「反面教師」を目指しています

On 2014/5/11 日曜日, in hypoxia reseacrh, by bodyhacker

動物実験や遺伝子組み換え実験を行おうとすると研究機関が行う講習会に参加して認定してもらう必要があります。その上で申請書を提出し承認されてはじめて実験を遂行できる条件が整います。勝手にマウスを200匹実験に使うなどは許されません。

ぼくらの大学でも二回に分けて4月に講習会が開催されました。

昨年異動してきたときに遺伝子組み換え実験の講習を受けたと思い込んでいたのですが実は受講していないことに10日ほど前に気づきました- その代わり動物実験の講習を二回も受けていました-。その場合、学内の規定では「当日の講習会の内容を含んだビデオを教材とした臨時講習会を各講座で開きその受講証明を持って担当責任者の面接を受け試験合格の後に受講終了と見なす」ということでしたので麻酔科でビデオ講習会を開いてそののち主任を務めている微生物学講座の藤澤先生の面接を受け試験を受けて晴れて合格となりました。

院生の話を聞くと当日の問題は難しかったとのことだったし、藤澤先生は三人落ちたとおっしゃっていたのでちょっとびびっていました。

 

面談の折りに藤澤先生と30分ほどいろんな話をさせていただきました。

藤澤先生は一貫してHTLV-IとATLの発症の関連の研究を続けておられます。 以前に書いたことがあるかもしれませんがぼくもHTLV-I関連の研究に関与していた時代がありました。 話を伺うと藤澤先生は吉田光昭先生の研究室でTaxの研究をされていたということで、研究を始めたばかりの大学院生時代のことを思い出してちょっと気分が高揚するような体験をしました。ぼくもTaxを扱っていました。TaxってNF-kBを活性化するんですよ。(参照:藤澤研のページ

大学院時代はthioredoxinという蛋白質の研究をしていて麻酔科に戻った後も機嫌良くこの蛋白質の研究をしていたのですがあるとき当時の教授に「お前、そんなthioredoxinなんて蛋白質は麻酔科で知っている人はいないのだからいい加減止めてもっと解りやすいことをしたらどうか」といわれてそれもそうだなと思って今の低酸素の研究をはじめたのでした。それでその出来事の少し前に慶応大学での某meetingで話したGLSさんの事を思い出して彼に取ってもらいました。特に特別な戦略があった訳ではありません。 それでもぼくのやっていることは麻酔科医には解りにくいと思うのですが「酸素」というキーワードでなんとか許してもらっています。(この分野もセントラルドグマの定立のあとは諸説出過ぎて何が何だか解りにくくなりそろそろ潮時ではないかと考えています。)

自分のアタマの中では一貫して「ぼくはredox biologyの研究を転写因子の制御を題材に行っているのだ」とは思っていてその考えをまとめたこともあります。

「周術期医学としてのハイポキシア生物学の探究」 

残りの研究人生-実際いつまでできるかわかりません-は原点に戻っての仕事もやっていきたいと思っていてthioredoxinという名前をすべての麻酔科医とか集中治療医が当たり前に知っているという状況を作るような仕事をこれから目指そうかと思っています。 これはなんとかいけるのではないかと思っています。 引用回数500回超の「三塁打」を目指します。

という訳でこれからは「無駄な事」は極力しないという方向性で学会の出席も意味のあるものだけに限っていこうと思っています。実際忙しいし来週の某学会も欠席です。

IMG_7577

IMG_7576

 


小保方晴子さん(以下、オボちゃん)問題は大きなところは残りはオボちゃんの学位問題を残すだけになりました。論文自体はNature誌によって取り下げられるのではないでしょうか。

今まで生物学の実験をして論文を書いたことなどない人まで「再現性」とか「切り貼り」とか言い出して空前の騒ぎになりました。

日本分子生物学会の理事長は会員に向かって

「 理事長からのメッセージ(2014年初夏)「科学」という手続き」

というような訓辞を送りまた自身のブログでは

「「切り貼り」の一人歩きを憂う」 

というような主張を「あくまで個人の意見」として開陳しております。

今さら何なんなんでしょうか。自分の研究室院生とかにちゃんと話していなかったのでしょうか。

一応書いておきますが、ぼくはあくまで研究は「信じる」ことから始めています。信じる対象はさまざまですけど。

 

