基本的には職場と自宅を往復するだけのユープケッチャのような生活を送っていますので出張で長距離移動すると大変疲れます。
昨日は就寝して8時間くらい中途覚醒もなく朝まで眠っていました。
テレビを見るのは嫌いではないのですがリアルタイムで見る機会は限られます。 その意味では先々週の土曜日の夜はぼくにとって特別でした。
まず、偶然「SWITCHインタビュー 達人達「阿川佐和子×ふなっしー」」にチャンネルがあいました。
場所はふなっしーの「ホーム」である梨園と阿川さんの「ホーム」である文藝春秋社。 ふなっしー相手に横綱相撲を取っていた阿川さんでした。
小林秀雄の随筆に「年齢」と題されたものがあります。(全作品集18 「表現について」に収録されています)
昭和25年の発表ですから彼が48歳の時の作品です。
今まで年齢の事など気にせずに生きてきたのだが、自然の美しさが骨にこたえるようになったと三好達治に話したら「やっぱりそれは年だな」と言われて納得したというような話から始まります。 そして途中で谷崎潤一郎の「細雪」の話題になるのです(細雪は1948年この随筆の発表の二年前に出版されています)。
「幸子は昔、貞之助と新婚旅行に行つた時に、箱根の旅館で食ひ物の好き嫌ひの話が出、君は魚では何が一番好きかと聞かれたので、『鯛やわ』と答へて貞之助 に可笑しがられたことがあつた。貞之助が笑つたのは、鯛とはあまり月並過ぎるからであつたが、しかし彼女の説に依ると、形から云つても、味から云つて も、鯛こそは最も日本的なる魚であり、鯛を好かない日本人は日本人らしくないのであつた。」「同様に彼女は、花では何が一番好きかと問はれれば、躊躇なく 桜と答へるのであつた。」
幸子というのは蒔岡家の次女でこの小説の公式な主人公であり貞之助というのは幸子のお婿さんで百貨店の呉服部門に勤務しています。
小説の舞台は京阪神でそこから新婚旅行で箱根にいく時代だったのですね。関ヶ原から東は東京も東北も全部一緒で未開の世界扱いです。今上天皇の即位式が東京で行われた時は確かに複雑な気持ちを抱いた人が多かったと思います。
小林秀雄はこの場面で作者(谷崎潤一郎)が幸子を借りて自分の意見を述べていると書いています。 つまり
「古今集の昔から、何百首何千首とある桜に関する歌、-古人の多くが花の開くのを待ちこがれ、花の散るのを愛惜して、繰り返し繰り返し一つことを詠んでいる数々の歌、-少女の時分にはなんという月並みなと思いながら無感動に読み過ごして来た彼女であるが、年を取るにつれて、昔の人の花を待ち、花を惜しむ心が、決してただ言葉の上の『風流がり』ではないことがわが身にしみてわかるようになった」
と小説には書いてあるのですが、これは谷崎潤一郎の作風の変化を自分で解説しているのだと。
「現代の思想問題にも、世相にも触れず、そうかと言って、とくに仕組まれた作りは無しの面白さもないこの小説が、多数の読者の心を惹くのは、やはりそぼ鯛や桜の如き尋常な魅力なのである。」
誉めているのか腐しているのかよく解らん文章です。
小林秀雄自身は
「たとえば、若い人から、「徒然草」の一体どこが面白いのかと聞かれるような場合、私は返答に窮し、こう答えるのを常とする、面白かないが、非常な名文なのだ、と。日本の古典文学は、頭脳的に読んでもほとんどなんの利益ももたらさぬものばかりで、文学により頭脳の訓練をするためには、西洋の近代文学を読むのが、どうしても正しいようである。扨て、返答に窮して、という意味は、自分では、言わば古典を読んで知ると言うより寧ろ古典を眺めて感ずる術を思えたような気がしているのだが、それがうまく口には言えぬ、そういう次第だ。」
「この作の文章自体は、現代にその類を求め難く、何処に急所はあるのか分からぬような名文で、雪子という女が、何を考えているのやらさっぱり分からぬ癖に、その姿が鮮やかに目に浮かぶのも面白いし、周囲の人達が、この得体の知れぬ女性の純潔さに惹かれて、大騒ぎして失敗しているのも面白い。」
つまり「細雪」は「学び知らねばならぬ対象」でなく「見て(一読して)素直に楽しめる」小説でありそれ故大成功したのだと。
という訳で小説の公式な主人公は次女の幸子なのでしょうが小林秀雄は三女の雪子があたかも主人公のような存在感を持っていると書いています。市川崑の映画ではこの雪子は吉永小百合さんが演じていたわけで
