登山会新年会

昨晩大学時代に所属していたクラブの新年会があり昨年に続いて参加しました。京大病院に現在在籍する数少ない登山会のOBとしての義務感もありましたと言うのは公式見解で実は同級生の鈴木君が参加するというので池田からのこのこ出ていったのです。

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場所はいつもの天寅

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もちろんいつものすき焼きです

OBが大集合で10人はいたのではないかと思います。同級生も千葉に行ったきりの藤森君を除いて鈴木,内海さんとぼくが参加しました。

和歌山,倉敷から参加されていた先生方もいらっしゃいました。

学生さんとはポリクリなどで話すこともあるのですがいつも「デキるふり」をして構えているぼくとしてはこういった席で話すと屈託がない彼らに接することができて若返ります。

CBTが近々あるのだそうですが,ちょっとかわいそうですね。ポリクリの時間も増えるそうですし。なんか京大でなくなるようでぼくはよくないと思います。

医学部もどうせ初期臨床研修が二年あるのだからそこまででつじつまが合えばよいのではないかとぼくは本気で思っています。

大丈夫ですよそれでうちの学生は。

部長は消化器内科の千葉先生にしていただいているのですがそろそも次期部長をしていただく先生のあたりをつけないといけないというような話も出ていました。

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一回生部員とと話す千葉先生 鞄を忘れてとりに戻られました

卒後10年目までの先生方だとリアルタイムにクラブ活動として一緒に行動した事は無いのですが,授業やポリクリまた手術室であったこともあったりして「えっつ?」という感じもして不思議な感じがします。 病院でのぼくを見られていると思うとすごく恥ずかしいです。

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集合写真
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天寅の玄関にいまも飾られてるたぶん25年前の登山会コンパの写真 当時の部長は外科の戸部先生でした 半袖で参加された和歌山の冨田さんが目立ちます

大学の二回生くらいに鈴木に誘われて医学部登山会に参加しました。 あの時代は登山会の部員数は結構な数に傍聴してきて現在よりたぶん大所帯だったと思います。 一回生部員も3人もいて将来的に希望がもてますが女子部員がゼロということです。ぼくらの時は二人はいたけど。


週末の読書

科学的であること

今週木曜日の大学院セミナーの準備ですごい時間を使っています。理由は簡単で今までのぼくの持ちネタとかなり違う内容だと言うことです。なんせぼくが「ガン」を語るのですからね。先日の某シンポジウムの時にもE角先生に某癌学会には入っておいて下さいと言われたのですがいまだに会員ではありません。 今回気合いを入れたのでここ半年以内ならどこに呼ばれても1時間くらいは高座を勤められるのではないかと考えています。

にもかかわらず電車とか列車に載っている時間が長ければ長いほど本を読む時間が多くなります。

「中卒」でもわかる科学入門 “+-×÷”で科学のウソは見抜ける!

統計学が最強の学問である

いずれも一般書です。

 

ぼくの受け取ったメッセージは物事を科学的に見る視点を獲得ためには何も高等教育が必要な訳ではなくごく普通の論理的な思考があればとりあえず十分であるということでまた重要なのは科学的に行動することだということです。

「中卒」でもわかる科学入門 “+-×÷”で科学のウソは見抜ける! の「はじめにー裸の私たち」では,

王様は見えもしない衣装を身にまといパレードに臨む。見物人も馬鹿と思われてはいけないと同じように衣装を誉めそやすが、その中の小さな子供の一人が、「王様は裸だよ!」と叫んだ。ついにみなが「王様は裸だ」と叫ぶなか王様一行はただただパレードを続けた。

という例の「裸の王様」のエピソードが紹介されます。

「真実が明らかになった後も、虚偽に基づいた計画がすぐに止まるとは限らない」。これは「純真無垢なものだけが、真実を公表できる」という以上の教訓ではありませんか。そしてそれは、王様のパレードという政治活動に限らず、科学技術における活動すら例外ではないのです。本書でもあらためて本文で触れるとおり、日本の原子力政策しかり、米国のスペースシャトル計画しかり…

もちろん医学・医療の世界でもおなじ現象は観察されます。とっくに有効性が否定されている薬剤や療法がいまだに医療現場で行われている例はいくらでも枚挙できます。自分はこの療法の有効性が否定されていることは知識として知っているのだがそれを知った上でその療法を施しているのだと言われてもじゃああなた何なんですか?,という事になります。

統計学が最強の学問である でも統計的な解析はあくまで「データを集めて解析することで最善の答えを出すこと」が重要なことなのであると述べています。現実を追認するまたは変えるための統計解析を目指せという主張ととらえました。

このような事は以前このブログのエントリー 「反証のがれ」ー新書「科学的方法とは何か」を読んでで一部考えてみたことがありました。

「中卒」でもわかる科学入門 “+-×÷”で科学のウソは見抜ける! 「おわりに ー 職人たれ,学者たれ」で皆が幸せを感じる瞬間として

  1. できなかったことができるようになった瞬間
  2. わからなかったことがわかった瞬間 

を挙げています。

誰もわからなかった事を自分が解明した瞬間というのは特に幸福感を感じる瞬間です。科学者は究極にはこの瞬間のために日夜研究活動に励んでいます。すごい発見は「ある瞬間」に感得される訳ではありませんが回顧的には「あの瞬間」だたっと思える場合もあります。この瞬間から世界の色が確かに変わります。

夏目漱石の小説「三四郎」で上京した三四郎が野々宮君を訪ねるシーンがあります。

昼間のうちに、あんな準備をしておいて、夜になって、交通その他の活動が鈍くなるころに、この静かな暗い穴倉で、望遠鏡の中から、あの目玉のようなものをのぞくのです。そうして光線の圧力を試験する。今年の正月ごろからとりかかったが、装置がなかなかめんどうなのでまだ思うような結果が出てきません。夏は比較的こらえやすいが、寒夜になると、たいへんしのぎにくい。外套を着て襟巻をしても冷たくてやりきれない。……

という生活を野々宮君は送っているのですが,大方の実験科学者もこのような生活を送っているわけです。

たまたまその中にはいってみると、穴倉の下で半年余りも光線の圧力の試験をしている野々宮君のような人もいる。野々宮君はすこぶる質素な服装をして、外で会えば電燈会社の技手くらいな格である。それで穴倉の底を根拠地として欣然とたゆまずに研究を専念にやっているから偉い。しかし望遠鏡の中の度盛りがいくら動いたって現実世界と交渉のないのは明らかである。野々宮君は生涯現実世界と接触する気がないのかもしれない。要するにこの静かな空気を呼吸するから、おのずからああいう気分にもなれるのだろう。自分もいっそのこと気を散らさずに、生きた世の中と関係のない生涯を送ってみようかしらん。

リアルな人間生活との接点を研究で得られた人は幸いです。

ぼくはこの20年間麻酔科医としての臨床活動と基礎研究者としての活動の二足のわらじを履いてやってきました。麻酔臨床で得られた疑問を基礎研究で解明しているというような関係はぼくの場合はありません。基礎研究は基礎研究としてやってきました。

しかしこの両者は排他的というわけではなくどちらかがないとぼくの中のバランスが悪くなるという関係でその意味ではできる限り二足のわらじを履いてやっていこうと考えています。

今日今年の医師国家試験が終わったという事です。

新しく医者になるみなさんにこそ「職人たれ,学者たれ」という言葉はふさわしいと思います。がんばって下さいませ。

生権力

体罰の問題が話題になっています。週末にこの二冊を読みました。

生権力の思想: 事件から読み解く現代社会の転換

生と権力の哲学

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