4回生への麻酔科学・集中治療学の授業が来週にあります。
ぼくも3コマ担当します。
職場を変わって担当する分野も変わったので授業の準備をはじめからしました。 “Anesthesia“の該当部分をまず読むことにしています。 とう訳で結構な時間が掛かりましたが今日でほぼ全部準備が終わりました。 来年からは改訂をすればよいだけなので時間はだいぶ節約できると思います。
授業はある程度網羅的である必要があるし自分の意見よりは世の中のコンセンサスを伝える必要があるという点で基礎研究のセミナーとは異なります。 この点ですごく気を遣います。
正規の授業の他に自分の考えのみで構成した「裏授業」などがあると面白いのだと思います。
少し前に「科学を語るとはどういうことか —科学者、哲学者にモノ申す」を読みました。
消化不良と思われた部分もあったので再読してみました。
哲学者の議論を「的外れ」と憤慨する科学者と、科学者の視野の狭さを精緻に指摘する哲学者による妥協なき徹底対論。価値観の異なる者同士が科学を捉え、語り合うためには何が必要か。
という内容です。
「科学者」役は理論物理学者の須藤靖 氏で「科学哲学者」役は伊勢田哲治 氏で形式上は二人の対談です。
かなりくわしく内容を紹介したブログエントリーもあります。しかしこれを一読しただけでは何が議論されたのかを理解することは困難だと思います。(参照)
以前、「医学と仮説――原因と結果の科学を考える」を紹介したことがあります。2012年に読んだ本で二番目に影響を受けた本として挙げました。(参照) この本も再読したみたのですがそうすると伊勢田氏の主張も何となく理解できる様な気もしてきてこの一週間ほどの読書は無駄ではなかったと今では思っています。
これを読んでから取り組むとさらに得るところが多くなると思います。
医学を含む生物学に関わる人たちはこのように「深刻に」因果論を考える事は少ないと思います。
マウスにおいてある遺伝子を破壊して都合のよい表現型(例えばヒトのある疾患と似た表現型)が得られると、ヒトの疾患の「原因遺伝子」が同定されたというような結論を導きます。言い過ぎだと思うときもありますが基本的にはこれと同様な「論理」を使っていると思います。
ある酵素活性がある現象に関して必要でかつ十分というような大げさな言い方をすることもありますが大抵は持続活性型を強制発現したり、最近ではsiRNAで発現を抑制したりした結果に基づいています。
こういう「単純」な考えばかりしていると確かにすこしバカみたいに自分が思えていたのですが実はノックアウトとかノックダウンの手法は、「原因がなければ、結果がない」というヒュームの因果論的にはこのような手法は適しているのではないかと考え始めました。
iPS細胞などの生物学上の発明が力強いのは「うまくいった」という否定し得ない事実があるからなのだと思います。 最近ではその「否定し得ない事実」が本当にあったのかどうか、もしかしたら誰かが勝手に作ったのではないかという問題が大きくクローズアップさえてきているのですから困ったモノです。(参照)
「実験事実」というか「観測事実」が信用できないのであればそもそもこのような議論は成り立たないということは当たり前です。
6/30は勤務先の大学の創立記念日だったのですが日曜日であったということで今日7/1がその代休となり閉院となり手術室も休日体制でした。
家内とデートしようと思ったらスポーツジムとテニスの予定があるということであっさりフラれったので研究室で仕事をすることにしました。
帰宅途中に枚方市駅から交野線にのって私市まで足を伸ばしてみました。 なかなか風情のある沿線ですね。
天野川の堤に七夕飾りが5m置きくらいに飾られている場所がありました。
新潮文庫の100冊って全部買っても67000円位なんですね。100000円出してもよいのでテキストを利用できる形で売り出してもらいたいと思います。
Amazonの小林秀雄の新潮文庫で出ているものがKindle版として帰るようになっていました。取りあえず全部買いました。
そして
「科学を語るとはどういうことか」を読んで http://t.co/jvsrQPkgE3
授業の準備で知識量がすごく増えている状態。専門医試験受けたらたぶん軽く突破。RT @bodyhacker: エントリー登録しました – 「科学を語るとはどういうことか」を読んで: http://t.co/RCoeiTUscT @bodyhacker