今回の騒動でぼくが感じた違和感の元は以下の二つくらいにまとめられるかも知れません。

 

  • 「再現」ってたぶんそんなに単純でない

以前にも書きましたが論文を発表する場合は 

自分の研究室で妥当な量的な振れの範囲で定性的に実験結果が再現されることが確認できれはそれでOK

ということにしていますというかこれ以上責任取れません。

今現在例えば10年前に発表した自分の論文の実験結果を再現してみろといわれてもどれだけの精度で再現できるかはちょっと解りません。

実験によっては10µlが11µlになっただけで結果が異なってくるような実験もあります。再現、再現と皆簡単にいいますがちょっと大丈夫かなというような気もします。

研究者の世界で主張が受け入れられれば論文の引用回数が上がるというくらいの指標で自分らの発見・報告のインパクトを忖度しています。

MUSE 細胞ってどうなんでしょうか

論文1  引用回数82回(web of science)

論文2  引用回数41回(web of science)

です。二つともPNASの論文ですが微妙な回数ですね。これってご自身のものはよいとして他の研究者による「再現性」ってどうなんでしょうか。

 

自分たちの手で再現できないことが明かな実験結果を含む論文を平気で投稿している例などいくらでもあります。

–これから20行くらい実例が入ったちょっとすごい内容だったのですが「血」出ても困ると思い「自粛」することにしました–

 

  • 切り貼りって不正のごく一部

オボちゃんが「やった」とされたのはホントに初歩的な切り貼りでガチに不正をやる人たちは「切り貼り」なんてしないと思います。最初から蛋白質の量や核酸の量を欲しいだけ電気泳動して結果を出されたら少なくとも論文の査読のレベルでは気づかれることはありません。今回のNature論文だってもっと巧妙にやることはできたはずでそうすれば「不正」は不正かどうか判定できなかったはずというかこんな調査にならなかったのかもしれません。ただ単に「再現できない」結果を含む論文となっただけかもしれないのです。 画像の切り貼り以外のもっと本質的と思われる問題点については今回は調査の対象にならなかったしたぶん永久に封印されるのだと思います。 つまり「わかりやすい」不正以外は「不正」として「有罪認定」されません。

 

社説:STAP調査 これで幕引きは早い


 「全貌解明」を主張する人がいてもそれはそうだろうと思います。 

 

オボちゃんの一連の出来事と平行して高血圧治療薬のディオバンをめぐる研究不正も追及されていました。

多くの大学病院の医師達が適当にデータをいじくって都合のよい結果を導いていたのがバレて製薬会社にその責任を丸投げしようとしているという事件です。国民の健康に直結するこの事件の方がオボちゃんの一件より重大だという人もいてそれはそうなのだと思います。

こういった事件が起こる背景には一旦論文が出ると、NNTの計算もせずに「有意差がある」という結果を学会や製薬会社のプロモーションで聞いただけで、どんどん薬剤を処方するわかりやすい医者がいるということがあると思います。データをいじって妙な論文をでっち上げる奴らも悪いのですがいわれるがままに処方をする医者も悪い。 ここら辺の解決がない以上こんな問題はまた起こるような気がします。

要するに日本では医者の「頭」も前近代的なのかも知れません。

そもそも論文をきちんと読まない。誰かがどこかにまとめてくれた「要約」で結論だけ受容してしまうというようなことはそこら中で起こっています。

 

村上春樹氏の小説,「ねじまき鳥クロニクル」の34章にあるエピソードがあります。シベリアの強制収容所の支配者ボリスが間宮中尉に話す台詞です。

我等がレーニンはマルクスの理屈の中から自分に理解できる部分を都合よく持ち出し、我等がスターリンはレーニンの理屈の中から自分の理解できる部分だけーそれはひどく少ない量だったがー都合よく持ち出した。そしてこの国ではな、理解できる範囲が狭い奴ほど大きな権力が握れるようになっているんだ。それは狭ければ狭いほどいいんだ。

これって重要な指摘です。

 

