「反面教師」を目指しています

On 2014/5/11 日曜日, in hypoxia reseacrh, by bodyhacker

動物実験や遺伝子組み換え実験を行おうとすると研究機関が行う講習会に参加して認定してもらう必要があります。その上で申請書を提出し承認されてはじめて実験を遂行できる条件が整います。勝手にマウスを200匹実験に使うなどは許されません。

ぼくらの大学でも二回に分けて4月に講習会が開催されました。

昨年異動してきたときに遺伝子組み換え実験の講習を受けたと思い込んでいたのですが実は受講していないことに10日ほど前に気づきました- その代わり動物実験の講習を二回も受けていました-。その場合、学内の規定では「当日の講習会の内容を含んだビデオを教材とした臨時講習会を各講座で開きその受講証明を持って担当責任者の面接を受け試験合格の後に受講終了と見なす」ということでしたので麻酔科でビデオ講習会を開いてそののち主任を務めている微生物学講座の藤澤先生の面接を受け試験を受けて晴れて合格となりました。

院生の話を聞くと当日の問題は難しかったとのことだったし、藤澤先生は三人落ちたとおっしゃっていたのでちょっとびびっていました。

 

面談の折りに藤澤先生と30分ほどいろんな話をさせていただきました。

藤澤先生は一貫してHTLV-IとATLの発症の関連の研究を続けておられます。 以前に書いたことがあるかもしれませんがぼくもHTLV-I関連の研究に関与していた時代がありました。 話を伺うと藤澤先生は吉田光昭先生の研究室でTaxの研究をされていたということで、研究を始めたばかりの大学院生時代のことを思い出してちょっと気分が高揚するような体験をしました。ぼくもTaxを扱っていました。TaxってNF-kBを活性化するんですよ。(参照:藤澤研のページ

大学院時代はthioredoxinという蛋白質の研究をしていて麻酔科に戻った後も機嫌良くこの蛋白質の研究をしていたのですがあるとき当時の教授に「お前、そんなthioredoxinなんて蛋白質は麻酔科で知っている人はいないのだからいい加減止めてもっと解りやすいことをしたらどうか」といわれてそれもそうだなと思って今の低酸素の研究をはじめたのでした。それでその出来事の少し前に慶応大学での某meetingで話したGLSさんの事を思い出して彼に取ってもらいました。特に特別な戦略があった訳ではありません。 それでもぼくのやっていることは麻酔科医には解りにくいと思うのですが「酸素」というキーワードでなんとか許してもらっています。(この分野もセントラルドグマの定立のあとは諸説出過ぎて何が何だか解りにくくなりそろそろ潮時ではないかと考えています。)

自分のアタマの中では一貫して「ぼくはredox biologyの研究を転写因子の制御を題材に行っているのだ」とは思っていてその考えをまとめたこともあります。

「周術期医学としてのハイポキシア生物学の探究」 

残りの研究人生-実際いつまでできるかわかりません-は原点に戻っての仕事もやっていきたいと思っていてthioredoxinという名前をすべての麻酔科医とか集中治療医が当たり前に知っているという状況を作るような仕事をこれから目指そうかと思っています。 これはなんとかいけるのではないかと思っています。 引用回数500回超の「三塁打」を目指します。

という訳でこれからは「無駄な事」は極力しないという方向性で学会の出席も意味のあるものだけに限っていこうと思っています。実際忙しいし来週の某学会も欠席です。

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小保方晴子さん(以下、オボちゃん)問題は大きなところは残りはオボちゃんの学位問題を残すだけになりました。論文自体はNature誌によって取り下げられるのではないでしょうか。

今まで生物学の実験をして論文を書いたことなどない人まで「再現性」とか「切り貼り」とか言い出して空前の騒ぎになりました。

日本分子生物学会の理事長は会員に向かって

「 理事長からのメッセージ(2014年初夏)「科学」という手続き」

というような訓辞を送りまた自身のブログでは

「「切り貼り」の一人歩きを憂う」 

というような主張を「あくまで個人の意見」として開陳しております。

今さら何なんなんでしょうか。自分の研究室院生とかにちゃんと話していなかったのでしょうか。

一応書いておきますが、ぼくはあくまで研究は「信じる」ことから始めています。信じる対象はさまざまですけど。

 

今回の騒動でぼくが感じた違和感の元は以下の二つくらいにまとめられるかも知れません。

 

