ちょっと前に
教授と特任教授の夫婦 同じ研究で二重に補助金 http://t.co/G3KUQULKxf #nhk_news
— NHKニュース (@nhk_news)
こんな報道がありました。
どこがどう「倫理的な問題」なのか詳細が解らないのですが以前にも停職処分を二人とも受けていたのですね。
調べると公務員なら「停職」だと給与が支払われないようです。北海道大学ではどうなのでしょうか?
また実際には停職中って研究室にも出入りできないのでしょうか?
しっかりと研究活動を行っていても任期に阻まれる場合もあるのに一度正式に採用されるとその地位は強いのですね。
ある意味感心します。
研修医への推薦図書
毎年研修医の先生が麻酔研修をするときに読んでおいた方がよいと思う本を推薦しています。
ワニコ書店に行ってもなにか雑然と本が積んであるだけで要するにどれが一押しなのかの情報が全くありません。-あそこももう少し何とかなりませんかね-
というわけで何冊か推薦します。 去年と一昨年の研修医の皆さんに推薦したものとほとんど同じですが今年は絞り込みました。
まず
「麻酔科臨床の書」
日本語で書かれた麻酔の本の最高峰です。英語で書かれた本でもこれを凌駕するものは無いと断言できますので世界最高峰ということになりますね。 なので読んでください。これだけ絶賛してもこの本を持っている人が増えないのは七不思議です。というかぼくのいうことが全く信用されていないと云うことなのもしれません。
「ウエスト呼吸生理学入門:正常肺編」または 「人工呼吸に活かす! 呼吸生理がわかる、好きになる〜臨床現場でのモヤモヤも解決!」
どっちを読んでも同じだと思いますがどちらかは読んでください。
後者はぼくの学生講義でも参照しています。
妙な呼吸管理の本を読む前にまずどちらかを読みこなして呼吸生理の基礎知識をしっかり身につけてください。
酸素化が悪い患者さんがいたとしてPEEPを掛ける前に考える事がいくつもあることが解ります。
ウエストさんの本は翻訳です。読んだ事がありますが全く日本語にはまったく問題が無いと思いました。
“Respiratory Physiology: The Essentials “ がオリジナル。版も新しいです。
「臨床にダイレクトにつながる 循環生理〜たったこれだけで、驚くほどわかる! 」
この本に書いてある以上の蘊蓄を身につけても実際には役に立たないのではという位の良書。
こちらの原書は” Cardiovascular Physiology Concepts“
実はぼくは翻訳は読んだ事がありませんが多分大丈夫と思います。英語の勉強をするのが目的ではないと思いますので好きな方をどうぞ。
この4冊を理解していればそうそう困ることはないと思いますというかこの4冊の内容を理解し活用できなければ、麻酔の医者として独り立ちはできませんし医者としてやっていくのも困難が伴うと思います。
それではgood luck !!
[追記]
ぼくが研修医の皆さんに「教えられることは」以上の本に書いてある程度です。それ以上をぼくに期待されても困ります
大学の教員をしているので授業をします。
臨床実習の相手ではなく教室で授業をするのです。といっても年間に6コマとか7コマで始まってしまえばあっという間に終わってしまいますけど。
フリートークをするのでは無く担当が決まっているので、過去の資産を使える場合はある程度準備の時間が節約できますが職場を変わったり退職された先生がいて引き継いだりすると「イチ」からということになります。
医学部の普通の授業というのは特別講義とかとセミナーはすこし趣がことなり事実を重要性の強弱をつけて学生に話していくことなので面白いとか面白くないとかとはすこし違うと思っています。
すでに確立していること、この一年で変わったことなどを調べるのでそれなりに時間が掛かります。
例えば”Anesthesia“というこの分野の一番大きな教科書がありますが該当部分は改訂の有る無しに関わらず一度は目を通します。今では電子化されていますので補遺が追加されていきます。それにも目を通します。
その他その分野の基本的な教科書にも目を通します。
有力なこの分野関連の雑誌を検索してこの一年に出版された総説などにも目を通します。
という訳で結構な時間が掛かりますがたぶんこれがぼくの本職なんです。
これを学生に全て話すわけではありません。そんなことをしていたら何が学生として重要なのかわからなくなってしましますし一コマでは納まらなくなってしまいます。
こうなるとこれは学生の為にやっているのか自分のためにやっているのかなんのためにやっているのかわからなくなってきます。
少なくとも自分は物知りになる事だけは確かですが…