オボちゃんって一体どんな人なのでしょうか? 一度でも話したりするとイメージがつかめるのですが皆目見当がつきません。厳しい箝口令が引かれているのか彼女の人となりについてまったく情報がありません。 ピンクの研究室で一緒に実験をしていた人がいるはずですがどこで何しているのでしょうか? 不思議です。 同じ建物で研究していたら廊下ですれ違うだろうし交流する機会もあるだろうし何かあると思うのですがそういった話が表には出てきません。 新聞・雑誌記者は何しているのかなと思います。

彼女の理研への採用の経緯などは若い研究者としては是非ともしっかりと知りたいことなのではないでしょうか? 誰の推薦状を持ってどのようなプレゼンテーションを行って採用に至ったのかとかそんなことです。

すごく昔ぼくも産業技術総合研究所の主任研究員になるとき面接を受けましたー就職で面接を受けたのはこれが初めてでしたー。 霞ヶ関の経産省の建物にある産業技術総合研究所の理事長室での理事長面接とその翌日につくばの本部で10人くらいの理事面接を受けて就職させてもらいました。特に厳しい質問などはなく理事長室を退出する際には「がんばってください」と声を掛けていただきました。握手もしてもらいました。 理事面接が終わったときには京都大学の出身の工学系の理事さんから「君は京大か。産業技術総合研究所では少数派だよ。ともにがんばろう。」と言われこれまた握手をしてもらいました。結局一年半でやめちゃいましたけど…

ちなみに産業技術総合研究所をやめるときには大学に戻すが医員になれといわれました。大学院生を四人抱えていたので丁重にお断りして北野病院に院生と共に異動しました。ここは実は田附興風会医学研究所の病院で医者は日本学術振興会の科学研究費の申請資格があります。

コネって重要なんです。どんな業績があろうが講座の主宰者に嫌われたらそれでお終いです。

 

オボちゃんの動機-というかこんな大それた事の筋書きをすべて彼女が書いたのかどうかさえ不明なのですが-はよく解りませんが「人を出し抜きたい」とか「脚光を浴びたい」というようなことは人間の根源的な欲望でこういったことからなかなか人は自由になれないと思います。どんな「方策」を講じてもより巧妙な手口でこいうことは何度でも繰り替えされると思います。 ディオバン事件も本当の理由はこういったことではないかとぼくは思っています。

どうであれ人前にでることを目指す人は確実にいるのです。

 

といわけで、取りあえずぼくらも“RESEARCH LAB NOTEBOOK”使うことに決めて10冊ほど買い込みました。先日藤澤先生に訊いたのですが実は大学でもロゴ入りの同じものが買えるのだそうです。 

IMG_7636

IMG_7624

 


PeerJというon-line open journalがあります。昨年ぼくらの論文をここから出しました。

その折りに「reviewerのコメントを公開するオプションがあるがどうするか」という問い合わせがあったのですがちょっとひるんで断りました。 PeerJではこの査読者のreviewにDOIを付与して一つの出版物として扱うことにしたようです。

PeerJ Peer-Reviews Now Have DOIs いい制度だと思います。

<blockquote class=”twitter-tweet” lang=”ja”><p>Peer-reviews at PeerJ now have DOIs <a href=”http://t.co/hdWo0REkGL”>http://t.co/hdWo0REkGL</a></p>&mdash; PeerJ (@thePeerJ) <a href=”https://twitter.com/thePeerJ/statuses/463584936793243648″>2014, 5月 6</a></blockquote>
<script async src=”//platform.twitter.com/widgets.js” charset=”utf-8″></script>

肯定するにしても批判するにしてもreviewerは一貫した節度あるコメントを責任を持ってする必要が出て来るのですが一方無償であるとか時間を取られるなどとかく問題の多いこのような査読が一つの業績として認められるという事にもつながります。

 


 

こんなのあるんですね。 ぼくなんて完全に「デキナイ上司」ですよ。というか日本一の反面教師をぼくは目指しています。

IMG_7463

IMG_7461


PDF
Tagged with:  

論文が出版されました

On 2013/12/1 日曜日, in Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

東北大学から京大麻酔科のぼくの研究室でこの3月まで丸三年過ごされた鈴木さんの論文がPeerJで出版されました。

“Differential roles of prostaglandin E-type receptors in activation of hypoxia-inducible factor 1 by prostaglandin E1 in vascular-derived cells under non-hypoxic conditions”

