石坂公成先生の訃報にふれて

On 2018/7/6 金曜日, in hypoxia reseacrh, news, by bodyhacker

石坂公成先生がお亡くなりになりました。

ぼくの先生である淀井淳司先生の先生であり、産業技術総合研究所の特別顧問やぼくらのユニットのアドバイザーをしていただきました。

2001年の秋、産総研への就職に際して一時帰国した時、霞が関での理事長、つくば本部での理事面接のあと山形の石坂先生をお訪ねした時の事を今でもハッキリと覚えています。

石坂先生は長らくJohns Hopikins大学に研究の拠点を置いていてぼくも当時Johns Hopkins大学、石坂先生の友人であったVictor McKusickの名前を冠した研究所に属していた事もあって色んな話をう伺う事ができました。

 

今年の4月の末に淀井先生ご夫妻とお会いした時は非常にお元気という風に見えましたので急でびっくりしています。

IMG_5731

 

石坂先生が認められた二つのessayを紹介します。

「独創的研究をするために必要なこと」「プロの研究者の育成を真剣に考えよ」の二つです。

まず読んでみてください。 石坂先生は実際にこれらの文章の口調通りにゆっくりとお話しされるのです。

私には“独創性”の定義がよくわからないが、私の考えでは、研究者というものは、自分が興味を持った、ある未知の自然の仕組みを解き明かしたいという情熱から研究をするものだと思う。始めから他の人がやっていないことを物色して自分の研究課題を選ぶ人はいないだろうし、それはあまり意味のない事だと思う。

前回のエントリーにも書きましたが

「じゃあ一番重要な事って芸術ってのは、関わらなくてもいいものなんですよ。無くてもいいものなんですよ。別に無くても生きて行ける。 だからほとんどの人は、生涯に一つも作品なんか残さないわけでしょ?」042616@London

私がJohns Hopkins時代に親しくしていたロックフェラーのHenry Kunkelは骨髄腫蛋白と抗体蛋白の関係を確立した人だが、彼が免疫グロブリンのlight chainにκchainとλchainがあることをみつけたのは、ImmunodiffusionのOuchterlony plateの上でかすかなspurを見落とさなかったことに始まる。勿論彼はそんな結果を期待していたわけではなかったが、彼はplateにapplyする蛋白の濃度を変えて、若しそのspurが本物なら、よりはっきり出るようなデザインをした。Spurが出ないようなデザインも可能だった筈だが、彼は敢えて常識を破るような結果が本当かどうかを確認しようとした。彼がそのようなデザインを選ばなかったら、κ,λchainの発見は1、2年遅れたかもしれない。

この部分はその後ぼくの考え方や研究法の選択に決定的に大きな影響を与えてくれた記述でご本人にその事を話すとさらに詳しくこれに込めた意味を解説してくれました。

研究者がユニークな課題にチャレンジするか否かは、その研究者の知識や技術よりは、その人の性格や人生観に依存するfactorが大きいのではないかと思う。(勿論これらは生まれつきのものだけではなく、その人の経験によってつくられるものであるが)。驚くほど専門知識が豊富で、実験をすることもうまく、しかも、“自分にはしたい事がある”というので、何がしたいか聞いてみたら、全く月並みの研究計画を書いてきたので驚いたことがある。“こんな事は出来たところで、みんなの期待通りで、やらなくても分かっていることじゃないか!”と言ったことがある。他の人と同じことをやっていなければ安心出来ないエリートは、いくら知識があっても独創的にはなれないとみえる。

石坂先生は研究者や研究の「面白み」をよく話題にされていたように思います。

卑近な例で申し訳ないのですが、例えば診療録からデータを抽出して回帰分析をして何か結論めいたものを出す、末梢神経ブロックをして術後鎮痛薬の要求量に差があったという論文を研究といわれてもちょっとぼくは困るわけです。

これを「業務改善」や自らの臨床を振り返る手段だというのであればそれはそう思うしぼくも良くやる訳ですがだからと言って研究とは思いません。これらは臨床現場での有用性はないとは言いませんし有用なものは確実にあるとは思います。