  • 「再現」ってたぶんそんなに単純でない

以前にも書きましたが論文を発表する場合は 

自分の研究室で妥当な量的な振れの範囲で定性的に実験結果が再現されることが確認できれはそれでOK

ということにしていますというかこれ以上責任取れません。

今現在例えば10年前に発表した自分の論文の実験結果を再現してみろといわれてもどれだけの精度で再現できるかはちょっと解りません。

実験によっては10µlが11µlになっただけで結果が異なってくるような実験もあります。再現、再現と皆簡単にいいますがちょっと大丈夫かなというような気もします。

研究者の世界で主張が受け入れられれば論文の引用回数が上がるというくらいの指標で自分らの発見・報告のインパクトを忖度しています。

MUSE 細胞ってどうなんでしょうか

論文1  引用回数82回(web of science)

論文2  引用回数41回(web of science)

です。二つともPNASの論文ですが微妙な回数ですね。これってご自身のものはよいとして他の研究者による「再現性」ってどうなんでしょうか。

 

自分たちの手で再現できないことが明かな実験結果を含む論文を平気で投稿している例などいくらでもあります。

–これから20行くらい実例が入ったちょっとすごい内容だったのですが「血」出ても困ると思い「自粛」することにしました–

 

  • 切り貼りって不正のごく一部

オボちゃんが「やった」とされたのはホントに初歩的な切り貼りでガチに不正をやる人たちは「切り貼り」なんてしないと思います。最初から蛋白質の量や核酸の量を欲しいだけ電気泳動して結果を出されたら少なくとも論文の査読のレベルでは気づかれることはありません。今回のNature論文だってもっと巧妙にやることはできたはずでそうすれば「不正」は不正かどうか判定できなかったはずというかこんな調査にならなかったのかもしれません。ただ単に「再現できない」結果を含む論文となっただけかもしれないのです。 画像の切り貼り以外のもっと本質的と思われる問題点については今回は調査の対象にならなかったしたぶん永久に封印されるのだと思います。 つまり「わかりやすい」不正以外は「不正」として「有罪認定」されません。

 

社説:STAP調査 これで幕引きは早い


 「全貌解明」を主張する人がいてもそれはそうだろうと思います。 

 

オボちゃんの一連の出来事と平行して高血圧治療薬のディオバンをめぐる研究不正も追及されていました。

多くの大学病院の医師達が適当にデータをいじくって都合のよい結果を導いていたのがバレて製薬会社にその責任を丸投げしようとしているという事件です。国民の健康に直結するこの事件の方がオボちゃんの一件より重大だという人もいてそれはそうなのだと思います。

こういった事件が起こる背景には一旦論文が出ると、NNTの計算もせずに「有意差がある」という結果を学会や製薬会社のプロモーションで聞いただけで、どんどん薬剤を処方するわかりやすい医者がいるということがあると思います。データをいじって妙な論文をでっち上げる奴らも悪いのですがいわれるがままに処方をする医者も悪い。 ここら辺の解決がない以上こんな問題はまた起こるような気がします。

要するに日本では医者の「頭」も前近代的なのかも知れません。

そもそも論文をきちんと読まない。誰かがどこかにまとめてくれた「要約」で結論だけ受容してしまうというようなことはそこら中で起こっています。

 

村上春樹氏の小説,「ねじまき鳥クロニクル」の34章にあるエピソードがあります。シベリアの強制収容所の支配者ボリスが間宮中尉に話す台詞です。

我等がレーニンはマルクスの理屈の中から自分に理解できる部分を都合よく持ち出し、我等がスターリンはレーニンの理屈の中から自分の理解できる部分だけーそれはひどく少ない量だったがー都合よく持ち出した。そしてこの国ではな、理解できる範囲が狭い奴ほど大きな権力が握れるようになっているんだ。それは狭ければ狭いほどいいんだ。

これって重要な指摘です。

 

オボちゃんって一体どんな人なのでしょうか? 一度でも話したりするとイメージがつかめるのですが皆目見当がつきません。厳しい箝口令が引かれているのか彼女の人となりについてまったく情報がありません。 ピンクの研究室で一緒に実験をしていた人がいるはずですがどこで何しているのでしょうか? 不思議です。 同じ建物で研究していたら廊下ですれ違うだろうし交流する機会もあるだろうし何かあると思うのですがそういった話が表には出てきません。 新聞・雑誌記者は何しているのかなと思います。

彼女の理研への採用の経緯などは若い研究者としては是非ともしっかりと知りたいことなのではないでしょうか? 誰の推薦状を持ってどのようなプレゼンテーションを行って採用に至ったのかとかそんなことです。

