iMac問題
iMacですが修理終了で明日手元に届きます。電源系統の交換が必要だとおもっていたのですがあっさりと「修理」が終わったようです。 木曜日の朝にクロネコ便がpick upしに来てくれて金曜日には修理完了で今朝(月曜日)午前中にぼくの手元に戻って夕方にはセットアップを完了するか、な。
と思いきやtime machineで取ったbackupの復元中に電源が落ちるという現象が再現してしまいました。
Appleに連絡を取ると「問題のあるbackupから復元を試みたから問題がbackupからiMacに持ち込まれて」しまったのだということ。
ぼくがすべきだったのは、「復元」ではなく移行アシスタントを用いた「移行」だったのだそうです。
とうわけで振り出しに戻ってしまいました。
朝から快調に論文の作業を進めていたのに…
研究医養成コースコンソーシアム発表会
木曜日・金曜日と二日間の日程である合宿に参加しました。
研究医コースを運営している阪神地区の5大学で構成されるコンソーシアムのリトリートです。
参加大学は、奈良県立医科大学、大阪医科大学、兵庫医科大学、神戸大学、関西医科大学です。(各大学の研究医コースの概要へは大学名からリンクしてあります)。読むと解りますが兵庫医大の制度はかなり太っ腹ですよ。
学生さんが29人、教員が20人の結構な規模の会となりました。 3大学で発足したコンソーシアムから数えて今回で4回目です。
ぼくの研究室にも学生さんを一人預かっているのですがぼく自身の参加は今回が初めてでした。
参加学生による研究・研究生活の発表をメインに参加教員による「私のこれまでの研究を振り返って」(涙無しには聞けない感じでした)などの講演に、「研究を進めていくのに必要な資質とは」をテーマとしたワークショップが加わって充実した二日間でした。
夕ご飯はBBQのはずが雷雨の予報が出て室内での食事になったのが残念でした。
ぼく部屋に参加している学生もちょっと変わっているのですがそれに輪をかけてたような学生さんも多かったような気もします。
薄汚れていない学生さんと研究について語るのは自分が自分の原点に立ち戻るきっかけを得るためにもよい機会でした。
オリンピック、陸上400mリレーの銀メダル
すごいです。
ぼく的にはこのオリンピック最大の出来事だと思っています。 どこかがバトンを落としたとかの結果でなくガチで銀メダル。 よくぞあの4人を揃えたなと。
Usain Bolt made it a triple-triple, leading Jamaica to victory in the 4×100 meter relay https://t.co/ZWNi4R4NqU pic.twitter.com/L6NjJhqCmr
— The New York Times (@nytimes)
このNYTの記事では”Japan was the surprise winner of the silver medal“と書かれていました。
技術的な問題はさておきとにかく速く走らなければ無理っていう種目で最後はボルトの真横を走っていたわけで素晴らしいとしかいいようがありません。 東京オリンピックでは9秒台の選手4人揃えて頂点を狙って欲しいです。 このためなら10億円位投入してもいいのではないかと。
雑誌New Yorkerでは今回のオリンピックのいろんな出来事をネタにしたエッセーを掲載し続けています。
です。
その中から一つだけ紹介します。
THE BEAUTY OF SHAUNAE MILLER’S UGLY DIVE IN RIO
女子の400m走のゴールでSHAUNAE MILLERがゴールラインに向かってダイブして一着でゴールしてそのゴール自体はルール違反ではないのだが当然に如く様々な波紋を呼んでいる訳です。
このessayは、この行為が「美しいか」どうかという観点で考察したものです。
New York Timesでも解説されています(参照)。
村上春樹氏に「シドニー!」という本があります。
「村上春樹の極私的オリンピック、シドニーの23日間」、です。
2001年に出版されたのですがぼくはこれをニューヨークの紀伊国屋で買いました。
文春文庫では二分冊になって現在でも買って読むことができます。 「シドニー! (コアラ純情篇) 」「シドニー! (ワラビー熱血篇)」
文字びっしりです。