この雑誌は比較的に新しく創刊されたon line journalですが”Nature”などでも紹介されていたということもあり今回submitしてみました。(参照)

reviewのやりとりも結構気持ちのいいものでした。結局20ページの大論文になりました。

もちろんopen accessです。

IMG_2883


「医学的根拠とは何か」を読みました。

あとがきで明確に述べられていますが以前に紹介した同じ著者による「医学と仮説」とかなり内容が重複しています。その他著者の津田氏が雑誌に発表した文章なども重複して掲載されています。

「医学・医療の「根拠」についての世界での標準的な考え方とは何か、そしてなぜ日本ではそのように専門家が誤ってしまうのか」が語られていると言うことですがもちろん著者の主張が全て正しいというわけではない、とぼくは考えています。

「医学的根拠」として何に重きを置くかで医者をまず三つのグループに分類します。

  • 直感派
  • メカニズム派
  • 数量化派

です。

そして医学的根拠として最も正当なものは数量的な根拠であると述べてその優位性を強調して,直感的、メカニズムに基づく旧いタイプの医学的根拠を斬っていくという形式となっています。

その上で、現代医学の柱は「数量化」でありその「対象は人」であるべきと断言します。

一種の近代医学批判となっていてその観点から読めば大変得るところの多い岩波新書となっています。

とはいえネットにはこのような批判はいくらでも発見できます。(参照

著者が述べるように例えば米国の一流の医学雑誌に掲載される原著論文はほとんどが「統計学を駆使した臨床研究」です。これは臨床系の医学雑誌だからそうなのであって例えばNature Medicineなどの基礎系医学雑誌は今もっていわゆるメカニズム派の牙城となっています。遺伝子改変マウスを縦横に駆使した実験的な論文が(いまや細胞を用いた解析だけではなかなかこのような雑誌に論文が載ることはないのですが)主流を占めています。新聞などで報道されるほとんどの研究成果はこのような疾患のメカニズムまたそれを基に治療への可能性を論じた論文です。例えば線虫をもちいた研究で人の疾患が克服されるかのような報道が往々にしてなされます。

しかし臨床系医学雑誌といえども統計学を駆使した臨床研究ばかりを掲載しているわけではありませんしむしろそれ以上に重きを置かれている分野があるように思えます。

ちょうど最近読んだJAMA Internal Medicine誌からいくつか選んでみます。

“Known Unknowns and Unknown Unknowns at the Point of Care”

“Improving Quality Improvement for Cardiopulmonary Resuscitation”

“Differential Effectiveness of Placebo Treatments: A Systematic Review of Migraine Prophylaxis”

のようなタイトルの論文や解説が並んでいます。

蓄積された医学知識(その一部はいわゆる”evidence”と呼ばれるものです)をどう臨床現場で適応していくのかとか、医療における人間関係(医師-患者、医師-他の医療従事者また医師ー医師というような組み合わせ)に着目した論文や総説の数がどんどん増えていっています。 “Improving Quality Improvement for Cardiopulmonary Resuscitation”は医学的に効果的なCPRの方法を論じたものではなく誰にどのようにCPRを施すこと(CPRをしないという選択も含めて)がquality improvementにとって効果的であるのかということを論じたものです。

さらに医療の関わる知識はすり減っていったり突然にちゃぶ台返し(medical reversal)を受けたりする儚いものです。(参照)

その1例がJAMA Internal Medicine誌にも掲載されている周術期におけるβ-blocker使用の効用についての論争です。 (“Perioperative β-Blockers Revisited Good for What Ails You?”)

