二日連続で病院で寝ると身体の具合が悪くなっていきますね。

査読も今年分は全部終わったし年内自分らの論文の完成に向けてもう少しあがこうと思います。


「スポーツを読む」 から

火曜日の朝の日本経済新聞に”「スポーツを読む」-シンポ特集” が掲載されていました。

作家の沢木耕太郎氏が基調講演でスポーツ作品を書くことについて語ったあと、ロンドン五輪銀メダリストの三宅宏実氏、堀場製作所会長兼社長の堀場厚氏、テレビ東京アナウンサーの大橋未歩氏がスポーツ報道に求めることなどについて活発に議論した。

という趣向のシンポジウムです。 沢木氏の基調講演も掲載されていました(<基調講演>スポーツを書くということ)。

アメリカの記者は試合を見て、各自の頭の中でそれぞれの違うストーリーをつくっている。ジョーダンはどのような考えで、あの場面で3点シュートを放ったのか。なぜ失敗したか、成功したか。キーになる空白の箇所を聞き出したい。記者が描いた試合の見方の構図にピタッとはまれば、彼にとってのストーリーが完成する。だから他の記者の質問に関心がない。

日本の場合は、そういう記事のつくり方をしていない。「あの選手はこんなことを言ったのに、どうしてうちの新聞には載っていないんだ」という話になるのだろう。だから全部の記者が同じ談話をほしがり、 皆で共有する。

今年ほど科学報道が話題になった年はありませんでした。山中氏のiPS細胞の発明に関わるノーベル賞が大きなきっかけになりました。

ライフサイエンス 新着論文レビュー“などの試みが始まっていてこちら側からの切り込みは進んでいます(これ本当によいサービスですよ)がマスコミ例えば新聞からの切り込みは未だ不十分です。”Nature”, “Cell”, “Science”に掲載された論文はそのまま報道される。論文へのリンクなどは一切貼らない,曖昧なコメントがつくだけのお寒い状況はまったく変わっていません。これはiPS森口以後でもほとんど状況に変わりはありません。

そもそも研究成果は雑誌での発表とリアルタイムに報道される必要など全くなく一週間,一ヶ月,一年単位でじっくりと紹介・評価されればよいのだと思います。雑誌のimpact factorにしても二年くらいの時間の経過で同じ科学者仲間がいかにその論文を自分の論文に引用したかで計算されるのです。

研究成果を紹介するのに当該論分やその関連論分を読まずして論文を発表した本人の簡単なコメントだけを取って記事を書くような記者が「ジョーダンはどのような考えで、あの場面で3点シュートを放ったのか。なぜ失敗したか、成功したか。キーになる空白の箇所を聞き出したい。記者が描いた試合の見方の構図にピタッとはまれば、彼にとってのストーリーが完成する。だから他の記者の質問に関心がない。」というような取材態度に基づいての記事は書けないのも道理です。
New York Timesなどの科学記事を読めば自分たちの報道がいかに”いけてないか”解りそうなものですが…


「キャパの十字架」を読んで

雑誌文藝春秋の新年号に沢木氏の「キャパの十字架」というドキュメンタリーが掲載されています。

戦争報道の歴史に燦然と輝く傑作「崩れ落ちる兵士」──。だがこの作品は本当にキャパのものなのか? 七十六年間封印されていた「真実」がついに明らかになる。

という触れ込みです。これは面白いです。是非読んで見てください。

雑誌なので写真の質が悪いのが難点ですが単行本化されるときにはこの点は解決されると思います。電子版でinteractiveなものが出ればさらに楽しく読めると思います。

読んで以下の様なことを考えました。

例えば誰かがある科学上の学説を論文としてまとめたとします。論文の査読上は特に問題は指摘されず発見の価値も高いということで雑誌への掲載が決まりました。しかしその論文には「ウソ」が記載されていました (この際この「ウソ」が意図的なウソかどうかは問いません。とにかく科学的な手続きによって検証されうる「ウソ」が含まれているのです)。

一方その発見自体は他の科学者によって追試されていつの間にか科学的な定説となっていきました。つまり「ウソ」によって導かれた結論はそれ自体は「本当」だったのです。

こういう状況をどう考えますか。

hard coreは「正しい」のだからsoft shellの瑕疵は見逃すのでしょうか。それともshellの瑕疵に基づき一旦はcoreは棄却されるべきなのでしょうか。(参照

沢木氏の考察の結果がどのようなものであるとしてもキャパの「崩れ落ちる兵士」または「人民軍兵士の死」は完全に一人歩きをしてきたのです。


2012年のベスト〜本(ノンフィクション)〜

去年に習って二系統に分けてみます。

 

まず非科学系

三位

Quiet” (参照)

二位

武器としての交渉思考」 (参照)

一位

Antifragile: Things That Gain from Disorder ” (参照)としようと思います。

実はまだ2/3位しか読んでいません。年末年始で読了したいと思います。

 

情報の呼吸法」(参照)

20歳の自分に受けさせたい文章講義」(参照)

などもよかったと思います。

 

次に科学系

三位

弱いロボット」(参照)

二位

医学と仮説」(参照) 出版されたのは昨年です。

一位

バイオパンク」(参照)としようと思います。

 

医学書などはぼくはほとんど読みませんが

内科救急 見逃し症例カンファレンス M&Mでエラーを防ぐ) (参照1, 参照2, 参照3)はタメになったとハッキリと言えると思います。

日本にもこういった文化が根付くとよいと思います。

 