すごく昔ぼくも産業技術総合研究所の主任研究員になるとき面接を受けましたー就職で面接を受けたのはこれが初めてでしたー。 霞ヶ関の経産省の建物にある産業技術総合研究所の理事長室での理事長面接とその翌日につくばの本部で10人くらいの理事面接を受けて就職させてもらいました。特に厳しい質問などはなく理事長室を退出する際には「がんばってください」と声を掛けていただきました。握手もしてもらいました。 理事面接が終わったときには京都大学の出身の工学系の理事さんから「君は京大か。産業技術総合研究所では少数派だよ。ともにがんばろう。」と言われこれまた握手をしてもらいました。結局一年半でやめちゃいましたけど…

ちなみに産業技術総合研究所をやめるときには大学に戻すが医員になれといわれました。大学院生を四人抱えていたので丁重にお断りして北野病院に院生と共に異動しました。ここは実は田附興風会医学研究所の病院で医者は日本学術振興会の科学研究費の申請資格があります。

コネって重要なんです。どんな業績があろうが講座の主宰者に嫌われたらそれでお終いです。

 

オボちゃんの動機-というかこんな大それた事の筋書きをすべて彼女が書いたのかどうかさえ不明なのですが-はよく解りませんが「人を出し抜きたい」とか「脚光を浴びたい」というようなことは人間の根源的な欲望でこういったことからなかなか人は自由になれないと思います。どんな「方策」を講じてもより巧妙な手口でこいうことは何度でも繰り替えされると思います。 ディオバン事件も本当の理由はこういったことではないかとぼくは思っています。

どうであれ人前にでることを目指す人は確実にいるのです。

 

といわけで、取りあえずぼくらも“RESEARCH LAB NOTEBOOK”使うことに決めて10冊ほど買い込みました。先日藤澤先生に訊いたのですが実は大学でもロゴ入りの同じものが買えるのだそうです。 

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PeerJというon-line open journalがあります。昨年ぼくらの論文をここから出しました。

その折りに「reviewerのコメントを公開するオプションがあるがどうするか」という問い合わせがあったのですがちょっとひるんで断りました。 PeerJではこの査読者のreviewにDOIを付与して一つの出版物として扱うことにしたようです。

PeerJ Peer-Reviews Now Have DOIs いい制度だと思います。

<blockquote class=”twitter-tweet” lang=”ja”><p>Peer-reviews at PeerJ now have DOIs <a href=”http://t.co/hdWo0REkGL”>http://t.co/hdWo0REkGL</a></p>&mdash; PeerJ (@thePeerJ) <a href=”https://twitter.com/thePeerJ/statuses/463584936793243648″>2014, 5月 6</a></blockquote>
<script async src=”//platform.twitter.com/widgets.js” charset=”utf-8″></script>

肯定するにしても批判するにしてもreviewerは一貫した節度あるコメントを責任を持ってする必要が出て来るのですが一方無償であるとか時間を取られるなどとかく問題の多いこのような査読が一つの業績として認められるという事にもつながります。

 


 

こんなのあるんですね。 ぼくなんて完全に「デキナイ上司」ですよ。というか日本一の反面教師をぼくは目指しています。

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先週の出張中に溜まりまくっていた雑用などなどをほぼかたづけました。
昨日の夕方,JYさんと2時間ほど話しました。すごく久しぶりです。我ながら2時間も話すことがあるのがすごいなと思いました。

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先週の火曜日6/26から金曜日6/29にかけて札幌市郊外のホテルで開催された第33回内藤コンファレンス “Oxygen Biology: Hypoxia, Oxidative Stress and Diseases“に参加しました。

酸素代謝またはそのシグナル研究に関わる内外の研究者を網羅した大変中身の濃いカンファレンスで堪能しました。カンファレンスの計画や実行にあたっていただいた皆さんに感謝します。

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ぼくは大学院時代はthioredoxinというレドックスシグナルの調節に関わる蛋白質の研究をしていてその時分に知り合った先生にも多数声を掛けていただきました。また低酸素研究領域ではがんとハイポキシア研究会での仲間との再会を果たすことができました。一種の同窓会のようにもぼくには感じられました。

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参加者の一人GLSさんにHypoxiaとOxidative Stressの研究者が集まる会はありそうで実際にはあまりないのではないかと話したら1996年に慶応大学で第一回のInternational Symposia for Life Sciences and Medicineとして開催されたOxygen Homeostasis and Its Dynamicsもこういった会だったのではないかと指摘されました。そうなんですよ。GLSさんと初めて会ったのは16年前の冬の東京だったのです。(参照)。あの時も食べ放題呑み放題で歌舞伎ツアーもありましたね。事務を仕切っていたのが末松先生でした。

