられません。研究の遂行にはお金が必要で論文がゼロの人にお金をくれる人はいません。誰かに寄生して研究を続けるのはまた別の話です。-
その過程で「バント」で出塁しているような論文も出るし「二塁打」くらいにはなっていると自分で思える論文も出ます。そうなると牛の涎の様なもので切れ目が見えなくなってきます。ホームランを夢見ていますが現実的には無理なのでせめてランニングホームランになったらいいなと思って研究をしていますが「ホームラン」はなかなか出ません。
ドンと勝負してあっさり引くという勇気も無いのでどうしたものかといつも悩んでいます。

というような事をテレビを見て考えていました。
再放送があれば見てみてください

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米国の週刊誌「U.S.News & World Report」が毎年発表しているBest Hospitals 2012-13の結果が発表されています。
Johns Hopkins University HospitalはついにMassachusetts General HospitalにNO.1の座を明け渡しました。
かなり長きにわたって一番だったのに…
日本にも名医の紹介とか病院ランキングがありますけどあれもよく解りませんし米国でも一緒です。
でもJHU hospitalの職員は某K大病院の職員の少なくとも5倍は親切だったと思います。

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ある出来事をきっかけにメーカーと麻酔器を使って現象の再現を試みました。
自分は麻酔器を完全に理解していたわけでは無かったことに気付きました。その意味では自分にとって得るところがありました。

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