快晴だったはずが一転吹雪いて結局雪はやんだようです。

午後に家内と中山寺に出かけたのですが阪急電車を降りたところで吹雪が始まりました。

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満屋先生の朝日賞

満屋裕明先生が朝日賞に決まったということです。

まさに同慶の至りです。

遡ること先生がまだNIH@Bethesdaにいらっしゃった時に研究室を訪問したことがあります。

当時某大学の麻酔科にいたのですが当時の教授に「とっとと留学して日本からいなくなれ」といわれていたので受け入れ先を探しに米国にでかけていたことがありその折りに淀井先生にそうしたらというアドバイスをもらって満屋先生をお訪ねしました。

ぼくが満屋先生の研究室に参加するというような可能性はほぼ皆無でしたが留学先をどうやって選ぶかということで先生にいろんな話を伺いました。おそらく淀井先生からぼくの情報をインプットされていらっしゃたのでしょうか先生の本音でいろんなことを伺いました。

先生の話にかなり影響を受けて留学先を決めました。 その意味では、満屋先生はぼくの少なくとも研究者人生に大きな影響を与えてくれた人物の一人です。

 

昨年暮れに雑誌New YorkerにGroopman氏のエッセイが掲載されました。

“CAN AIDS BE CURED?”

疾患概念の確立される以前からのAIDSに対する人類の歴史の様なものが語られます。 満屋先生のAZTも当然登場してきます。

Ebola virus diseaseでも人類が英知を集めると何とか解決法が生まれてくると思っています、AIDSのように。

人類が自分たちの存在を脅かす「もの」にあらがっていくといのは良し悪しではなく一種の本能のようなものだと思います。

 

最期のパラグラフは以下の様に締めくくられます。

Still, the questions that have been answered astonish AIDS scientists. At U.C.L.A. during the brutal first years, I never would have imagined that future patients would live into their eighties. A fatal disease has been tamed into a chronic condition. The next step is to find a cure. Scientists are innately cautious, and AIDS researchers have learned humility over the years. Science operates around a core of uncertainty, within which lie setbacks, but also hope.


大晦日であろうがなかろうが、夜になると眠くなります。手術室にいるときは交感神経のトーンが高くなっているので手術が続いている限り眠くなるということはないのですが、手術がない時とかまた家では23時を過ぎると眠くなるのです。

昨日も、普通に寝て普通に起きたらあるmailが来ていました。

何かのいたずらかもと思ったのですが開けて見ました。 論文のgalley proofが添付されていて、型どおりに「48時間以内に処理して送り返せ」との指示が。

 

proofを読んで見ると直すべき箇所がいっぱい。ギリシャ文字の直ぐ後の” “-space-が飛んでしまっているのです。

”TNF-α and IL-1β exert” みたいなところが”TNF-αand IL-1βexert”になっているのでした。 直すべき箇所はないとして処理しようとしたぼくの目論見は崩れ去りました。

最近は出版社によってはproofも全てon-lineでということもあるのですがそれには対応していませんでした。 最も原始的な方法はproofのfileを印刷してそれに自分で赤ペンを入れて、scanして送り返すという方法なのですがそれにはprinterとscannerが必要です。家にprinterはあるのですがどうも信頼性に欠けるしscan機能もついているのですが使った事はありませんでした。

 

さて結局は大学の研究室に出かけて処理しちゃうのが一番確実と思い一旦は出かけようとしました。しかしよく考えると往復は電車では約3時間、事務処理に一時間強を見積もると帰宅する時間には予報では雪かもということでイヤだなという感じがしました。 結局直すべき箇所は上記の部分だけと判断できたので、Adobe Acrobatの「注釈」機能で問題箇所をリストアップして ” “-space-を挿入することでの解決を図りました。

reprint orderは印刷して必要な情報を手で書き込みprinterで家のprinterを使って無事scanして準備完了。 全部で一時間半くらいで作業を終えることができました。

最近は年末年始でも容赦ないのですね。


羊をめぐる冒険

羊つながりで「羊をめぐる冒険」を読みました。 「しかし正直に話すことと真実を話すこととはまた別の問題だ」とか書いてあってこれって示唆的だなと。

 

