昨日の朝から連続35時間くらい大学というか研究室にいます。
大学院の先生の論文が雑誌”Scientific Reports”-ある程度皆が知っている雑誌ならぼくはどこでも構いません-にアクセプトされました。
麻酔薬propofol関連の研究の成果です。
この論文は、ぼくの頭の中では少し前に出た論文より早く世に出るはずだのですがぼくの戦略のミスで遅れました。
大学院の先生の学位ための講演会は済んでしまったのでどうでもいいといえばどうでもいいのですが論文が通ってスッキリしました。
(学位の講演会はぼくからしたらちょっとヒヤヒヤしたりする局面もあったのですが主査をしていただく先生からは「立派な講演会でした」と言っていただいたので成功だったのだと思います)
掲載料を払えというmailがきたので払おうと思って指定のurlから手続きを試みるのですがerror messageが出て前に進ませてくれません。mailで問い合わせをすると「質問が多すぎて順番に処理しますから」という自動mailが送られてくるだけで進展なし。
なんだ出版が遅れるじゃないかと気を揉んでいたのですが結局無効のシステムのトラブルで解決しました。
麻酔科学会
もう随分前の事になりましたけど横浜に行きました。
麻酔科の学会への参加が主目的。 神戸で開催される時だけに注力したいと思っているのですが今回はするべき事などができてしまいました。
神戸で開催される場合だと自分の出番の時間を目がけて会場に入って終われば会場を抜けるなどできて都合が良いのですが横浜だとそういう訳にもいかないので結局いろんなセッションに参加する事になりました。
初日の朝は、「学術委員会:2017年度開始ピッチコンテスト成果発表」に出ました。
学会が申請を受け付けて研究資金を提供(ほんの僅かですけど)してくれるという制度があるのですがその成果発表学芸会です。
研究成果が上がらない場合お金(僅かなんですけど)を返還する必要があるという結構すごい制度なのです。
というわけで、学会の会長自ら座長をお勤めになるという力の入れようで内容についての質問より「とにかくちゃんと論文にしてください」というコメントを何度もされていました。
ぼくも二つの研究の研究協力者なので参加してみました。 発表は皆さんしっかりとしていました。某優秀演題賞(過去何度も審査員として参加しました)のコンテストを遥かに凌ぐデキと言っても良いのではないでしょうか。 ぼくの30年くらいの麻酔科医人生でこんなレベルの高いセッションは麻酔科学会では初めてでした。 全部論文になるのではないでしょうか (#知らんけど)。
ぼくらはもう論文化していますからどうでも良いのです。
- 有料参加者合計 10,022名(会員9,308,名誉会員35,非会員679)
- 無料参加者概算 医学生・研修医(招待),受入れ留学生等:約640名
ということですから盛会だったと思います。最近はとにかくすごく沢山の人が実際に会場にいます。ぼくが参加したセッションは少なくとも麻酔科臨床に関わるものは立ち見が出ていました。
抄録集を眺めたり人にも尋ねたりしたのですが最近のこの業界のトピックスって何なのかよく分からなくなりました。
まさか「無痛分娩」と「女性医師の活用」という訳ではないのでしょうけどどうなのでしょうか。
ラーメンと味噌汁
期間中に大学院時代を一緒に過ごして今は横浜在住の内科医として働いている先生とre-unionしました。 この前会ったのは二年三ヶ月前でした。
高血圧と判ったのでラーメンと味噌汁を絶って降圧に成功したとの事。
ぼくも一年ほど前から降圧薬を服用し始めたのですが3ヶ月ほどして服薬無しに収縮期血圧が130mmHgを越えることがなくなったので服薬をやめていたのですが最近130mmHgを越えるようになり服薬を再開するかなという状況となっていたので間に受けてラーメンと味噌汁断ちをすることにしました。
最後にと思い、天下一品のラーメン大盛りを食べました。少なくとも半年はカップラーメンを含むラーメンを止めます。
一週間ラーメンと味噌汁を断つと確かに血圧は下がりますね。
「一発」とは
髭男爵の山田ルイ53世さんの「一発屋芸人列伝」読みました。
連載も部分的にフォローしていたのですが単行本としてまとまったという事でまとめて読んでみました。
前評判も高かったので紀伊國屋でももっと大々的に展開していると思いきや結構しょぼい感じだったのですが発売日に読むことができました。
書評も多く出ているので内容を紹介することはしませんが読んで損はありません。
「一発屋」の定義ってなんなのかはこの本を読んでいただくとして研究の分野で「一発当てる」ってどんな風な事を言うのかなと考えました。
文化功労賞・文化勲章とかノーベル賞クラスだと「一発屋」という言い方はなじみません。 とは言え文化功労賞・文化勲章とかノーベル賞クラスの皆さんはどこかで最低「一発」出ているのだと思います。その「一発」ってどんなの?という素朴な問です。
出版された初年度で250回5年で500回10年で2000回の日引用回数なら十分「一発」と言えるのかもしれませんが「一発」と分かるまでに5年は掛かります。
少なくとも日引用回数が1000回以下は「一発」とは言わんだろうなとは思います。
以前といってもぼくが大学院生の頃、「心とコンピュータ」という本で利根川進さんが
