ご無沙汰してました。生きてます。 結構忙しくてさぼっていました。
これからはリサーチマップだということで重い腰を上げて登録を始めました。(参照)
業績を入力する段階で足踏みしています。
論文を全部手入力していたら死ぬなとおもって色々と画策しているのですがどうも一発変換的な奴が思いつかずに鬱々としていたのですがたぶんアレでという方法を思いつき試そうとしたのですが何か面倒でこれまた鬱々とした状態です。
あれこれ見ていたらぼくが著者の論文を5つ発掘しました。
科研費も研究者番号から一発で連携できない状態に現在なっているようでこれはリンクが戻ってからにしようと思っています。
「死にゆく患者と、どう話すか」
医学書院が出版している「Cancer Board Square」という雑誌があります。日本語の雑誌です。
医師,看護師,薬剤師にソーシャルワーカーなど,がん診療に関わるすべての医療従事者に求められる横断的な知識を提供。実際の症例をベースに,臨床で遭遇しやすいリアルなトピックを取り上げる。医学から物理学,人文学まで,様々な視点から「がん」について考える,新しいがんのプラットフォーム
という内容です。 ぼくはこの雑誌を自分でお金を払って購読している訳ではないのですが職場の包括的な契約で毎号購読できるのでつまみ読みをしています。
國頭 英夫氏の「死にゆく患者と、どう話すか」という連載がありこれは毎号読んでいました。
書評サイトHonzでの紹介されてたのに気づき,すでに本になって出版されていることが解りました。連載は4回目で現在も続いているのですが本は昨年の10月にすでに出版されていたのですね。
立ち読みをして見ると連載の内容を全て含んでいてそれに大幅に加筆されている事がわかりましたので買って読んでみました。
ぼくは麻酔科の医者で麻酔しかしません。つまりペインクリニックとか集中治療には現在関わっていません。
非常に重篤な状態の患者さんの麻酔を担当することはありますがそのような状態の患者さんは意識がないかあってもぼくと通常の会話が成立しない状態に陥っていることが多いです。そのような患者さんの家族と話すことはありますがすでに手術が決定されてからぼくは「出動する」ので麻酔のリスクを説明してその結果患者さんの家族が麻酔を断るつまり手術を断るということは通常はありません。
今まで一番強い説明をしたのはぼくが医者になって3年目の夏のことです。滋賀県の某病院で腹部腫瘤ある患者さんの開腹生検を外科医がすると主張しました。その患者さんは心不全状態で昇圧薬と強心剤でなんとか心臓がうごいているような患者さんでした。主治医はどうしても腹部の腫瘤の正体を確認したかったのでしょうか患者さんの息子さんに開腹して生検するなら大丈夫という説明をしていました。そしてぼくに麻酔を振ってきたのです。ちょうどお盆で麻酔はぼく1人で担当する事になります。困ったので部長の自宅に電話で相談しました。「ひろちゃんーぼくのことです。その病院ではぼくは皆にそう呼ばれていましたー,患者の子供(といっても患者さんは80歳近くでしたから全員ぼくより年上でした)を全員集めて手術中に心臓が止まる可能性があるまた挿管したまま帰室することになると説明してそれでもと同意したら麻酔しなさい」との託宣を得たので実際に3人の子供さんを集めてぼくからそう説明をしました。そうすると顔を見合わせたあと長男さんが「いいよな」と発言されて他の二人も「いいです」という事だったので手術,麻酔を行う事になりました。生検中に心停止や極度の低血圧は起こらず何とかICUに患者さんは戻りました。でも次の日突然患者さんの血圧が出なくなり患者さんは亡くなりました。お盆明けに外科の主治医は麻酔科の部長に相当絞られたそうですーあたり前だ!!-。
ちょっと懲りたので患者・家族さんとなるべくはなさいという戦略をその後取っていました。というかそういう事態に陥るのがいやで麻酔の医者をしているのです。
通常の予定手術の患者さんとは普通に会話をする場合がありますがその場合でも麻酔の施行に必要なことをぼくが聞きだすということが主目的で患者さんも麻酔科医であるぼくに「核心的な」質問をする機会は少ないです。ただ第三者的な医師としてのぼくに病気に関する質問をされる患者はいます。質問されても核心的なことは何も話しませんけど。
「麻酔」をかけられるということに漠然とした不安を抱く患者さんがいますーたぶん全員不安なのだと思うのです。自分麻酔を受けて手術をされたことはないのですが夢で麻酔をかけられてそのまま死んでしまった経験はありますー。
それを表出する患者さんにはいつも(経験的には)100%大丈夫ですと言って直ぐに逃げます。
父は突然,倒れて救急車で最寄りの県立病院に搬送され,心肺蘇生を3時間も先生がしてくれていたようです。ようやく,ぼくと連絡がついた時点で「先生,もう三時間なんですけど一度も戻らないんです」と言われたので「ありがとうございました。もう結構です」と携帯で告げた時間が死亡時間となったので深刻な事は一切ありませんでした。
帰省したらAIしてくれたらしく弟がCTのフィルムをぼくに差し出しました
ということもありこの連載で取り上げれている治癒する可能性がないまたは極めてすくない患者さんと話す機会はぼくには日常的にはありません。
でもこれでも医者なのでこういった問題にとても興味があります。
この本は講義録です。日赤看護大学の看護学生(1年生。しかも全員女子)が選択したゼミの内容を実況的に綴ったものです。
文体は話言葉です。
いろんな状況設定があるのですが「白い巨塔」とか「コード・ブルー」(ガッキーが研修医として出演していたドラマですね)などのテレビ番組の設定が例示されていきます。
この本のおもしろい部分は後半です。
学生へ出された課題のレポートのプレゼンテーションとその講評を通じて学生と國頭先生のやりとりがありこれがおもしろいのです。
92ページのコメントには笑いました。
ここを書評子は
幼いなりに、世の中を知らないなりに必死に課題にくらいついていく。その過程は正直、涙ぐむほどがむしゃらだ