年末に起こったそうです。

どうやったらこういう事故が防げるのか、そもそも無理なのかは難しい問題ですね。

「毒薬」とか「筋弛緩薬」とバイアルに直接書いてあってもその「意味」が「解っていない」人がいる以上無理かも知れません。

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On 2014/2/9 日曜日, in anesthesia & critical care medicine, by bodyhacker

金曜の夜から土曜日にかけて関東は大雪だったそうです。

今回の大雪で全国レベルでは7人の死亡者がでて1000人以上の人がけがをしたということですがこの数字は今後増えていくかも知れません。(参照)

東京都心でも30cm程度の積雪を記録したということで雪国育ちのぼくからしてもほぼ一晩でこれだけ積もったら東京の人はひとたまりもないだろうなとは思います。

生まれ育った六日町-ぼくの家はそのなかの大巻でした)にいたぼくが時分(1970年から80年にかけて)は毎年3m越の積雪があって「もうこんな場所で生きていくのはいやだ」と思い関西に出てきたのです。 しかし、ぼくが京都に出てきて以来は積雪はどんどん減っていき1mに届かないというような年もあったようです。最近になり積雪量が増えてきて今年は現在1m程度のようです。(参照)

雪が全くない状態から一晩で一面の銀世界が眼の前に出現したら人間は感動しますよね。30cm積もれば真っ白になると思います。 京都でも丸太町通り付近で積雪30cmというのは経験した記憶はありません。

三島由紀夫の小説「春の雪」の「ある雪の日」の朝も春の雪と云うくらいですから節分より「後」のはずです。 赤穂浪士の討ち入りも新暦では1703年1月30日、桜田門外の変が1860年3月24日なのだそうで2・26事件は1936年2月26日でいずれも今回と同じ時期です。2・26事件のときは東京では積雪は35cmだったのだそうです。(参照1, 参照2) この時期に東京はまとまった雪に見舞われることが多いようです。

雑誌New Yorkerの今週号の表紙イラストは雪をテーマとしたPerfect Stormです。

140210 2014 p154

このイラストの作者はこんなこといっています。

> “Snow is inherently nostalgic. It encourages you to travel back and think about your life. I think it’s something about the way it blankets reality, sort of erasing the present one dead pixel at a time. And that makes room for the past,”

またこのページでは過去のNew Yorkerのカバーイラストのうち雪がテーマのものを15作品観ることができます。一番古いのは1944年!!

そうでなくとも子供達は人生初の大雪を楽しんだのではないでしょうか。 阪神地区では土曜日の未明から雪が雨・みぞれになって折角の雪が台無しになってしまいました。


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ぜんぶ雪のせいだ

On 2014/2/8 土曜日, in anesthesia & critical care medicine, by bodyhacker

雪が降るとの天気予報で昨晩の八時過ぎには結構な量の雪が本当に降っていて二時くらいに寝る前に外を見たらかなり積もっていたのですが朝起きると雨・みぞれになっていて積雪としては大した事がないというすこし「残念」なことになっていました。 それでも雪が積もって風が吹くと体感温度は低くなります。

朝から最寄り駅のスタバで仕事をしようと思っていたのですが書き込みをした原稿を大学の研究室に忘れて出たことが発覚。雪が降り出したら困ると思い慌てて出てきたのです。ぜんぶ雪のせいです。

今日から医師国家試験だということです。三日間の長丁場です。試験中には気晴らしというものは無いから大変だろうなと思います。そもそも長時間椅子に座っていること自体一苦労です。

 

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New York Timesに“A solution for bad teaching”というエッセーが掲載されていました。 著者はAdam Grantさんというペンシルベニア大学の心理学の先生です。”Give and Take: Why helping others drives our success”と題する著書を出版しています。

冒頭の一文は”It’t no secret that tenured professors cause problems in universities”。

つまりよい研究者がよい教師とは限らないという、よくある話から説き起こされます。 いくつかの研究では”the relationship between teaching and research is zero”という結果が出ているのだそうです。うなずける話ですですね。一部のスター研究者の醸し出す教育内容とは別物の「効果」はあると思いますけど。

それでこのエッセーはこの状態をどう解決していくかというお話です。

研究のみを行うポジションと教育のみを行うというポジションに分けてしまう。 しかし現実には第三の形態である研究も教育も行うポジションが存在するわけです。 このバランスをうまく取ることが最良のパレート効率性を得るために重要だというありきたりといえばありきたりの話ですが短いし一読の価値はあると思います。教育は真剣に取り組むとすごく労力を消費します。