虚血性心疾患をもつ患者が外科手術を受ける際にβ-blockerを服用させることが患者にとって有益かどうかという問題なのですがが一見こんな「単純」な問題に、明快な答えが得られないのです。

9つの臨床研究(対象患者数は10529)のメタアナリシスによれば周術期のβ-blockerの使用は手術後30日以内の患者の死亡率を上げると結論つけられている(risk factor 1.27, 95% CI, 1.01-1.60)のですが同じ年に発表された「37805人の患者を対象としたレトロスペクティブ解析」では一見逆の結果(RR 0.73, CI, 0.65-0.83)となっているのです。 よく読むとまったく結果は正反対とは言えないのですがここまで読み込んで咀嚼しないといけないとすれば臨床の現場に対しての強いメッセージとはなり得ません。

そもそもβ-blockerの使用は有効と考えられていた時代でも

  • どんな患者に

  • どの種類のβ-blockerを

  • いつからいつまで
  • どれだけ

投与するかなどが曖昧だったのです。

このためガイドラインもばらばらで多くの麻酔科医の間ではその詳細はneglectして”β-blockerの投与で良いことが起こるのだ”というメッセージがだけが一人歩きをしているというのが現状です。

つまり数量派こそが医学の王道だと断言されても実際の医療現場はそう単純ではないということです。

またEBMにはこんな問題も存在します。

“EBM’s Six Dangerous Words”

ある医療的な行為が患者にとって有効であると主張する為には何らかの”evidenceが必要である”という主張が正しいとします。 しかしだからといって”evidenceの無い医療行為”が無効だとか有害だという結論を導くことはできないのですが(つまり“absence of evidence is not evidence of absence”なのですが)往々にして”There is no evidence to suggest”という言い方(これがEBM’s Six Dangerous Wordsです)でくくられてしまい“absence of evidence is evidence of absence”と判断されてしまう場合があります。 数量派の研修医が直感派の指導医をやり込めるときの典型的な構図です。

“There is no evidence to suggest”という表現には少なくとも以下の4種類の意味があるのでそれを使い分けないといけないと主張しています。

(1) “scientific evidence is inconclusive, and we don’t know what is best” (corresponding to USPSTF grade I with uninformative Bayesian prior)

(2) “scientific evidence is inconclusive, but my experience or other knowledge suggests ‘X’” (corresponding to USPSTF grade I with informative Bayesian prior suggesting “X”)

(3) “this has been proven to have no benefit (corresponding USPSTF grade D)

(4) “this is a close call, with risks exceeding benefits for some patients but not for others” (corresponding to USPSTF grade C).

ちなみにUSPSTFというのはU.S. Preventive Services Task Forceのことでgradeはこの組織の定義によります。(参照)

このように現代医学には数量化を突き抜けた諸問題が満載であり「ビッグデータを手元のPCで解析すれば」全て解決という訳にはいきません。

さらにいくら統計学を駆使した研究でも元になるデータを不正に操作されたのではどうしようもありません。今年大騒ぎされたある降圧薬をめぐる一連の「事件」は統計学者の不足という問題ではなく日本の医学研究が抱えるもっと奥の深い問題の現れだとぼくは思っています。 困った事ですけど、巧妙なデータ操作はどのような状況下でもいくらでもできてしまいます。

と書いてきましたがぼくも「医学的根拠とは何か」の主張には大賛成です。

近藤誠氏の新作「がんもどき」で早死にする人、「本物のがん」で長生きする人を読んでみました。 従来の主張と特に異なるところはないと思いますが主張はより先鋭化しているともいえます。 近藤氏の主張の9割は「正しく」とも 治療選択にあたって患者に覚悟を求めるかのような挑発的な言説が一部で圧倒的な批判を呼び起こしているのだと思います。

驚くことに近藤派と半近藤派両陣営ともEBMを唱導しているのです。 近藤氏はEBMをがん治療に応用して「闘うがん治療」を批判して、反近藤派もEBMに寄って「近藤理論」を非難しているのです。

このような意見表明がなされています。(Overdiagnosis and Overtreatment in Cancer)

The word “cancer” often invokes the specter of an inexorably lethal process; however, cancers are heterogeneous and can follow multiple paths, not all of which progress to metastases and death, and include indolent disease that causes no harm during the patient’s lifetime.