基礎研究の場合でもこのようなことは行っています。毎週決まった曜日に論文の検索を行って必要があれば読み込むという作業です。 論文や総説としてまとめる場合にはその作業の密度を上げることになります。 10000語の総説だと最低でも200篇の論文に目を通したりするのでこれはしんどいです。いまこんな作業をしていてこれが終わるまではぼくの夏はやってこない、というほど深刻な状況に追い込まれています。今も作業中なのですがストレスに耐えきれずにこんな駄文を書いて気晴らしにしているのです。
しかしこのような作業は自分のオリジナルな研究の推進にはそうそう大きな役割を果たしません。 過去20年以上の自分の研究歴を振り返っても文献検索が自分の研究を飛躍的に進めたという体験はありません。物知りになってどうするのだとは思うのですが、しかし、どうしてもこの作業は必要だとは思います。
雑誌 “Science”に”Just think: The challenges of the disengaged mind“というタイトルの論文が出ていました。
大学生を対象にした心理学的な実験をまとめたものです。
被検者は何の飾りもない部屋(unadore room)に椅子が置いてありそこに6分から15分ほど座ります(thinking periods)。携帯電話とかその他の持ち物は全て取り上げられています。
ここで課題を出されます。” think about whatever they wanted”と言う課題、他方は”chose from several prompts, such as going out to eat or playing a sport, and planned out how they would think about it”と言う課題です。
その後その体験を”enjoy”したかどうかの質問をされると両課題とも被検者の約50%はそうでなかったと答えました。 57.5%の被検者は集中できなかった、また89.0%は散漫な気持ちがしたいう答えをしました。 同じ検討を被検者の自宅で行っても結果には変わりがありません。 つまりunadore roomでという特殊な状況故ではないというわけです。ちなみに家での場合、立ったり何かしたりととかズルしちゃう被検者がいたそうです。
多くの被検者は”just thinking”という状況をenjoyできなかったという結論です。
次に面白い検討を行います。 痴漢撃退の時に電気ショックを与えるdeviceを使う場合があります。不快な体験で被検者にとって$5払ってでもこれを避けたいと思うような刺激となります。しかし、ここが面白いのですが、”thinking time”にボタンを押すとこの不快な刺激が与えられるという条件下で、67%の男性(女性は25%)はこの不快な刺激を受けるためにボタンを押したという結果が得られたのです。 つまり”pain or boredom”の選択で”pain”を選択する人がいたということです。
Wilson intends to pursue ways to tame what he calls “the disengaged mind”. “There are lots of times in our daily lives, when we have a little bit of time out, or are stuck in traffic or trying to get to sleep,” says Wilson. “Having this as a tool in our mental toolbox as a way to retreat or reduce stress would be a useful thing to do.”
こんなことが書かれていました。
自分に引きつけて考えてみても納得できるような話です。 麻酔中の患者さんの経過というのは一様ではありませんが、体表面の手術で経過が完全に凪ぎという場合もあります。ぼくらは様々なモニタとか手術の進行に注意を払っていることになっているのですがいくら集中しようと思っても何も起きないで内的には“the disengaged mind”となることがあります。こんな時にどうしてやり過ごすかとか考えると面白いと思いました。今度同僚や研修医くん・さんと話してみようと思います。
國分功一郎さんに「暇と退屈の倫理学」著作がありますが、これは「暇と退屈の心理学」ですね。
PNASに”Multiple types of motives don’t multiply the motivation of West Point cadets“という論文がありました。時間がないので後に何か書いて見ようと思います。
日本区域麻酔学会という学会があり第一回学術集会が岡山で金曜日・土曜日の日程で開催されました。 土曜日だけ参加してきました。
金曜日の夜に新大阪を出ると45分で岡山です。枚方から梅田に移動するのと時間差がありません。