しかし、女医の方が患者管理の成績がいいよというような調査結果をエビデンスだといわれても困るでしょう。

 

石坂公成先生ゆっくりとおやすみください。

IMG_5822


PDF
Tagged with:  

第五回山行

昨日(2018 6/24)に第五回山行を行いました。 前回は昨年の10/8でしたので結構間があきました。

参加者は常連の専攻医3人とぼく。加えてぼくの研究室に出入りしている学生さん(5回生)と職場のワンゲルの部長さん(三回生)の6人です。

今回は、中山連山 & 北摂大峰山を歩きました。

コースタイムは以下のようなもので、前半は快調でしたが後半になりかなり速度が落ちました。 このコースを三時間台で歩く人もいると知って驚きました。

山本駅で老人登山会の皆さんを見かけました。ぼくらより後に山本駅を出発したはずなのですが満願寺西山の辺りで抜かれました。

IMG_7966

  • 阪急 山本駅 9:00
  • 中山連山縦走路岩場 9:40
  • 満願寺西山 10:20
  • 中山連山最高峰 11:45
  • 北摂大峰山 14:12
  • 桜の園入口(福知山線廃線分岐)15:50
  • 武庫川渓谷武田尾側入口 16:05
  • 武田尾駅 16:15

はじめに出てくる「岩場」は結構危なかったです。鎖などが無くちょっとバランスが崩れるとそのまま堕ちていく感じでした。

IMG_7966

次の難所は大峰山に向かう中間地点です。 中山の最高峰(478m)から一度267mの地点まで降ってその後大峰山(550m)に向かうのですが登りがすごくキツくさらに細い崖で登りにくいのです。 途中で「もう止めようか」などと口走り、打ち上げの時にT中くんにからかわれた程です。

IMG_7966

当初予定では武庫川沿に生瀬まで歩くはずでしたが桜の園入口で武田尾駅に向かってしまいました。それほどしんどかったのです。

IMG_7966

IMG_7966IMG_7966

IMG_7966

山本の住宅地のすぐそばにこんな場所があると知って驚きました。

武田尾駅からJRで宝塚に出て打ち上げ後宝塚で解散。

秋になったらまたどこかに出かけましょう。

疲労困憊で駅から家まで普段は12分くらいなのですが昨日は30分近く掛かってしまいました。

 

地図をiPhoneに入れて歩いていたのですがGPSのお陰でコースをから外れていないこと行程のどれくらいかなどが分かってすごく良かったです。


「最前列へ」

と言う訳でいつもの通りにApple Musicで聴いてみました。 気づいたのですが「猫の名前」が入っていません!!

 

「最前列へ」という曲が収録されています。

ぼくが大学院生として研究をはじめた研究室は今でいうredox biologyをテーマとしていました。

redox biologyという概念は確立していませんでしたし、研究手法も未熟で過酸化水素を薄めて細胞に作用というか振りかけてるような実験を行なっていました。

こんな手法でも、いろんな蛋白質のリン酸化の更新やNF-kBのような転写因子の「活性化」が観察できました。

しかしこのような研究には批判も多く研究会とか班会議でお前たちはオキシドールの生物学をしているのかというような中傷も受けました。 この様な状況は2000年くらいまではあったと思いますがその後は無くなりました。

 

その後、1999年にJohs Hopkins UniversityのGregg Semenza氏の研究室に参加しました。

当時はHIFの重要性は認識されていたもののブレイク前夜でした。 世界的にもこの分野を研究している研究室はそう多くはありませんでした。

当時の最大のテーマはHIFの活性化に至るシグナル伝達その中でも低酸素センシングメカニズムの解明でしが、Semenza研はこのテーマは直接には関わっていませんでした。別のテーマとくに酸素分圧に依存しない活性化の機序を追求していたのです。

Semenza研はこの分野の学問を創業したlabでありこの時期までは論文を出せば追加実験などなくとも論文が通ってしまうという様な一種の特権を享受していました。確かにぼくは連続して5報くらいは追加実験をした記憶がありません。