研究者は研究人生で何か一つでも大きな仕事をすればそれで十分評価されるのだから焦るな。そういう分野を持てるまではじっと我慢すればよいのだ。ただ大学院生とかポスドクの時期の仕事はPIの仕事になる場合があるのですごいアイデアを思いついたら独立するまで温存しろ、みたいな話をしていたと記憶しています。
結構間に受けていたのですがその「何か一つでも大きな仕事」というのがどういう仕事なのかが分からず今に至るという感じです。
昨日麻酔科学会の関西支部学術集会に参加してきました。
たぶん座長をした「お駄賃」としてある本を会長の横野先生よりいただきました。(手術室の安全医学講座)
帰りの電車で読んだのですが知識のアップデートに有用と思いました。読者は麻酔科医の医者を想定していると思いますが研修医くんや看護師さんも良い読者になると思います。
手術室の安全といってもすごくスコープが広く確かにここまで考える必要があるよねということに気づかされます。
各項目は1-2ページでまとまられていますので時間を見つけてどんどん読み進めることができます。
NO.132は「あの先生、ちょっとおかしい??」です。内容は読んでのお楽しみということで。
研究の再現性
ここ数週間、研究の再現性についての記事をネット上でいくつも読みました。
きっかけは
Over half of psychology studies in large replication study fail reproducibility test http://t.co/Hw2oCa8QoS pic.twitter.com/ERkATUICJ6
— Nature News&Comment (@NatureNews)
で紹介されている”Science”に掲載された論文だろうと思います。(Estimating the reproducibility of psychological science)
FiveThirtyEightにも関連の面白い記事が出ていました。
Science isn’t broken — it’s just a hell of a lot harder than we give it credit for: http://t.co/3zu3z6N1Rn pic.twitter.com/4QWeSgCMW0
— FiveThirtyEight (@FiveThirtyEight)
It might be good news that scientists failed to replicate more than half of 100 studies: http://t.co/5tO41BK4oo pic.twitter.com/VEkRN68ENc
— FiveThirtyEight (@FiveThirtyEight)
実験結果を不正に操作しようという意図がなくともいわゆる複雑な”p-hacking”をしているうちに他の研究者はおろか自分にも再現できない結果が得られそれを出版してしまうという事があるようです。
にはp-hackingのsimulatorが提示されていて面白かったです。
ここだけみてみるだけで十分価値があると思います。
米国・細胞生物学会の研究再現性問題への対策:白楽ロックビルのバイオ政治学 http://t.co/1B8l2Bcd7c 日本の学会や文科省等の対応とは全く別次元とも思える深い議論と対策。
— 山形方人(nihongo) (@yamagatm3)
このtweetのリンク先
米国・細胞生物学会の研究再現性問題への対策:2015年7月15日 も研究の再現性についての論考ですがこれも一読の価値があります。
明らかにデータの操作を行ったと思われる論文の存在を指摘しても知らんぷりの某学会の英文雑誌の対応と全く違いますね。そもそもなんであんなデータを提示している論文を採択するのかまったく訳が解りません。字面を読んでp<0.05だとそれでOKって感じなんでしょうね。自分でWestern blotとかしたこと無いんですよたぶん、査読者は。
人の死
ある書評サイトで 人はいかにして蘇るようになったのか: 蘇生科学がもたらす新しい世界 が紹介されていました。
“Erasing Death: The Science That Is Rewriting the Boundaries Between Life and Death“の邦訳です。
ぼくは英語版で二年前に読みました。(参照) 英語版の章立ては以下の通りです。
- Amazing things are happening here
- One small step for man, One giant leap for mankind
- The formula of life
- Reversing death
- The orphan
- What it’s like to die
- The elepahnt in the dark
- Understanding the self: Brain, Soul and the Consiciousness
- The Afterlife We Know
- The AWARE study
- What does it all means ?
