仮説、モデル、問い

On 2013/9/16 月曜日, in Thus Spoke Dr. Hypoxia, by bodyhacker

台風大阪池田市ではもう過ぎ去ってしまいました。

家から伊丹空港を離陸する飛行機が見えるのですが朝から普通のように飛び立っています。西向きの飛行機は飛んでいるのですね。

昨日は家にこもっていたのですがすることもないので映画「台風クラブ」を観ました。調べると1985年ぼくが大学生の時の映画でこれは映画館に観に行きました。 台風って非日常的な感覚を人に引き起こすと思います。

手術室で働くと云うことも本来はそういった非日常性を孕んでいるのでしょうが毎日そこにいると感覚としてはそう感じなくなってしまいます。それでも夏休みなのでしばらくその環境から離れると身体の不調なども消えていきますから無意識にいろんなストレスを引き受けながら働いているのだと云うことが意識されます。

長生きできないはずですよ。(参照)

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医学雑誌Lancetに安倍晋三内閣総理大臣の論文というか意見表明が掲載されています。

“Japan’s strategy for global health diplomacy: why it matters”

です。

さてこの論文の連絡先は

Shinzo Abe

Prime Minister of Japan, Chiyoda-ku, Tokyo 100-0014, Japan

shiro.konuma@mofa.go.jp

となっています。

論文の著者に単独でなるということは、彼がこの論文を執筆したという事を意味すると思うのですがどうなのでしょうか。週刊誌に発表する文章や書店で売られる単行本とは「著者」の扱いが異なります。

  1. 最初から自分で英語で書いて投稿した。
  2. 日本語の下原稿は自身で書いたけどそれを英語に直した人がいて投稿した。
  3. comment故に「コメントした」内容を誰かが英語にして投稿した。つまり自分では一行も文字を書いていない。
  4. そのどれでもなく実質的にはKonuma Shiroさんの論文である。
  5. 実際はもっと複雑である。

など考えられます。

オリンピック招致のプレゼンテーションを見る限り彼が英語を話す能力は余り高くないと思いましたが読み書きする能力はそれとは異なるかも知れません。 この論文は参考文献が22篇ついています。著者は文献は全て読んで内容を理解して引用すると仮定されますがやっぱりそうなんでしょうね。つまり英語を読む能力はそれなりあるということなのでしょう。 さすが総理大臣ですね。

mofaで外務省の事みたいです。

しかし総理大臣がこうなのですから日本ではgift authorshipとかの問題は解決されないのでしょうね。


雑誌Cellに”A Brief History of the Hypothesis“という論文が掲載さています。(参照)

生物学徒には見慣れない単語が並んでいるのですが内容が特段に難しいわけではありません。

ぼくらが研究を始める場合には何かの原動力があるはずです。 立てた仮説を証明したいするとか、モデルがうまく現実にフィットするかどうかを検証したいとかが研究を進めるきっけになります。

生物学の基礎的な実験的な研究を始めるとします。 いよいよ研究を具体的に開始する場合、何から手をつけるでしょうか? まず「仮説」を立てるかもしれません。

このような進め方は実は問題をはらんでいるのだというような事の解説から説き起こして、研究の進め方における「仮説」「モデル」「帰納」「演繹」に関するの歴史的な変遷についてをガリレオから始まってベーコン、ヒュームと進んでポッパーの反証主義的critical rationalismまでを紹介することでreviewした論文です。

例えばNewtonは”I frame no hypothesis”と云う言葉で「仮説」による研究の推進を否定しています。 得られた実験事実に基づき”bottom-up induction”により法則を定立していくというわけです。 という訳でNewtonの方法論は、例えばEinsteinのように光速が不変なのだという公理から理論、法則を演繹していくという方法論とは異なるとしています。

そうしたら何によってたって実際の実験を始めるべきなのでしょうか? この論文の著者はそれは”question“から始めるのだと主張します。”question”から始めて実際に十分な質と量のデータを得てそのデータに寄って”model”を構築していけと。 それによって”hypothesis”を捨て去っても科学が可能になると云うわけです。

なぜなら

The hypothesis may be “dangerous”— it may be used to filter data and induce bias. Therefore, scientists operating in an inductive framework might be insulated from an impulse to defend an unproven premise by adhering to a bottom-up method, producing experimentally derived data in order to build a model, and then subjecting the model to tests for its ability to predict the future. If the model passes such a test, its inductive power is demonstrated.

