三島詣

On 2019/3/6 水曜日, in book, books, hypoxia reseacrh, by bodyhacker

すっかり春らしくなってきたのはよいのですが花粉症で苦しんでいます。

症状の寛解がぼくにとっては確実なのでDiphenhydramineを服用するのですが眠くなるというか寝てしまうのでいつでも使える訳ではありません。

この2ヶ月くらいは生産性が激下がりです。

それでもreviseを二つ終えることができました。


三島詣

研究の相談で三島の情報・システム研究機構のライフサイエンス統合データベースセンター(国立遺伝学研究所内にある)を訪問してきました。

ちょうど大阪大学医学部Python会ーそういう会があるのですーのメンバーの春合宿()がDBCLSで行われていて夕ご飯+αをご一緒しました。

二次会のbarが素晴らく結構楽しい時間を過ごすことができました。幸か不幸か雨でぼくら以外に客がいなかったのでマスターー結構イケメンですー所蔵のレコードをじゃんじゃんかけてもらった訳です。

この会で若者とぼくの断絶を実感しました。なんせ共通の文化的背景がYMOーここにエビデンスがーだけなんですから。

斉藤由貴さんとか薬師丸ひろ子さんがかつてというか今でも歌っているという事をしらんのですからびっくりしました。もっと勉強()しましょう。

斉藤由貴さんは全てを聴く価値があるのですがまず一枚は2nd album 「ガラスの鼓動」を推薦しておきます。

ちなみにシングルではぼくは「MAY」が好きです。

二日目は「もかすけ」に連れていってもらいました。


「生きものとは何か」の続きです

「生物学には「なぜ?」がある」が第四章。

生物学が他の自然科学と異なる点として「なぜ?」が主要な問いとなり得ると説く章です。

「科学は「how」の疑問を解けども「why」に応ずる能わず」ー夏目漱石「文学論」ー

と夏目漱石がいうように一般に科学というか理系では”why”は公式な問題とならないというように考えるやり方を踏襲しています。

しかし何かを観察したらナイーブに「なぜ?」と思ってしまうのは自然です。

一流の科学者もまたさまざまな現象を前に「なぜ?」と問うことから出発するのだと思います。(「物事のなぜ――原因を探る道に正解はあるか

一般に「なぜ」への「答え」を納得して受け入れる条件として、因果関係が証明されるということがあり論文ではここを強調するわけです。

しかしそれでは「なぜ?」への答えにはなっていないと感じる人は多いし、一方「なぜ?」という問いは究極の起源まで問い続ける事が可能でつまりはそこまで行かないと納得できないとも言える。なのでその究極の起源は「」とか「Intelligent Design」となりますー本書ではこれはアリストテレス的だというわけですー

一方、それでは困るので科学は神とか価値とか目的と決別したのだ、と考える事もできます。

このような議論は十分承知の上で本川せんせは、生物学だけは「なぜ?」が可能な学問だと主張しています。

何故なら

「究極の意志をもつかのようにふるまうものが生物」だからだ。つまりそもそも生物は、究極の目的・意志・内在的な価値をもつかのようなものだからという訳である。生物は進化という歴史をになっていて「目的律」を持つから。

「目的律」「目的論」「合目的性」などの概念も登場してきてこの第四章はとてもタメになります。

一方で最近「進化論はいかに進化したか」という本を読みました。

帯から取ると-ダーウィンのどこが正しく、何が間違い、だったのか?-についての本です。

こうしてみると自分は生物学を研究しているといっても何も考えてこなかったななどと少し落ち込んでしまいました。


時代の精神

昭和が終わって平成になったばっかりの1月、ある研究班会議を当時所属していた教室の教授ー残念ながらもう故人ですーが主宰しました。

今でもよく覚えているのですが場所は平安神宮近くの白河院でした。私学共済の保養所として現在でも使われていますが元々は北家藤原氏の所有だったのが藤原師実の時、白河天皇に献上されたのだそうです。立派な保養所です。

宴会の時、教授が昭和天皇が亡くなりとても感慨深いというような意見を述べた所一緒に参加していた今は大阪の南の方で麻酔科の教授をしているN先生が「いやーぼくもそう感じます」と応えたのですがぼくは全くそのような感傷は持たなかったのでそう云うと何だお前はといような顔をされたです。

しかしそれから30年経ってもう平成が終わるよというときにぼくもそれなりの感慨をいただく様になってこれはやはり歳をとったということなのだろうかと思っています。

夏目漱石は「こころ」で

すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後あとに生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈く私の胸を打ちました。私は明白に妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死でもしたらよかろうと調戯いました。

こんな事を登場人物に云わせています。

天皇陛下は亡くなってはいないのですが、平成の精神が終わるような気がしています。

などということを西野七瀬さんの卒業にあたって思いました。

東浩紀さんの「ゆるく考える」を読みました。

次回これをネタに書いてみようとおもっています。

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