となっていて第5章までは蘇生学の解説となっていますがそれ以降は著者の考えが展開されていきます。これがかなり独自で面白いのです。
著者の一人Sam Parnia氏は医者です。 臨死体験や蘇生中の患者の意識状態についての研究を展開していてちょっとした有名人です。論文もあります。
AWARE-AWAreness during REsuscitation studyという研究を率いていて論文もいくつも出版されています。 例えばこれ
何をもってヒトが死んだと判断するかは基礎医学的・生物学的にはそうそう簡単な問題ではありません。
鎌倉時代に九相図という仏教画で人が死んで朽ちていく過程が描かれました。
- 脹相(ちょうそう) – 死体が腐敗によるガスの発生で内部から膨張する。
- 壊相(えそう) – 死体の腐乱が進み皮膚が破れ壊れはじめる。
- 血塗相(けちずそう) – 死体の腐敗による損壊がさらに進み、溶解した脂肪・血液・体液が体外に滲みだす。
- 膿爛相(のうらんそう) – 死体自体が腐敗により溶解する。
- 青瘀相(しょうおそう) – 死体が青黒くなる。
- 噉相(たんそう) – 死体に虫がわき、鳥獣に食い荒らされる。
- 散相(さんそう) – 以上の結果、死体の部位が散乱する。
- 骨相(こつそう) – 血肉や皮脂がなくなり骨だけになる。
- 焼相(しょうそう) – 骨が焼かれ灰だけになる。
こうなると死は誰の目にも明かなのですが現代では脳死一つとってみても少なくとも日本では普遍的な人の死ではありません。
この本は専門家向けというより一般啓蒙書として書かれていますので興味を持った人は邦訳を読むといろんな蘊蓄とか小ネタを得る事ができると思います。
著者による解説もあります。
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満屋裕明先生
昨日本屋で満屋先生の評伝が文庫本で出ているのを発見しました。(エイズ治療薬を発見した男 満屋裕明)
満屋さんって村上龍さんと同窓で一年先輩なのですね。
日当直でした。何もありませんでした。珍しいです。
午前中にどうしてもしないといけないいくつかの事を済ませてしまっってどうしようかと思案して調べ物とか読書に時間を当てていました。
学生と実験しています
このところ学生と一緒に実験をしていますorしていました。 一回生で「研究医養成コース」と三回生で「配属実習」とのプログラムに参加している学生たちとです。
結構単純な実験系を使っての実験でそれなりの「結果」が出てきて一安心です。
– まず習得してもらうのはピペット、ピペットエイドの使い方です。 まずやってもらうと力が入りすぎて”おぼちゃん”みたいな不自然な持ち方になってしまうのです。何度かやってもらいここら辺が自然になってくると一応合格となります。
麻酔科研修に訪れる研修医くん・さんたちのマスク・喉頭鏡の持ち方も自然に見える人は大抵うまくできています。
– 次は実験の手順を頭にいれるということです。考えならが実験を進めると手順を間違ってしまうことにつながります。
– でも一番大切なのは一回一回の実験の目的の把握とそれに基づいた実験の遂行です。
96 wellのplateを使う実験などではいくら8連のピペットを使っていてもplateの左右・上下では処理に時間差などが生じてしまいます。
実験の目的にあわせて薬剤処理の順番などを決める必要がある場合もあります。一番大切なポイントを決めて実験ごとに微調整できるようになれば一人前ですがこれはなかなか実現は難しいです。何度かパイロット実験をしないと明らかになってこない場合もあります。
単純な実験でも議論しながら行うと学生の行動様式が変わってくるので面白いです。
この実験思いの外うまくいってちょっと実験を追加して論文にまとめたいです。
読んだ本二冊
一冊目
世界をリードする日本の科学・技術。その卓抜した成果の背景には、「日本語による科学的思考」がある という仮説から出発した日本の科学論です。
生命科学の領域では、基礎研究でも臨床研究でも少なくとも原著論文は英語で書く場合がほとんどだと思いますが、
ここで英語を「使う」からといって「英語で科学をしている」という言い方はできないと思います。 少なくともぼくの場合、「日本語で考えて」いるしその意味では「日本語で科学をして」います。 留学していた初年度はlabで日本人はぼくだけだったので否応なく英語を使っていましたが「英語で科学をしていた」という意識はありませんでした。