ハイポキシア生物学の2012年を振り返って (参照昨年分もたぶんやります。


PDF

10/25にKindle storeが日本でもオープンしました。

現在Kindle 3Gを所有していてamazon.comからの書籍の購入と購読に使用してきました。数えてみると有料の書籍は40冊くらい購入していました。

最大の関心事は,amazon.comとamazon.co.jpのアカウントの関係がどうなるか,でした。統合もできると言うことでしたが統合をしてしまうと何かと面度な事になるということもあり結局そのまま使うことにしました。

ぼくはそもそもamazon.comとamazon.co.jpではIDつまりmail accountは別々のものを使っていましたので全く無関係に使用することに何の問題も無いわけです。 Kindleもamazon.com用には従来の3G, amazon.co.jpには新規に購入するKindle Paperwhiteを使うつもりで注文をしました。現在持っているKindle3Gはバックライトがないので暗い場所では使い物にはなりませんがPaperwhiteはバックライト内蔵だそうです。少なくとも自分は職業的に知的な活動を行っていると思っているほどの人は一台は持っていて損はないと思いますがそもそも年に本を10冊しか買わないと云うような人はこんなものを持つ必要ははじめっからありません。

Mac,iPhone, iPad上のKindleリーダーは面倒をいとわなければアカウントを切り替えて利用できますので原理的な問題とはならないだろうと思っています。概ねiPhone,iPadは amazon.co.jpのアカウントと紐付けて使おうと思ってそう設定を変更しました。コミックなどは今後カラーのものも出て来るだろうしやはり絵や写真のコントラストはKindleがiPadにかなうはずは無いと思います。Kindle Fireにはまったく興味はありません。iPadを凌駕するとは到底思えないからです。

Kindle shopもこれから品揃えが増えてくれば枕元に置いてある50冊くらいの本については全てKindle版で買い直してしまおうとか考えています。 旧い本が多くdiscount率も高いだろうと推測もしています。 平均1000円で50冊で50000円と考えれば安いかもしれません。そもそもすでに青空文庫に収録されているものも多いのでこんなにかからないかもしれません。 過去の名著が今後どれくらい電子書籍として出てくるのかが関心事です。 ブルーバックスも含めた新書の10年以上前に出版されたものが現在の半額とかで出だせばまとめて50冊くらいは買い直すと思います。

また追加料金を払ってもよいのでtextを再利用できる形での提供にも出版社は挑戦してもらいたいと思います。


あるインタビュー記事を読みました。(「「キャリア官僚だって人間」―30歳元キャリア官僚の語る霞ヶ関の実態 」)

先日経済産業省を退官した宇佐美典也さんへのインタビューです。

典型的なのは古賀茂明さんで、あの人は官僚社会で決して大きな成果を上げたわけではないんですよ。「自分の理想に溺れて公務員制度改革に失敗したドン・キホーテ」。それが官僚社会における古賀さんの現実です。

役人の世界には彼ら独自のものの見方があるのですね。 これは医者の世界でも研究者の世界でも同様だと思いました。

大学病院と言うと以前から何かと批判を受けます。 確かに平均的な医療水準が大学病院で特に高いということはないと思います。特殊な治療を行っているという事はあるかもしれませんが市中病院でもそういった試みは行われていて成果を出している病院はいくらでもあります。

それじゃなんだんだというとぼくもよく解りませんが,麻酔科に限っても移植医療を別にしても大学病院で一年間くらいの研修をする,ある程度のキャリアを積んでから数年間でも勤務して与えら得た課題をこなすとかすることは無駄な事では無いと思います。

メディアに登場する元官僚は霞ヶ関では「芸人枠

という言い方は結構使えると思います。もちろん「芸人」はどの世界にも必要です。

ぼくは,一回は大学を離れて研究所や市中病院で働きましたがどういう配剤か基礎研究は20年くらい継続しています。 8年ほど前に大学に異動して以来,結構長い期間大学病院で働いています。

宇佐見氏が言うように

私のように一度辞めた人間が重要なポストにつくというのは、内部の人間に対して失礼だと思います。

という気持ちはいつも持っていて現在の職場を離れる必要があると思っています。生え抜きの人たちで運営するのが筋だと思います。

大学病院にいるといろんな仕事を経験することになります。 ぼくもたぶん皆さんが一生体験しないようないろんな経験をしてノウハウは獲得しました。以前にもどこかで書いたことがあるかもしれませんがやっていない大きな仕事は手術室の設計くらいなものかもしれません。

それと基礎研究は別物です。基礎研究は大学いる方が圧倒的に有利です。しかし,条件さえ整えば市中病院の中でもできます。大学へ移動する前は市中病院で基礎研究を行っていましたが何の問題もありませんでした。 しないのは,やる気とアイデアがないからだけです。


橘玲氏の「臆病者のための裁判入門」を先日読みました。

米国にいるときに住んでいたアパートの1階上の住人が子供にいろいろとちょっかいを出すので,アパートの管理事務所,小学校の校長,警察を巻き込んで奮闘2ヶ月くらいでアパートから退居してもらったことがあります。今度時間があれば顛末を書いてみようと思います。

臆病者のための裁判入門 (文春新書)

「弱いロボット」という本も読みました。医学書院の「ケアをひらく」シリーズの一冊です。今年最高の読書体験をしたと言えると思います。 「ケアをひらく」シリーズはすごいです。

「科学性」「専門性」「主体性」といったことばだけでは語りきれない地点から≪ケア≫の世界を探ります

がキャッチフレーズですが示唆を与えてくれる著作が目白押しです。

弱いロボット (シリーズ ケアをひらく)


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