駅を出て夕ご飯を食べようと思ったのですが地下商店街はすでにシャッターが下りていました。 通路では警察が出て地下道の「住人」に事情聴取的なことを行っていたのが印象的でした。
宿は駅に隣接した学会の会場と同じ敷地のホテルでした。NHKの隣です。 コンビニに寄ってみると顔見知りの製薬会社の方がいらしたので10分ほど話しました。 学会の参加者がすごい数になっているのだと聞きました。
いつもの習慣で翌朝は5時くらいに目が覚めました。
ホテルを出てそこら辺を歩きましたが何もありませんでした。駅の周囲には何も無いのですね。
朝ご飯を早々に食べて8時に一旦会場にタグを取りに向かいました。すでにすごい数の参加者です。プログラムを見てみるとリフレッシャーコースが8:00から始まっていたのでした。
このコースの受講は専門医というか認定医というかそういったものの試験の受験資格の要件になっているようです。
二つの会場でシンポジウムと講演が走っていてそこにリフレッシャーコースとハンズオンセミナーが伴奏するという形式で運営されていました。
お昼はランチョンセミナーを見送って某氏と摂りました。
またさらに製薬会社の片から金曜日に聴いた参加者数に三〇〇人くらい上乗せした数を聴きました。恐るべしです。
会場に戻りシンポジウムのうち合わせを行い14:00からセッションが始まりました。
ぼくは局所麻酔薬の毒性の専門家では無いのですが局所麻酔薬を用いた研究は行っていたのでその結果をお話しました。
今回過去(2000年くらい)のデータをチェックしていたら結構面白いデータを見つけました。押さえの実験を二つ程度行えば論文にできると思いました。今回の収穫の一つです。これだけ長い間誰もこの現象に気付かないのですから不思議ですね。ぼくも忘れていたのですけど。
「学会」と聞くとまず参加しない理由を考えてそれが否定されると参加するというくらいぼくは出不精なのですが一旦参加してしまうといろんな人と出会って話します。
お昼ご飯の時間を除いても合計小一時間は人と話していたと思います。わざわざ会場まで自分が移動することの意義がこういうところにあるのだと思います。
シンポジウムが終わり学会からiPodを頂きました。
[exblog] 日本区域麻酔学会第1回大会 http://t.co/nmsjefWKt0
— 森本康裕 (@yamorimo) 2014, 4月 26
帰りの新幹線を待っているときに駅の待合室で森本さんを見かけました。「ヒマそう」に見えたので話しかけようと思ったのですがぼくが別のことを始めてしまい遠慮しました。
遺伝子治療というのも実はマージナル。99%の病気は普通の医療でなおる。残りの1%の珍しい難病に膨大な国費をつぎこんでいる。
— 池田信夫 (@ikedanob) 2014, 4月 26
すこし言い過ぎ感はあるものの言わんとする意味合いはぼくにはよく解ります。
general physician、総合医、家庭医の育成に力点を置くのもこういった考えに基づいていると思います。
医療関係者が「せっせと手を洗う」だけで大きな「差」が生じるのです。
いかににガンを「直す」かと同時にいかに「ガンをもったまま生きて死ぬか」ということが現代では重要視されてきていると思います。
今回参加した日本区域麻酔学会は基礎的な学問を追究する学会ではありません。
臨床上の問題点の解決を目指して皆が模索しているような学会です。
その意味では参加するといろんな事に気付かされます。若い先生方の発言も多いと思いました。
研究を始める時に師匠から「あなたの研究で医学・医療現場が変わるとか努々思わないように。あなたの研究とは全く独立に医療現場というのは患者を含めた医療に参加する全ての人の日々の努力で毎日一歩一歩変革されているのだから。」と言われました。
池田さんのtweetもそういうことを言っているのだと考えれば合点はゆきます。
当然的に医者の養成の制度も変わるべきと思いますがこっちは旧態依然としています。
基本的には6年間学校に通うわけですが「過程を済ませた者」にはどんどん飛び級を認めるべきだと思います。 また医学部・医学校に所属しなくとも基礎医学の分野では試験で同等な能力があると認定されてた者には臨床実習に進む権利を与えるべきだと思います。 臨床実習は大学病院で行う必要は必ずしもありません。世の中にはいくらでも病院が存在します。
昨年こんな事があったそうです。(参照)
しかし、人命を預かる医師となる可能性が高い以上、強い使命感をもって勉強しなければいけない。いい人生勉強になったのでは
のだそうですが失当です。資格は単純に資格です。使命感とは別物でしょう。医療において使命感とか信念ほど厄介なものはありません。使命感とか信念というのはブラック産業のキャッチフレーズです。
言いたいことは試験に落ちた者でも医者になれるのであれば試験に「合格」する能力をもっている者に当然的に医者になる道を拓くべきだということです。
生命科学系の基礎研究者に医者への道を拓けと言うことです。