医学教育に限っても日本は日本語だけで6年間の医学教育が可能となっている世界の趨勢から見れば特別な国です。 リアルタイムで外国の最新の知見を取り込むとかそのような必要に迫らなれければ英語が必須な訳ではありません。また最新の知見を臨床現場に取り入れていくことが必ずしも患者のケアの向上につながらないという場合もあります。いくつかの研究が揃ってメタアナリシスができる位に時間的な余裕があれば日本語での解説などもいくつも出てきますし日本語の医学系の雑誌もいくらでも存在して毎号結構興味をそそる特集が組まれます。 それ故独自の進化を遂げているという側面があります。
この「日本語の科学が世界を変える」も英語を使わずに日本語で論文をかけというような単純な議論を展開している訳ではありません。
養老孟司先生は実は英語がすごく得意なのだそうですがこんな事を言っています。
英語論文でも、英語と日本語の文化の違いからさかのぼらなくてはいけない。英語論文を書くときに、僕が二つの言語の性質の差を感じるのは、英語の文章を書くためには、日本語で記述するときとは違った部分を観察しなければいけないということ。僕が日本語の頭で観察するでしょ、観察が終わったと思って、今度は英語で書くでしょ、すると、途端にわからなくなって、現物に戻って見直すということがあるんです。なぜなら、英語の文章になるためには、ここが抜けていたら文章にならんというのがあるんですよ。主語が典型的にそう。日本語だったら、主語を省略することだってできる。でも英語では、「はて、主語は何だったっけ」と確認しなければいけない。
この議論と似通った主張も含まれていますがそうでない議論も含まれています。
「日本語の科学が世界を変える」 は、一読の価値はあると思います。
二冊目
最相 葉月さんの「れる られる」
「れる られる」とは、助動詞の「れる」と「られる」のことです。
人の一生で受動と能動の転換点または境目を「生む・生まれる」「支える・支えられる」「狂う・狂わされる」「絶つ・絶たれる」「聞く・聞かれる」「愛する・愛される」の六つの動詞をきっかけに考えた一種の随筆です。
どの章も読むと考えさせられる内容なのですが、第四章「絶つ・絶たれる」研究不正、ポスドク問題を扱っています。絶つ・絶たれるとは文字通りの人生のことです。
医学部の授業で使ったらよいと思う一冊です。
麻酔科学会の資料
日本麻酔科学会が後期研修医向けパンフレットを発行しました。
昨年の秋に学会を通じて学会員には配布されていたのですが最近になって学会のホームページを通じて誰でもが閲覧できる形としたのです。
このパンフレットには、「麻酔科医以外の医師は、なぜ、子供に麻酔科をすすめるのか?」というタイトルが付いています。
曰く
麻酔科医、麻酔科医以外の医師それぞれに、麻酔科医の魅力についてアンケートで尋ねたと ころ、どちらも「QOLが高い」という回答がトップでした
麻酔科医という進路選択を語るうえで「QOLの高さ」は見逃せない要素になります
麻酔科医は基本的に集中治療、ペインクリニック領域以外の、いわゆる手術室におけ る麻酔管理に関して主治医になることは、まずありません。ですから、サマリーを書くことも、 まずありません。医師の業務のなかで、詳細なサマリーをまとめる労力と時間は、たいへん大 きな負担になっています。そうした負担から解放される事は、他科の医師から見て「正直、羨ましい」と思われているところもあるようです。
ここでいうQOLとはいわゆるQOLMの事でこれが麻酔科の魅力のトップであると学会が公言するのは問題があると思います。もっと言えば恥ずかしいです。
「サマリー」を書かなくてよいことがそんなに素晴らしいことなのでしょうかそれもぼくにはよく解りません。
やっぱり何か変だぞというような議論はなかったのでしょうか。不思議です。
今日あるブログエントリーを読みました。(『社会貢献曲線』 〜社会インパクトを最大化しようと思ったときに〜)
「社会インパクト」と「スキルレベル」の関係のグラフが書かれていて曲線に「多くの社会貢献活動で必要とされる領域」と「本業の人たちの領域」という二つの領域が存在するとの議論です。
医者にもいろんなレベルがあって「多くの社会貢献活動で必要とされる領域」で働いても社会へ与えるインパクトでは低くなくある意味すごく大きいともいえるのです。しかしこの領域は条件によっては他職種たとえば看護師にとって変わられる可能性も秘めています。「医師免許」に守られているのですね。