しかし一方、Greggが流石に最近は結構競争も激しくなってきたし査読も厳しくなってきたなとぼくに向かってぼやかれた事はありそういう時代でした。

研究室では、自分たちが研究の最前列にいるのだという自覚はメンバーに共有されていたと思います。ぼくらが普遍性のない実験結果を出版するとするとこれはこの分野の研究の趨勢に大きな影響を与えてしまうのだという意識です。anti-HIF-1a抗体もロットが新しくなる度にそれを販売している会社からバッチが送られてきてGreggの信認の厚いテクニシャンのお兄さんがチェックしてそれで販売のgoサインが出ていました。

こうなると他の研究者との戦いというより自分たちの問題となってくるのです。こういう感じを持って研究をするのはそれなりにシンドイです。基準が自分たちにあってしかもそれを高く掲げる必要があるのです。

「この世界に踏み込んで、見えてきた世界…。いいことも、悪いこともある。苦しいことも、楽しいことも」 「私達はひとつの作品を作ることに対して一生懸命。だから熱くなるし、衝突もあって、いい青春というのが送れない可能性もある。正解も間違いも無い」

まさに「いい人生というのが送れない可能性もある」というか結構な犠牲を払ってこの生活を送ってきました。

今でこそ大学院生のメインの研究プロジェクトが失敗する事はないけれど小さな失敗はいくらでも起こるし過去には大きな失敗もありました。

 

「何回も何回も辞めたいって思ったこともあった。でも、逃げるような形は、自分では許せなかった」

麻酔だけしている生活を送っていたら金銭的にももっと恵まれていたと思うし家族との関係も変わってきた。単純に「もっといい人生を送れたかもしてない」と今でもよく思うし家内にも次の人生は開業して儲けようといわれてます。 問題は人生をリセットできない事なんです。

ともかく「この夏で、あなたの人生が変わる」かもしれないんですよ。

 

 

 

「じゃあ一番重要な事って芸術ってのは、関わらなくてもいいものなんですよ。無くてもいいものなんですよ。別に無くても生きて行ける。
だからほとんどの人は、生涯に一つも作品なんか残さないわけでしょ?」042616@London

まあ多くの医者は一つくらいは症例報告はするとは思いますけど。 

 

という訳で秋元氏にすっかり感化されてみました。


PDF

20180618の地震

On 2018/6/18 月曜日, in news, 関西医科大学, by bodyhacker

今日(2018/06/18)8時前大阪北部で結構な大きさの地震がありました。

ぼくは研究室でパソコンの前に座っていたのですが「ガツン」という衝撃を感じました。

研究室の机の上のモニターなどが揺れて「おおー」という感じになりました。

研究室の本棚なの本が20冊くらい床に落ちていましたがそれ以外は本棚も自立していました。

 

重要なMacとかは全て頑丈なテーブルの下に移動したりの作業をしました。

リュックに重要な物件を詰めて廊下に出て研究室の測定器具などを巡回してみましたが台から落下しているという物はありませんでした。

院生くん二人も駆けつけてくれてました。ぼくが本棚の下敷きになっているかもということで見に来てくれたようです。

 

 

病院に行ってみようと廊下に出てる掃除のおばちゃんがいたので情報を交換したのですがエレベータの中で地震にあったらしく相当ビビっていました。 かなりの部屋で本棚などが倒れたようでした。

病院はなんてこと無い感じでしたが断水が生じているということでした。

とりあえずは予定手術は中止となっています。

 

その後院生さんからPHSから連絡があって今やりとりしている論文の件で相談に来たりして今に至ると言う感じです。 腹が減ったのでどん兵衛食べました。

京阪は止まっているし歩いて帰るとしても高槻を通る事になるので交通機関が復旧するまで研究室に留まる事にしました。

食料も十分あるので数日泊まることもできます。

 

池田の自宅も本棚から本が飛び出たくらいで電気・水道・ガスは問題なく供給されているようです。

 

現在は本棚から距離を置いて自分の部屋にいます。


PDF
Tagged with:  
madeonamac.gif Creative Commons License