完徹の午前5時の高揚感の正体

On 2013/8/4 日曜日, in Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

金曜日当直でした。

職場を移ってはじめて完徹でした。金曜日は朝から夏休みでお子様も多くかなり忙しく結構な日でした。たぶん職場を移ってから最高に働いた一日でした。前の職場でもこんなに働いたのは数えるほどしか無かったと思います。

朝まで掛かった手術はこの規模の病院で救急を受け入れていればそういうこともあるだろうという手術でこれは仕方ないです。

患者が心肺に乗った23時頃どうしても眠くなり座っていられなくなったので一時間当直室のベッドで一緒に当直の先生に任せて「寝ました」。 これで復活しました。

未明に産科関連の緊急手術があることもあります。この種の手術が「無い」病院-産科がない病院-に勤務している人は全く経験しない種類のものです。勤務先はこの種の手術が「有る」病院なのでこれも致し方有りません。 ぼくは普段でも楽観的なのですがさすがに全身麻酔で行う必要のあるような帝王切開では赤ちゃんが生まれて大泣きするとホッとして椅子に座り込むこともあります。

 

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 午前5時くらいに感じるあの妙な充実感というのは不思議ですね。

外科の先生も疲労困憊ではなくなぜかこの位の時間までくると元気になり皆がてんでばらばらに好きなことをべらべらしゃべるようになってきます。

あの状態って医学的に解明されているのでしょうか?

血液を採取して蛋白質や代謝産物の網羅的な解析を行ったら何か面白い結果が出てくるのではないかと思います。

 

こういう完徹もたまにあるとよいものです。新しい病院では外科系の先生との親睦も図れます。麻酔科の若い先生方の頼りになる度合いもよくわかって次から自分がどれかだけ手を抜けるかの度合いもある程度推測できるようになります。

 

以前の職場では完徹したからといって日頃の行いが報いたのだろうくらいに思われて翌日も普通に働いていたのですが今の職場ではそうでは無い制度になっています。そもそも金曜日が当直であれば関係ないのですが…


降圧剤データ不正問題、真の原因は「薬価統制」だ」 を読みました。 確かにこういった側面はあると思いますが、この文章自体話題がころころ変わり少なくとも一般的な読者にはかなり解りづらいものとなっていると思います。

今回の問題を解決するのに必要なのは、国民が真相をしり、怒ることだ。表層をなぞっただけでは、問題は解決しない。」

という結論には大賛成です。国民は自らの医療リソースの利用方法についてふかく考えるべきだと思います。

 

しかし今回の論文不正問題はこの文脈だけで無い要素の方が大きいとぼくは考えています。

これは日本に限ったことではなく少なくとも米国にもあります。

誰かが誰かにものを「売る」行為には必然的につきまとうことだとは思います。

 

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製薬会社はさまざまな方法で医者に宣伝活動を行います。

ボールペンやクリアファイルなどは空気みたいに医者の部屋に置いてあります。

ぼくが病院で使用する全てのポールペンには製薬会社とか薬剤の名前が入っています。

 

例えばある製薬会社が「研究会」とする会を開きます。各地から医者を旅費・宿泊費を会社が負担して呼び集めたりします。

なぜかグリーン車に乗せてくれるのだそうです。「降圧剤データ不正問題、真の原因は「薬価統制」だ」で紹介されている通りです。

確か昨日も麻酔科関連の医者を集めたこういった会が東京で開かれていたはずです。講師が一応知恵をしぼって話すのですからきちんと聞いていれば何かの役に立つかも知れませんが内容は論文を10篇くらいまとめて読めば全て書いてあることがほとんどす。毎日毎日hardなevidenceが生まれているわけではありません。

このような大規模な研究会の講師にぼくが呼ばれることはありません。何も影響力も無いし反って不都合なことをしゃべられる可能性があると思われているのだと思います。

 

しかしこのような「研究会」に参加したからといって特定の薬剤を処方したり使ったりしているわけではないと医者は信じ込んでいます。

自分は医学的な適応を慎重に考慮して薬を使っていると思っているのです。どうなのでしょうか?

相変わらずこのようなプロモーションが続くと言うことは彼らはこれの有効性について何らかの客観的な証拠を持っている故だと普通は思えますがこれはぼくには解りません。

 

前の職場に勤務しているとき-17年ほど前で身分は国家公務員でした-ある事件をきっかけに製薬会社からのカレンダーやボールペンなどの物品の供与が大学によって禁止されていた期間がありました。

だからといって何も変わりませんでした。担当者さんがぼくらの部屋にボールペンやカレンダーを「落として」行かれたのをぼくらが「拾って」使っていたからです。

一度退職して次に戻った8年前-大学は独法化されていました。身分は法人職員です-にはこのような禁止は解かれていました。すっかり元に戻っていたのです。

こういうことの是非はぼくには直ぐに判断できません。多くの一般的な人たちは「けしからん」と思うかも知れません。

 


患者が自分の身内だったらと仮定して患者に対峙しろという言い方があります。

New York Timesに出ている ‘If This Were Your Mother, Doctor…’ はちょっとひねったエッセイです。

人工呼吸器につながれている患者の子供に病状の説明を行い今後の治療方針を患者の家族に決定するように促すと “Doc, give it to me straight. If this were your mother, what would you do?”と医者が逆に問いかけられました。

この医者の答えは “Tell me more about your mother.” というものです。

時間があれば読んでみてください。

「一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。俺は今とても個人的な話をしてるんだ」(羊をめぐる冒険) という言い方があります。現代医療において規範といえる原理はそう多くありません。一般的に規範と思われていることの多くはいわゆる格率というべきもので医療現場では反って有害である場合があるといつも思っています。

著者はパキスタン出身の医者で現在はHarvard大学の関連病院で医者として働いています。 pubmedを検索した情報を参考すると弁疾患を専門とする循環器内科の医者のようです。

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大人の発達障害ってそういうことだったのか」 を読みました。 医学書の範疇に入るのだと思います。 すごく面白くまさに「蒙を啓かれ」ました。

人の精神状態に「病名」をつけるプロセスというのは身体的な疾患概念を整理して「病名」を付ける行為と似ているところもあり異なるところもあるということは頭では解っているつもりでしたがいままで理解が不十分だったと思います。

専門医の間でこの本はどのような受け入れ方をしているのかに興味があります。

 

ともかく知り合いの言動からあの人は「ここら辺に分類」されるのではないかとか考え出すと結構楽しめます。

家内に「お前はおかしい」と毎日言われるのですが理由も解るような気もしました。

大人の発達障害ってそういうことだったのか

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