近藤氏もこの論文を引用しています。しかしこれは近藤氏の「理論」をサポートするのものではないと思います。

 

「乳がん」。 おそらく健康政策の現場ではこのようなissueが重視されているのです。 (参照1, 参照2)

これをご覧いただくと解るように国別で乳がんの死亡率が大きく異なります。患者の背景、社会の背景を反映しているのだと思いますがここに予防・治療の糸口があるのだと思います。

小学校で英語を教えるのも良いですが、自分の健康管理についての知恵をき無教育から授けていくようなカリキュラムを作ってもらいたいと思います。 そうすれば日本は今の医者を含めた医療従事者で十分やっていけると思います。

 

IMG_2706

夢のコラボ


土曜日は日当直でした。 寒くなると血管破綻系の疾患が増えます。 「頼れる病院」が救急外来を開いていると時に収集がつかなくなりかけるくらい患者さんがきます。

 

よく研究に命をかけているという研究者がいますがこれはウソです。基礎研究がうまくいかないくらいで人は死んだりしません。掛かっているのは精々研究者自身の食い扶持程度です。

一方、手術室での医療行為は文字通りに命が掛かっています。これは誇張でもなんでもなく単なる事実です。こういう状況では使える医学的根拠は全て動員してことにあたることになります。

 

結果として

スケジュールをたてて満足しているようだが、原稿は全く進んでいない。原稿をしろ。 

ぼくは仕事だ。Hirota, K.も原稿をしろ。

と言われてしまうことがあります。

 

IMG_2956

 病棟から枚方大橋が見えます

IMG_2933

 

家内と梅田で合流して昼からビールを飲んで焼き肉食べました。

 


PDF

PLoS OneとPeerJに立て続けに論文がアクセプトされて一息つきました。 いくつかばらまいてあるものが年内に何とかなることを祈っています。

最近は広く皆に読んでもらえるならどの雑誌でもいいという程度の「悟り」というか「諦観」を身につけました。 やりたいことを自分の身の丈で継続できるという環境は素晴らしいと思っています。

 

IMG_2440

 

こういうon-line journalは分量の制約がゆるいまたはないのでいっぱいデータを持っている場合全部突っ込めるのですごくありがたいです。

PeerJは始まったばかりですがPLoS Oneに至っては日本ではこれでプレスリリースを行う研究者や新聞が取り上げたりもして実際にあのImpact Factorも予想に反して結構高めとなってきています。 さまざまなMetricのtoolもあって自分たちの論文がどれくらいの反響があるのかもある程度リアルタイムにつかむことができて大変助かっています。

未来永劫とはいえないけどここ数年の流れになっていくと思っています。

 

雑誌の従来の「権威」で個々の論文の信憑性が担保されるというような考えは昨今の状況を考慮すればすでにタダの「幻想」となっていると思います。基礎的な論文であっても臨床の論文のようなmeta-analysis的なものをかいくぐって初めて真正性が認められるというような時代がやってくると思います。

論文の追試というのは大それた論文であればあるほど世界中で一斉に始まります。製薬会社などには追試を専門にしている部署があるのではないでしょうか。”Science”誌のエッセイによれば追試できない結果を含んだ論文というのはいわゆる一流誌でもすごい数あるようです。(参照)

柳田先生はブログでこのような辛辣な意見を述べておられます。(参照

論文投稿の研究室が高い名声と信用を勝ち得ていると,論文データ中に捏造データがあるなどと思えないものです。最初から疑いの眼でみることはまずありえません。しかしご承知のとおり夢にも思わなかったような人々が捏造データ作成に手を染めていることがいまやはっきりしてくると、この阪急のケースなども同根の病から生じたものではないか、と思いたくなるのです。

まず関西でいうええかっこし、これが行きつくところまでいくと,内容がない癖にいい方で相手を信用させ騙す。見かけがなによりも大切。つまりNCSとかいう頭文字の雑誌の論文があれば見かけは最高になる、だから生きる目的のすべてがそこに向かう。 次ぎにおかしいことがばれたら、誤りであったと言い抜ける。相手をあざむく気はまったくなかったと言い張る。悪気はまったくなかったし、こういう表現がいけないと言うことも気づかなかった。いつもはとかなんべんかはちゃんとしたものを提供しました、などといいぬける。これも研究の世界ではすぐ使えそうな気がします。

捏造研究の現場も日本は国内トップの研究費の非常に潤沢なところで横行しているのですから、なにか同根の問題があるのでしょう。

つまり国内トップといってもたいしたものではないというところでしょうか。

表面を飾り立てることにきゅうきゅうとしている職場の雰囲気がたぶん同根なのでしょう。

 