前の職場では余り意識しなかったというか何も考えていなかったのですが今の職場では結構な加重です。

 

医学部とか医科大学では研究と教育に加えて臨床という業務が普通は加わります。全ての分野でよい教師であることは不可能、と思っています。

医科大学は第一義的には職業訓練校です。基本的な知識を授けて学生はその習得度を評価されます。その成果が最終的には医師国家試験で試されます。

実をいうと今年までぼくはよく知らなかったのですが学生でも国家試験予備校の授業を受講したりするのだそうです。 であればあらかじめそのような授業のビデオを大学での講義で使ってはいけないのでしょうか? そうでなくとも各学会などが内容、出演者などを決めてビデオを作成してそれを通常の講義で利用する。 ぼくは人前で上手に話す能力が極端に低いので上手に話すことのできる人に講義をしてもらうととても助かります。専門医を取ったくらいの見た目のよい上手に話すことのできる先生方を「講師」として投入すれば学生も喜ぶのではないかと結構本気で考えています。何とかなりませんかね。

職場は医科大学でーぼくは教職の免許はもっていませんが学校の教員です-1月の末から3回生の学生さんが5週間の予定で麻酔科学講座で研修をしています。5週間(プログラムによっては三週間)、基礎講座を含む各講座に学生さんが配属されてその教室の「日常に浸る」ことで何かを感得して頂くという趣旨だと理解しています。なので臨床実習の「先取り」をするということが趣旨としては目的ではありません。 実習ですので最終的にはレポートで成果を報告する必要があります。 この活動は今のぼく-来年度であれば問題は解決していると思います-にとっては結構な負担なのですが一方すごくよいチャンスだと思っています。

とにかく彼らとよく話します。

「某」幹細胞の話をしていてクローン人間の話題になったときにKazuo Ishiguroの小説”Never let me go”を読んだ事があるかと尋ねると「ない」ということで急遽 映画”Never let me go”を観ることになりました。 ぼくも久しぶりに観たのですが気合いを入れて観るといろんな気づきがありました。 その後解説をして議論を小一時間行いました。 (こういった活動をレポートにしてそれで受け入れてもらうと助かるのですがこれは無理かやっぱり)

お昼も大学の食堂で一緒に摂ることもあって、今まで知らなかった職場のいろんなことを学生が教えてくれます。ぼくにとってはこれは新鮮で今回の大きな収穫です。

 

さっきのNYTのエッセーによれば、米国では寛大な先生の評価は低いのだそうです。どんどん学生に負荷をかけていく先生の方が学生による評価は高い。要するにこんな先生!?

 

ところで、医者を目指す学生にはクローニンとは云わなくとも「罪と罰」とかくらいは読んでおいてもらいたいとは思います。

今の学生は医者になるという目的意識が明確なのでそれでいいのかもしれないなとは思うときはあります。 ぼくはまったくそのような意識が欠落したまま医学部に入ったので在学中にそのような意識を涵養するということが一つの課題だったのです。


昨日の夜始めて知ったのですが世の中では「ゴーストライター」が話題になっているのだそうです。 いくつかのブログエントリーを読みましたがどうもピンと来ません。理由を考えると要するにぼくは問題となっている「音楽」を聴いたことがない音楽に何ら造詣が高くないのです。 どうにも判断しようがありません。

少なくとも自分の専門分野であればそのまんま騙されてしまうということは少ないかも知れません。 専門分野であれば何らかの評価を下すし、その範囲で全体の胡散臭さとかも何となく感じてしまいます。もっと正確におかしな点をピンポイントで指摘できるときもあります。とにかくどの雑誌の載ったとかどこの研究室から出た研究だとかにあまり惑わされずに研究を咀嚼できると思います。これは 基礎研究の分野でも臨床医学の分野でも同じです。あれだけ明確なのに、何で皆がその胡散臭さに気付かないのかがぼくにとって不思議だと思う場合もあります。誰とかどれとかは云わんけど。

小林秀雄に「骨董」「真贋」という文章があります。 こんなときにいつも思い出します。

以前に少し書いたことがあります。(参照1, 参照2)

 


New Yorkerに載っていたこれ 読んだら背筋が凍りますぜ。

ANNALS OF SCIENCE / A VALUABLE REPUTATION


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