この本、1996年7月28日 アトランタ、2000年6月18日広島ーシドニーの23日間ー 2000年10月20徳島、2000年11月5日 ニューヨーク という構成となっています。
1996年7月28日 アトランタ、2000年11月5日 ニューヨークはマラソンの有森裕子さん(シドニーオリンピックには出なかった)、2000年6月18日広島、2000年10月20徳島は同じくマラソンの犬伏孝之さん(シドニーオリンピックに出場して途中棄権した)についての文章です。 時間がなくともここだけでも読む価値があると思います。
以下は、2000年11月5日 ニューヨークの章の最後の方の文章です。
言うまでもないことだけど、この日常の中で、ぼくらは地べたにへばりついて生きていかなくてはならない。明日、明日、そしてまた明日。僕らは戦い続け、ある場合には途方に暮れる。でも一つだけ確かなことがある。もし競技者が闘争心を失ったらそれは闘うのをやめることなのだ。
そういう意味では、オリンピック・ゲームは僕らにとってのひとつの大がかりなメタファーなのだ、と言うことも可能なのかもしれない。もし僕らがこのメタファーと現実とのつながりを、世界のどこかに見つけることができるなら、言い換えればその巨大な風船を地べたにつなぎ止めることができたなら、それはおそらく価値のあることになるだろう。でももしそのメタファーが、もうひとつ別のメタファーとしか連結しれないとしたら、つまりひとつの風船が別の風船としかむすびついていないとしたら、僕らはどこにも行けない。僕らがたどり着く先は、おそらくは奇妙なかたちをしたメディアのテーマパークだ。
スポーツ選手にとってのスポーツは研究者にとっての研究と置き換えて考える事ができます。
又吉直吉の「リオデジャネイロ!」とか出たらおもしろそうです。
【追記】
「シドニー!」読み切りました。
でも一つだけ認めなくてはいけないことがあります。ある種の純粋な感動は、限りのない退屈さの連続の中からこそー麻痺性の中からこそー生まれてくるのだということです。
しかしそれでもなお、僕はときどきはっと我に返って思うのです。ぼくはほんとうにこんなところでいったい何をしているのだろうか? 何をしているかって? そう、いつもの人生をおくっているだけです。僕自身の、それなりにクオリティーの高い退屈さを、そこにかさねあわせるようにして。Business as usual…..
研究が楽しいというひとの気が知れません。研究って95%は苦しさと退屈さでできていると思います。
アメリカのlabにいたときも一緒にやっていたポスドクのコナー君はプレッシャに耐えきれず登校拒否となり仕方ないのでぼくが三週間実験を全部担当しました。ほんと今回の石川佳純さんみたいな感じで…
一度に融合タンパクの為に20コンストラクトくらいのplasmidの切り貼りをして蛋白質をつくり、ラベルする。夕方オートらをはじめて朝の7時くらいにそれを開けて現像。バンドがあることを確認して一安心。GLSの出勤を待ってデーター検討(labの最重要projectになっていた)を毎日繰り返す感じ。ほとんどーしかしこれは全てではないーうまくいくのだがーデータが取れて白黒ハッキリすると言う意味ですーコケるとやり直し。これがウザい。
今回、愛ちゃんが「(再び声を詰まらせながら)とても、本当に苦しい、苦しいオリンピックでした」と話したそんな気持ちです。
三週間後コナーくんが出てきたときにはGLSさんが論文を書き上げていました。
症例報告
今年の3月まで一緒に麻酔をしていた西本先生の症例報告が出版されました。
JA Clinical Reports, 2(1), 1-3
Open Accessですから誰でも全文を読むことができます。
手術室で使う麻薬(remifentanil)製剤Ultiva™を誤って静脈内でなく硬膜外腔に投与してしまったのですが、その最初から最後までをつぶさに記述した報告です。 臨床的な意義はかなり高いと思います。
Natureにある論文が出ていました。
A new drug candidate that mimics the pain-killing effects of opioid analgesics is identified https://t.co/NK1sROxNEr pic.twitter.com/Rf0ZIzGjkA
— nature (@nature)
大変興味深い報告です。この方向性で臨床で使える薬剤ができれば麻酔が確実に変わります。