だからです。

医学研究とくに臨床研究では事情は複雑です。

対象となる患者は均一ではなく結果は常に統計学的に表されます。 つまり確率が支配する世界です。 このような場合仮説を棄却するのもモデルの適合性を認定することも確率という条件付きとなります。

最近世の中を騒がせたARBをめぐる研究上の問題も、ただの仮説が検証の前に「真実」であるかのように扱われてそれを「証明」しようとした結果起こった事件です。 このように仮説主導で行われる研究は様々な意味合いで危険だという見本のようなものです。

しかし、一見立派に見えるRandomized Controlled Trialであってもその結果は簡単に「ちゃぶ台返し」(medical reversal)にあってしまう場合があります。(参照) 見かけにだまされてはいけません。

 

ただある分子のノックアウトマウスを作出してとにかく何か面白い表現形を見つけようというような研究には特にhypothesisだとかmodelとかquestionとかは関係ないかも知れません。単純ではあるが実は力強い推進力かもしれません。実際このような研究はたくさんあります。ノックアウトしたら期待した表現型が出なかったけど粘ったら「予想もしない」ことが見つかったとか。こうなると科学なのかどうかもよくわかりませんが「意外性」はとにかくこの世界では重要視されます。

この論文でも取り上げられていますが例えば”What is the sequence of genome X ?”と云うような問題にはそもそも”hypothesis”は必要で無く”question”だけが必要です。

医療の世界も個人のライフログと関連付いた医療データが利用できるようになれば従来型の研究手法では解明できなかった様々な問題にアプローチできるようになると思います。 たぶん10年後にはこのような解析法が主流になっていくのではないかと思っています。

It is better to see science as a quest for good questions to try to answer, rather than a quest for bold hypotheses to try to refute.

というフレーズで締められています。おっしゃる通りとしか云いようがありません。

 

この論文では「演繹 (deduction)」と「帰納(induction)」という二つの論証法が挙げられているだけでもう一つの重要な論証法についての言及がありません。 もう一つはの論証法とは「仮説推論(abduction)」です。(参照)

シャーロック・ホームズの方法論としても有名です。

ネット上から少し引用します。(参照)

[ホームズ]「‥‥きみが今朝ウィグモア街の郵便局に行ったのは観察で判るけれど、きみがそこで電報を打ったと判るのは推理の力でね」

[ワトソン]「その通りだ!‥‥しかし、正直な話、どうして判ったんだろう?」

[ホームズ]「簡単なことさ。‥‥説明などいらないくらい簡単なことだよ。‥‥僕の観察によれば、きみの靴の甲には赤土が少しついている。ウィグモア街の郵便局の前の歩道は最近敷石をはずして、土を掘り起こしているからね、郵便局に入ろうとすれば、その上を踏まないわけにはちょっとゆかない。そこの土がちょうどそんな赤い色をしているわけで、この界隈には他に例がない。ここまでが観察。あとは推理だね」

[ワトソン]「じゃあ、電報はどうして推理したんだろう」

[ホームズ]「何でもない。午前中僕はきみの前に座っていたんだから、君が手紙を書かなかったのは判っている。それに、開けたままのきみの引き出しには切手も葉書も十分にあった。となると、郵便局に出かけて、電報を打つ意外の何をするんだろう。よけいな要素を取り除いていけば、残ったものが答えのはずだ。

つまり

1. 驚くべき事実Cが観察される。

2. しかし、もしAが真実であれば、Cは当然の事柄である。

3. よって、Aが真実と考えるべき理由がある。

というわけです。

すこし厳密さに欠けると思いますが医療現場ではこのような推論がむしろ多数を占めると思います。

実は基礎研究もこのようにして研究を始めるのですが論文にまとめる時に推論の方向性を「帰納」か「演繹」のどちらかにそぐうようにデータを並び替えたり議論の順番を変えたりしているのだと思います。 少なくともぼくはそうしていますしこれがぼくにとっての研究の醍醐味です。実際に見いだしたことの生物学的・医学的な重要性とはすこし異なる視点ですがこの推論の過程が面白いのです。そう思っている人は多いとぼくは確信しています。

 

シャーロック・ホームズの記号論―C.S.パースとホームズの比較研究」はすごくためになります。最近興味があって取り出して再読しました。

これはシャーロック・ホームズの方法論でもあるのですがDr. Houseの方法論でもあります。


土曜日の帰宅時に梅田のヨドバシカメラに寄ってみました。 毎日朝夜に前を通るのですが店に寄るのはたぶん三ヶ月以上ぶりです。

Bose社のイヤフォンを試すのが目的でした。

思っていたよりきれいに「無音」になりますね。これは何とかして手に入れたいと思いました。

現在Bose社の耳がすっぽり入るタイプのヘッドフォンを持っているのですが長時間していると耳が痛くなるという欠点と電車内でいい歳してヘッドフォンをしているわけにはいかないという事情でイヤフォンタイプのものがあればいいと思っていたのですがこれは良さそうです。iPhoneとそろえると大層な出費になってしまいますね。

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