と表現しているのですがぼくはそうは思いませんでした。医者はそう思うと思います。しかし,レポートはよくできています,というかできすぎですね。
本書に通底するのは、プロとしてのテクニックをどう磨くか、である
であるかの様に表面的には読み取れるのですがこれがテクニックの本と思うとぼくには違うと思われます。というかぼくはそういう「プロ」目指していないので。
しかし,この本を医者が読むとするとぱっと流し読みをしたとしてもたぶん翌日からの臨床への関与が確実に変化すると思います。
とにかく読んでみたらよいと思います。
今年も3人の三回生の学生さんの配属実習を引き受けています。 分子生物・細胞生物学の実習の待ち時間に毎年映画を観てもらいます。
映画は
ディア・ドクター
わたしを話さないで
赤ひげ
の三本です。 映画のあと雑談をします。
脳死と移植(臓器摘出)の関係には次の四つがあります。
1. 脳死は人の死である。だから移植はしてもよい。
2. 脳死は人の死である。しかし移植はしてはならない。
3. 脳死は人の死でない。だから移植はしてはならない。
4. 脳死は人の死でない。しかし移植はしてもよい。
1と3は筋が通っています。2もなんとかですが普通に考えて4は滅茶苦茶です。 しかし日本は4を採用しています。
というようなことを毎年話します。
この本にも出て来ますね。養老孟司さんの本からのパクリです。
國頭先生の思想が随所にちりばめられおそらくツッコミどころ満載です。
最期に,國頭氏は白石 恵を差し置いて緋山 美帆子と冴島 はるかに肩入れすぎだと思います。 白石 恵はこのドラマのヒロインなのに。
医学書院の雑誌にはおもしろいものが結構あります。 「精神看護」もその一つです。普通の意味での医学雑誌ではありません。
借りたDVDをみて、仕事をして、昼寝してという生活でした。
麻酔看護が麻酔の手伝いをことにぼくは徹頭徹尾反対というわけではありません。同じ意味で歯科医が麻酔をするのにも徹頭徹尾反対だというわけではないのです。ただ制度を作るとなるとな…
関心しました。まあぼくらは研究を絶対視してしまうことはあまりないわけですが-研究室を出ると人が死んだり生まれていたりする-
さて
“心が動けば医療も動く!? -医師と患者の治療選択-” (山下武志)
読みました。
Evidence-based medicineがすくなくとも
evidence/patient preference-患者の価値観/clinical expertise-医療側の技倆
の三つの要素で構成されていて患者の価値観、医療側の技倆は重要な要素ではあるのだがなかなか科学的な解析にかかりにくいので従来は”医療は科学でなくアートだとか”訳がわかったようなわからないような話お茶を濁されてきたのだが、リアルな医療ではここら辺はないがしろにするわけには行かないし”evidence”自体より重要な役割をはたしているということを述べたのが本書です。
著者の専門分野である心房細動の治療を例にとって説明しているのですがこれはあまりピントくるような具体例の提示とはなっていません。しかしこれは本書の価値をおとしめるものでは全くありません。
医学知識やevidenceなどは日々更新されていっていますが、患者の価値観や医者の技術などについての考察はほとんど古くなっていきません。医学部ではコロコロ変わるevidence部分を教えるのでなく優先すべきはこういった内容であるべきですが、実際そうなっていません。
医療問題にもいわゆる”バカの壁”があるのだということを本書は述べているのです。
全身麻酔に硬膜外カテーテルの留置を行うかどうかの判断などこの本で扱われる問題の好例となると思います。麻酔版の例を入れたバージョンも可能ですね。
残念なのは値段が高いことです。新書版で 1000円以下でもよいと思うのですが、内容が専門的なものを含むため一般書として流通するわけにはいかないのでしょう。しょうがないです。数年したら新書版でだしてみたらどうでしょう。内容的には10年後でも通用すると思います。
“戦略的思考の技術―ゲーム理論を実践する (中公新書)” (梶井 厚志)
も一緒読んだらよいと思います。
も読んだ。
一般的に、麻酔科の医者は患者さんの前には帽子をかぶりマスクをつけて手術着で登場することがほとんどで廊下で患者さんと出会っても患者さんから自分の麻酔をした医者がぼくであると思われることは少ないわけです。ぼくらにしても患者さんの普段の姿を見るわけでないので自分が麻酔をした患者さんとすれ違ったと認識することも少ないと言うことがあります。
今いる職場では麻酔直前に患者さんと家族に会い術前状態や麻酔法を確認するという儀式をしていますので私服の患者さんと話しぼくもまたマスクや帽子をつけていない状態で患者さんに対して、手術後もリカバーで結構しつこく患者さんを診察しますので顔をお互いに覚えてしまうと言うことがよくあります。
今日紹介するのは、特に大学病院などでは患者が自分の担当の医者の名前を覚えていないという頻度が驚くほど高いと言うことを報告する論文です。
75%の患者は自分の担当医の名前を言うことができず、残りの患者も40%は名前を間違って記憶しているという報告です。
Patients who were African American, had an educational level below that of a high school graduate, were older, and were unmarried were less likely to identify their inpatient physician.
というような傾向があるそうです。
論文は
Ability of Hospitalized Patients to Identify Their In-Hospital Physicians
Arch Intern Med. 2009;169(2):199-201
顔を覚えていても名前まではなかなか難しいしいとおもいますけど、入院したら担当医の名前くらいは覚えるか普通は。