いわゆる有名人が沢山参加していました。

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低酸素研究分野では,いつもの大御所3人の他にSiahのRonai氏も参加してくれました。一方,何気にp38 MAPKやAKT(本人はProtein Kinase Bと叫んでいましたが)の発見者が目の前でしゃべっているという豪華版でした。

best presentationは東北大学の本橋先生のものだと個人的には思いました。内容もよかったですがpresentationのできも最高でした。できのよい研修医はあのようなpresentationをしますね。
ぼくはいくら練習してもあんなに上手には話せません。脱帽です。

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札幌市と石狩市の境界近くで足かけ4日間ほぼ缶詰状態で過ごすので当然的に様々な相互作用が生まれます。日頃思っている素朴な疑問なども気兼ねなく質問できます。
ぼくらの研究仮説があるのですが何人かの参加者に考えを披露すると「それはないだろう」と云われ却ってやる気がでました。だってあれしか結論はないんですよ。
また日常の臨床生活からあまりにもかけ離れた環境に置かれるので日頃考えもしないいろんなことを思いつきます。一種のbrainstormです。とにかく病院にいると暴力的に鳴るPHSですべてが中断されてしまいます。こういうカンファレンスの最大の利点だと思っています。

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もしこれからも研究を続けるチャンスがあれば,thioredoxinのプロジェクトも再開しようと思いました。その昔はアミノ酸配列を暗記していたほど入れ込んでいた分子です。研究についてのノウハウはぼくは持っているはずです。
今回は北海道と言うことで「羊をめぐる冒険」の文庫本を持って行きました。

「羊を探し出せばいろんなことがうまくいくわ」

最後に気づいたこと。
GLSさんが元気だったこと。プールで泳いでいたときいたので本人に確認したら夜も泳ごうと思ったけどそれはやめたと云うことでした。飛び廻りすぎて突然死しないように気をつけてください。
LPさんが日本に住んでいないと解るはずの無いような絶妙なギャグをいつもの通りに飛ばしていたこと。
このブログの読者の方々と話してすごく恥ずしかったこと。
などなどです。 朝から食べて続けて深夜まで呑み続けて2kgくらい太りましたがここ4日くらいで元に戻しました。
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Priscilla Ahnのカヴァー集『ナチュラル・カラーズ』がiTunes storeで配信されいました。
驚異的に日本語が上手だと思います。歌もうまい,すくなくともユーミンよりうまい。
「ばらの花」とかよく選びましたね。びっくり。


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あと一廻り早く生まれていたら…

On 2009/9/15 火曜日, in Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

休み終わっちゃいました。

New York Timesから

Ghostwriting Is Called Rife in Medical Journals

Lasker賞は Gleevecのチームも受賞なのですね。iPS cellもすごいけど。

個人的には epigeneticsでノーベル賞がそろそろ出ていいと思っています。iPSは今年でなくとも確実は確実だろうし …

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「1968」読了しました。

冒頭の一文「感動しました。とてもすばらしいです。でも私には何もないの。それでは闘ってはいけないのでしょうか?」からはじまってこの文章で終わる 2000ページ超の大著ですーといっても上・下それぞれ100ページほどは”注”と索引になっていますー

第5章 慶大闘争

第14章 1970年のパラダイム転換

第15章 ベ平連

これらでは知らないことも多く参考になりました。

ベ平連の中心に小田実でなく石原慎太郎をという意見もあったというのは悪い冗談の様な気もしましたが当時はそういう作家だったのでしょう。

ぼくがあと一廻り早く生まれていたら、検証された「1968年」に間違いなくどっぷりと関わっていただろうと思うと同時に一廻り早かったら大学に進むことともなく今とはまったく違う人生を歩んだことになっていた可能性もあったと思っているので改めて考えさせられました。

結局遅れてきたぼくの「1968年」は何かと考えると「研究」が当たるのではないかと考えた。

特に深く考えることもなく医学部に入学してそのまま卒業して医者になったのだが入学してから人生で一度は「研究」というものを体験してみたいと考えていた。「真理」の探求とか研究を通じての人類への奉仕とかそういたことはあることはあったと思うがそれより人生で一回は研究生活をしてみたいという気持ちの方が強かったと思う。ー高校生の時にPOMCのプロセッシングの大きな仕事で沼先生と中西先生が「科学朝日」(朝日新聞が出していた一般向けの科学総合誌です)で取り上げられているのを見て京都大学への進学を決めたのですー