という訳で小林秀雄の「徒然草」や「当麻」を読んでも解らないのは当たり前なのです。彼の講演録音を聴いていても落語家のように上手に話す課程で何度も繰り返されるキーワードというか一種の「バズワード」というかそういったものが耳に残ってそれで満足するのです。
小林秀雄は「Xへの手紙で」以下の様に書いています。
大衆はその感情の要求に従って、その棲む時代の優秀な思想家の思想を読みとる。だから彼らはこれに動かされるというよりむしろ自ら動くために、これを狡猾に利用するのだ。だから思想史とは実は大衆の手によって変形された思想史に過ぎぬ。そこに麗々しく陳列されているすべての傑物の名は、単なる悪い洒落に過ぎぬのだ。この大衆の狡猾を援助するために生まれた一種不埒 (ふらち) な職業を批評家というのなら、彼らがいつも仮面的であるのはまた已むを得ない。
さらに
遂に、どんな個人でも、この世にその足跡を残そうと思えば、何らかの意味で自分の生きている社会の協賛を経なければならない。言い代えれば社会に負けなければならぬ。社会は常に個人に勝つ。思想史とは社会の個人に対する戦勝史に他ならぬ。ここには多勢に無勢的問題以上別に困難な問題は存しない。「犬は何故しっぽを振るのかね」「しっぽは犬を振れないからさ」。この一笑話は深刻である。
こうとも書いています。
冒頭大竹まことさんが「阿川さんにはわかってもらいたんだよ、皆。あの人にだけには理解してもらいたいとみんな思っている」と話していましたがこれそこ名人の到達点なのでしょうね。
自然科学を含む学問でもそのような事はあると思います。
再放送はあるのでしょうか。
ちょっと調べるとYoutubeの動画まだありますね。 一種のサービスでしょうかNHKの。
阿川さんの「今さらながらの和食修業」を持っていて今でも役に立っています。
そのままテレビを続いて見続けていたら
が始まりました。
あのいわゆる「当事者研究」の紹介番組です。
是非はあるだろうけどあのアプローチは医学部の学生は一度は気にして見た置いた方がよいと思います。
多くの本が出ていています。
ぼくは麻酔をする医者なので、こういった局面に対峙することは自分が「当事者」になる以外はありませんがすごく興味をもっているので全部読みました。
しかし、よく考えると、基礎研究室なんていうのも一種の「べてるの家」だったのだと思います。友人が入門した大教授は明確に基礎教室はそういう人たちの「アジール」として機能しているのだと話していたそうです。
生活共同体、働く場としての共同体、ケアの共同体としての性質は研究室にも医局にもありましたが今ではすっかり変質してしまいました。
さらに続けて見ていたら「ETV特集 宇沢弘文 いま再び豊かさを問う」
を見るはめになりました。
1998年に4回に分かれて放送された(1)資本主義(2)水俣病(3)医療・教育(4)農業をテーマとした宇沢氏の対談番組です。
第三回医療・教育がテーマの放送は、当時慈恵医大の学長をされていた岡村哲夫さんが対談の相手です。
医療とか教育は社会的共通資本でありこれらは時々の経済状況に応じて設計するのでなく医療とか教育のあるべき姿を考えそれに合わせて社会や経済のしくみを整えるべきであるという主張です。
医学部の入学者の選抜や教育法などが議論されるのですが今時大学受験の小論文で高校生でもいわないような「正論」のオンパレードで却って清々しく感じました。
あの風貌で、医師や教師は聖職者であるなどとかなり青臭い理想を具体的な方策の提示なく話す姿にちょっと感動しました。彼らの主張が正しいのは解りきっているのです。
「細雪」では紅葉狩りは箕面です。
今日行ってきました。
途中歩いていたらどこかのおばあちゃんが、「やっぱり大阪で観光地といえば箕面か有馬だ」と話しているのが聞こえました。有馬は大阪ではないと思いましたが黙っていました。
阪急だって、その前身である箕面有馬電気軌道が、1910年(明治43年)3月10日に現在の宝塚本線・箕面線にあたる梅田- 宝塚間、石橋 – 箕面間を開業したのが始まり、だそうです。(参照)
「もみじの天ぷら」が名物としてあるのですがどこも売り切れというか必至で揚げているのですが間に合わないくらいに売れているのです。あんなに売れまくっているのを今まで見たことがありませんでした。