こんなことならいっそ査読なんて要らないといことにならんかなと思ってしまいます。 

そもそも研究成果の発表の手段は査読付きの論文として発表するだけに限定された訳ではありません。

数学や物理学にはpreprintを収録するarchiveが存在します。 例えば”arxiv“。 形式上の一定の基準を満たせば査読無しに収録してくれます。 研究者が自由にアクセスできます。

ロシア人数学者グリゴリー・ペレルマンはポアンカレ予想を証明したと主張する論文をプレプリント投稿サイトとして著名なarXivに投稿しその後の検討でこの主張は正しいつまりポアンカレ予想は彼によって証明されたと考えられるようになっています。

すごく健全だと思うのですがどうでしょうか。

 

生物学の領域ではいままでこのようなpreprint serverはなかったのですがPeerJのpreprint serverやCold Spring Harbor Laboratoryが運営する”bioRxiv“などが稼働し始めました。

bioRxiv (pronounced “bio-archive”) is a free online archive and distribution service for unpublished preprints in the life sciences.

Articles are not peer-reviewed, edited, or typeset before being posted online. However, all articles undergo a basic screening process for offensive and/or non-scientific content. No endorsement of an article’s methods, assumptions, conclusions, or scientific quality by Cold Spring Harbor Laboratory is implied by its appearance in bioRxiv. An article may be posted prior to, or concurrently with, submission to a journal but should not be posted if it has already been published.

以上の様な条件があります。つまり、preprint serverに託しておいた研究を査読誌に投稿するというようなことも条件付きでは可能の様です。

Many research journals, including all Cold Spring Harbor Laboratory Press titles (Genome Research, Genes & Development, and Learning & Memory), EMBO Journal, Nature journals, Science, eLife, and all PLOS journals allow posting on preprint servers such as bioRxiv prior to publication.

こう書いてありますから早晩ほとんど全ての査読誌はこういった方向性を受け容れることになるのだと思います。

逆に特徴の無い査読誌は消えてしまうと思います。存在意義がなくなりますよね。

今後どうなっていくか関心があります。

 

PeerJのpreprint serverは臨床医学の症例報告も収録してくれます。実はすでにぼくの分も上げてあります。

症例報告なんて別に査読を受けなくともどんどんこういったpreprint serverに投稿して世界中の人に自由に読んでもらえる方がいいと思います。

こんな症例報告を業績にするつもりもないのですが煩雑なやりとりを強いられたり字数制限を考慮したりするのはこりごりです。

 

以前に書いたことがありますがそもそも論文って「意見広告」なんですよ。 (参照)

査読といっても数人多くの場合は二人くらいの研究者が読むだけです。現在の査読システムには問題が多すぎるのです。 (参照:”Are We Refereeing Ourselves to Death? The Peer-Review System at Its Limit“)

 

IMG_2444

 


昨日の帰宅時に「キレイゴトぬきの農業論」という本を読みました。 脱サラして農園の経営に飛び込んだ久松達央さんが著者です。

調べてみるといくつかの書評がすでに出ているようです。 例えばここではとてもうまくこの本が紹介されています。

これを医療の世界に適応してみてもなかなか面白い示唆が得られると思います。 普通の医療の世界に「天才」とか「神の手」みたいな人は本来必要ありませんというよりこういう人がいるとたぶんとても迷惑する場合もあります。 医療は普通の人間が普通の論理に従って普通に行う事がもっともうまくいくための方策なのだと思っています。

先日医学部の学生くんと研修医くんと25年前の麻酔について話していました。

ぼくが麻酔を始めた頃はpulse oximeterは何でも自由に買ってもらえるK大病院でも一台くらいしか存在せず、人工呼吸が内蔵された麻酔器も数台しかありませんでした。自動血圧計なんて便利なものもありませんでした。

仕方ないので10時間でも手動で人工呼吸をしながら5分おきに手動で血圧を測定するといく局面が何度もありました。なので麻酔中に居眠りなどできません。

もちろん一人で二つの麻酔を掛け持ちするということはこの体制では原理的に不可能だったのです。

今は違います。

 

医療の分野は「キレイごと」抜きで考えるともっと良くなる分野だと思います。

IMG_2374


PDF
madeonamac.gif Creative Commons License