今年は「源氏物語」千年紀ということで雑誌で特集が組まれ展覧会も各地で開催中です。
一応、再読しようと思い今回は“窯変 源氏物語” (橋本 治)で読み進めています。
光源氏自身が物語るという形式で源氏物語が進んでいくという趣向になっています。
amazonの古本コーナーでは1円で売られている巻もあり全14巻が驚くほど安価でそろいました。
10巻まで読み終わり11巻に入ったことでーつまり光源氏が「幻」で出家して物語から消えたことろで「雲隠」の帖でいきなり紫式部が登場以後、彼女が物語を語り続けるというように語り手が変更していきます。「雲隠」はもともと本文がない帖なのですが,ここで彼女の筆で作家宣言を作者橋本治さんはさせているわけです。紫式部がどのような気持ちで源氏物語に向かっていったかが今までの研究成果に即して彼女の筆で語られていきます。また結局は、源氏物語は紫式部の物語なのだと言う橋本さんの考え方も紫式部に語らせています。
これが実にうまくまとまっていてhitされました。まあ読んでみてください。
源氏物語も通勤時間に読んでいるので読み切るまでに後一ヶ月はかかるでしょう。次は、平家物語いきます。今年は。
さて,芥川龍之介も例えば「戯作三昧」「文章」などで,自らの文筆活動に対する考え方または思いを小説の形をとって吐露しています。というか芥川の小説の多くは自分の小説というか芸術に対する考えの表明になってる場合が多い。「地獄変」でさえそう言ってそう言えると思いますー
「根かぎり書きつづけろ。今己(おれ)が書いていることは、今でなければ書けないことかも知れないぞ。」
しかし光の靄(もや)に似た流れは、少しもその速力をゆるめない。かえって目まぐるしい飛躍のうちに、あらゆるものを溺(おぼ)らせながら、澎湃(ほうはい)として彼を襲って来る。彼は遂に全くその虜(とりこ)になった。そうして一切を忘れながら、その流れの方向に、嵐(あらし)のような勢いで筆を駆った。
この時彼の王者のような眼に映っていたものは、利害でもなければ、愛憎でもない。まして毀誉(きよ)に煩わされる心などは、とうに眼底を払って消えてしまった。あるのは、ただ不可思議な悦(よろこ)びである。あるいは恍惚(こうこつ)たる悲壮の感激である。この感激を知らないものに、どうして戯作三昧(げさくざんまい)の心境が味到されよう。どうして戯作者の厳(おごそ)かな魂が理解されよう。ここにこそ「人生」は、あらゆるその残滓(ざんし)を洗って、まるで新しい鉱石のように、美しく作者の前に、輝いているではないか。
と滝沢馬琴に言わせています。
研究活動など医者にとって有害であり意味のあまりないことなのだという言われ方をするときもあるし逆に臨床に直結する研究の重要性が強調されすぎていると思えますがぼくにはあまり関係ありません。自分が興味を持つテーマを自分のできる範囲で追していくこと大事なのだと思っています。
これには以下のようなオチがあります。
「お父様(とっさん)はまだ寝ないかねえ。」
やがてお百は、針へ髪の油をつけながら、不服らしくつぶやいた。
「きっとまたお書きもので、夢中になっていらっしゃるのでしょう。」
お路は眼を針から離さずに、返事をした。
「困り者だよ。ろくなお金にもならないのにさ。」
お百はこう言って、伜と嫁とを見た。宗伯は聞えないふりをして、答えない。お路も黙って針を運びつづけた。蟋蟀(こおろぎ)はここでも、書斎でも、変りなく秋を鳴きつくしている。
こういった生活感覚はぼくは必要だと思います。それでこそ人生でしょう。
そうでなければ結局良秀のようになる。
皆さんにとって幸運なことに「青空文庫」でまるまる読むことができます。
戯作三昧
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card38.html
文章
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card27.html