週に二回徹夜すれすれの生活を送るとモノをちゃんと考えられない頭になりますね。たぶん脳細胞がどんどん死んでいるのだと思います。
いよいよ「第10回がんとハイポキシア研究会」が横浜で開催されます。
シンポジウムに加えて36題の一般演題であつい議論が繰り広げられるはずです。
当日参加も大歓迎です。
「科学的方法とは何か 」という中公新書があります。1986年に出版されました。ロングセラーとなって版を重ねていて,今持っているものは買い直したもので1996年で11版となっています。
折に触れて読み返しています。
良書です。時々の自分の状態によって読む度にいろんな発見があります。
今日はこの本のある一章,経済学者の佐和隆光さんが担当した「夢と禁欲」を「だし」に書いてみようと思います。
この一章は科学的な方法を経済学を含む社会科学の観点から論じた22ページの文章です。
まずポパーの反証主義についての解説があります。
たしかに自然科学であれ人文社会科学であれ,その理論的展開が反証主義者の書く筋書き通りに進むわけではないし,また進んできたわけでもない。問題なのは,いかなる反証をも許さない無欠の理論など存在しようもないはずなのに,なぜか理論は滅多なことでは倒れない,という一件不可思議な事態のゆえんである。
反証主義を厳密に適応すれば「反例」が一つでも見つかればその理論は「倒れる」はずであるのに実際には理論はなかなか「倒れない」ということを指しています。
その理由の一つに「反証のがれ」があるというのです。
「反証のがれ」とは
ラカトシュは,理論の出発点にある諸仮説(法則)を,「堅固な核」に属するものと「防御帯」に属するものとに二分する。
….
ありきたりの防御帯を付けたままで,堅固な核としての仮説群から導かれた帰結が,明らかにデータと食い違った(反証された)と仮定してみよう。とはいえ,それで万事が窮したというわけではない。腕達者な科学者ならば,事の顛末を冷静に見つめたうえで。防御帯をより適切なものに取り替えることによって,ものの見事に理論とデータとの整合性をかなえてみせる(反証のがれをする)ことであろう。かくして,あわや死ぬかと思えた理論は,新しい防御帯の護りのおかげで,以前にも増してかくしゃくたる風情でいきながられるのである。
というほどの意味です。
医療の世界ではこのような「反証のがれ」で生き残っている療法はいくらでも探し出せます。
実験医学的な背景など無しにある程度古くから行われている療法も存在してそのようなものに「エビデンス」を出せといっても出せないという側面もあります。
一方,厳密なRCTの結果例えばNew England J Medicineなどで発表される研究から導かれた「evidence」でさえ「反証のがれ」を内包してます。医学上の「evidence」は現代においては統計学な有意差でしか語られないからです。ある療法が無効な「反例」はある程度の確率で現れます。
このように医学とくに医療における療法についてのあらゆる言説は「反例」が内包された形でしか存在し得えなのです。つまり絶対的な理論に立脚した絶対的な療法は存在しないと言うことです。
新薬を用いた療法は動物を用いた検討などかなり多くのステップを経て臨床応用に至ります。理論的な武装があらかじめなされています。その場合いくら人のある種の病態を改善する効果が認められないと「証明」されたといってもそれを素直に認めない人が出くることになります。「反証のがれ」を試みるわけです。しつこく追究していくとそのうち都合のよい結果が出てきてそれみろということになります。
市場に出ることのなかった薬剤については事情は単純です。医療の現場では使用されることがないからです。
問題は,一旦市場に投入された薬剤です。 大規模な臨床研究の結果が存在しないまた大規模研究やメタアナリシスが行われて効果が証明できなくともその事実を「知らない」また「無視」してある薬剤を用いた療法を継続することは医師の裁量権の範囲であるなら特段に法的な規制を受けません。
結果明確に有害であるという結果が得られない場合その薬剤は医師の裁量権の範囲で使用され続けていくわけです。
この「科学的方法とは何か 」は一回は読んで見る価値のある良書だと思います。
この前の日曜日に家内と室生寺を訪ねました。
ぼくは大学生の折りに訪れて以来27年ぶりです。記憶の中とまったく同じと思える光景が広がっていてその意味で感動しました。
前回はN山さんと写真を撮るために訪れたのでした。朝真っ暗な時分に京都を出て近鉄の八木で大阪線に乗り換えて室生大野駅からバスでした。朝イチでほとんど人がいませんでした。掃除のおじさんにここが土門拳先生のお気に入りの撮影場所だと聞かされてそこから何枚か取ったのを覚えていました。写真をさっさと取ってバスを待つ間日本酒を呑みはじめました。すごくまずい酒でした。 逆のコースをたどって京都駅まで戻りさらに酒を呑み続けしんどくなって家に帰って寝たという撮影旅行でした。
今度は吉野を訪ねてみようと思っています。
finalvent氏のブログエントリー「最先端癌治療の費用対効果の話題」を読みました。
自分が麻酔科医であると言うこともあり十分賛同できました。