つまり「感動しました。とてもすばらしいです。でも私には何もないの。それでは闘ってはいけないのでしょうか?」である。

そういう理由だったので医師免許を取得して丸4年臨床に専念し、その当時の水準でいえば一通りの手術麻酔は自分ですることができるという自信もついたところで大学院に進学した。

いろんな経緯があって、麻酔科内の研究室でなく京大のウイルス研究所の研究室にお世話になることになった。このときの経緯は以前に書いたことがあったと思う。

またこれも以前に書いたのだが、4年間は一つの論文もなくほぼ啼かず飛ばずのどうしようも無い大学院生だった。不思議とそれに対しては特に焦りもなく毎日実験に励んでいた。自分のやっていることが価値があるとか無いとか役に立つとか立たないとかを考えた事も無かった。将来への展望とかそういったものは全く持っていなかった。臨床医だったので路頭に迷うことはないだろうとは考えていたということもある。この時期は研究というより実験することそれ自体が態度の表明であり、意味をもつ運動であった-一種の中毒である-。

そうこうしているうちに4年が過ぎ結局は京大の麻酔科で働くことになったー引き取られて行ったというのが正しい表現かもしれないー。学位の為の研究は完成はしていなかったので実験材料とともにウイルス研から引っ越した。

そこから3年3ヶ月はたぶん人生で一番働いた時期だった。集中治療室で働く、麻酔をする加えて救急車の対応もしていた。CPA, 農薬中毒、全身熱傷、腹腔内出血などかなりの患者が救急車で運ばれてきた。ホットラインへ連絡があり、4階から1階の救急外来に降りて救急車を迎えるときのあの感じは今でも鮮明に記憶している。救急車の進入口が研究室の真下なのですが救急車が到着すれば救急外来に出かけたりということもあった。のぞき込むと胸部圧迫をしてる姿が見えるので放っておくわけには行かなくなるのだ。

当直は集中治療室でしていたので当直中は部屋の外にでるのは救急外来か病棟で患者を診るときだけで研究室には戻れなかった。これに加えて研究活動も継続していた。

程なく学位を取るための論文が完成したーこの論文はぼくの関わった論文のうちの最高のものだと自分では今でも考えているー。麻酔科での指導者はいなかったので学位の講演会の予行演習などもなしで自分だけで臨んだ。

ここで転機が訪れ米国に留学ということになった。留学にははじめは気が進まなかったのだがこれまたいろんな経緯を経て結局は GLSの研究室に参加することになった。

留学の一番大きな目的は、臨床のdutyーdutyだけでなく臨床が完全にないーがない環境下に自分がおかれた場合どれほどの事が研究でできるか見極めたいということに決めた。

留学中は、FIH-1もとれたし,某遺伝病の解析にも参加できたしまあまあの成果が上がったと思った。

研究だけに専念すればこのくらいにはできるのだという妙な自信もついたー後にこれが仇になるー

今から思えばもっとやっておくべき事はたくさんあったのだそうがんばる必要もなかろうと日和っていた訳である。

帰国時に、某研究所に就職したのが「1968年」的な観点からは失敗だったかもしれない。

そもそもの始まりは研究成果が生物学・医学の発展に役立つというよりは研究自体は自己確認の手段だったのであるが、研究所で研究をすることを生業とするという気負いで先鋭化していったのだと思う。

せめてもの救いは、ぼくの研究室に参加してくれた学生が数名いてくれて彼らとの人間的な交流があったことだろう。研究所を辞して、研究所付きの病院に異動して救われたと思った。今から考えればこの病院でのスタイルがぼくには一番あっていたのかもしれない。この期間の研究成果にはいまでもとても満足している。

しばらくして大学に異動してからはぼくの余裕がなくなり大学院の学生にも大変な迷惑をかけてる。大きな意味での研究活動は、基本的には自分のために行っていた「1968年」的性格を完全に失った。

研究にもいろんなものがあり最近では”役立つ”研究が重視される傾向にある。役立ちそうでかつ基礎的にも価値のある研究もたくさん存在して iPS cell研究などその好例であろう。

はじめに手がけた thioredoxinに関してもまた 10年ほど前から手がけている HIF-1にしてもまだ解かれていない基本的な問題が散在している。研究の進展とともに新たに生まれた問題でなく10数年前から解かれていない問題もたくさんあるのだ。これらを解くことで「1968年」問題に決着をつけて残りの人生を送りたいなという気持ちは強い、のですが難しいかもね。

時間があったので休みに「鶴見俊輔~戦後日本 人民の記憶~」の録画してあるのを見直しました。

ついでにこれも観た。


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