結局今日は喫茶店をはしごしていろんな作業をした。パソコンがあってネットにつながっていればどこでも仕事はできるものです。しかしぐったりとしてしまいました。動かないので身体が冷えてしまうのです。
今週家に帰ってびっくりしました。
家内が1Q84を読んだというのです。青豆編だけ読んで興味が出たので天吾編も読破したということです。-家内は文盲だと思っていました いろいろと聞いてくるので迷惑です-。
一気に200万部(100万セット)出るということはこういうことなのですね。
社会現象として、先週火曜日のNHKの番組で1Q84現象が取り上げられていました。
栗山 千明と青木 崇高の朗読付きだ。-映画になるとしたら青豆は栗山千明か小西真奈美だと思う-
New Yorkerのeiditorの意見がもっとも的確に的を射ていると思った。
村上春樹の小説には世の中や物事に対する彼なりの”見方”が登場人物を通して語られそれの読者を説得してしまうという不思議な力がある。
1Q84でもしかり。学生運動からカルト集団の成立にいたる背景の説明などそれ自体非常に優れたものだ。
また例えば二つの月の話についての小松の意見
ほとんどの読者がこれまでに目にしたことのないものごとを、小説の中に持ち込むときは、なるたけ細かい的確な描写が必要になる。
研究でも通用する話だ。
また天吾が数学と物語の世界を行き来する自分について語る場面(book1, p318)。
物語の役目は、おおまかな言い方をすれば、一つの問題をべつのかたちに置き換えることである。そしてその移動の質や方向性によって,解答のあり方が物語的に示唆される。天吾はその示唆を手に、現実の世界に戻ってくる。それは理解できな呪文が書かれた紙切れのようなものだ。時として整合性を欠いており、すぐに実際的な役には立たない。しかしそれは可能性を含んでいる。いつか自分はその呪文を解くことができるかもしれない。そんな可能性が彼の心を、奥の方からじんわりとあたためてくれる。
基礎研究と臨床の関係もこのようにとらえることができればよいと思う。
それと同時に普通の人間,つまり「かえるくん、東京を救う」の片桐さんのような人、が大きさはともかくある力に対峙していくという筋がある。読者にこれまた不思議な勇気を与えてくれる。力はリトルピープルに代表されたりする場合もあるしねじまき鳥の場合にはもっと漠然としてる強い邪悪なものであるときもあるしそうでない場合ものだが。
例えばbook2のp490あたり天吾の父親の世話をする看護師のセリフ
看護婦になる教育をうけているときにひとつ教わったことがあります。明るい言葉は人の鼓膜を明るく震わせるということです。明るい言葉には明るい振動があります。その内容が相手に理解されていいてもされていなくとも,鼓膜が物理的に明るく震えることにかわりはありません。だから私たちは患者さんに聞こえても聞こえなくても、とにかく大きな声で明るいことを話しかけなさいと教わります。理屈はどうであれ,それはきっと役に立つことだからです。経験的にもそう思います
このような看護師が多分世の中にはいて医療現場が支えられているのだと思います。
って感じ。
しかし1Q84の翻訳はどういうタイトルになるのでしょうか。
Qが9なのは日本語だけだと思う