土曜日の朝から24時間の日当直でした。

午後遅くから夕ご飯まで働きましたがそれ以外は籠もってデータ整理と某解析に勤しんでいました。

某解析Macが一台別に必要ですね。

こうなるとMacはもっと高性能の奴があればいいなと思いますよね。


MARY HALVORSON OCTET

New York Timesで “BEST IN CULTURE 2016”特集を組んでいます。

The Best Movies of 2016,The Best Pop songs of 2016, に加えてThe Best Podcasts of 2016まであります。

 

The Best Albums of 2016で紹介されていたいくつかを聞いてみました。Apple Musicでほとんど聞くことができました。

BEYONCÉ “Lemonade”とDAVID BOWIE “Blackstar”が総じて高評価なのですがある評者は MARY HALVORSON OCTET の“Away With You”を一位に上げていました。

HALVORSON氏が率いる8重奏団-Jonathan Finlayson (trumpet), Jon Irabagon (alto saxophone), Ingrid Laubrock (tenor saxophone), Jacob Garchik (trombone), Mary Halvorson (guitar), Susan Alcorn (pedal steel guitar), John Hébert (bass), Ches Smith (drums)-のアルバムです。

例えばこれ

HALVORSON氏のインタビューも読めます。

 

The 10 Best Books of 2016ももちろんありますが The Best Book Covers of 2016 こんなものもありました。 よい趣味ですよね。

 

New York Timesで紹介されていた”“The Undoing Project”“を読んでいます。

著者はMichael Lewisで”Money Ball”とかを書いた人ですね。

副題に”A Friendship That Changed Our Minds”とあるように二人の心理学者Daniel Kahneman博士と故Amos Tversky博士の交流を描いた評伝です。

Daniel Kahneman博士は2002年のノーベル経済学賞を「行動経済学と実験経済学という新研究分野の開拓への貢献」を理由として受賞しました。

Amos Tversky博士は2002年の段階ですでに他界していましたので受賞者とはなりませんでした。

 

プロスペクト理論 ヒューリスティクスとバイアス と Peak-end rule に引っかけた優れた書評に触発されてKindle版で読んでいます。

 


DeNA関連の某出来事に関連したtweetsです。

論文を含めた出版物は,「査読」を受けているかどうかの観点からしたらまちまちです。

製薬会社が発行している「雑誌」に掲載されている雑文のような論文()は査読されていない場合がほとんどです。編集段階で誤字脱字くらいは訂正されている場合はあると思いますが。

そのような場合,信念()を持って様々な主張をここぞとばかり展開する人もいます。逆にそういう雑誌だから気軽に自分の意見を書けるという側面もあり一概にそれを否定はできません。ブログのエントリーもその延長線上にあると思います。

教科書()も同じです。医学的な実証を経ていなばかりか,物理・化学・生物学法則から考えて明らかに誤りである事が堂々と記載されている場合もあり,それを無批判に受け入れる研修医もいるのです。

 なので専門家の監修()を受けた情報といっても一概に信用はできません。また実際の医療は個別性が高いです。厚生労働省が責任を持って提供している情報でも勝手な判断で自分に当てはめるのは危険です。

 

は New England Journal Medicineに掲載された以下の論文の解説記事です。

記事は論文の掲載の翌日に出たのですが内容が優れています。 日本の新聞でこれを求めるのは現時点では無理だと思います。


三四郎

NHKで12月9日に放送された シリーズ 深読み読書会「夏目漱石“三四郎”〜108年目のプロポーズ〜」 を録画していたものを昨日観ました。

 

シリーズ深読み読書会では前回は“犬神家の一族”が取り上げられていたのですが今回もとても楽しい番組となっていました。

 

鈴木杏,猪瀬直樹,島田雅彦,朝吹真理子,小倉千加子の5人が「三四郎」を深読みするのです。 今回は,「三四郎」を美禰子さんの婚活小説として読むというのが一応のお題でした。

 

美禰子さんが結婚するのは誰がふさわしいかを出演者が語り合うという趣向です。

 

もちろん小説では三四郎はあっさり振られ美禰子さんはあっさりと金縁メガネの帝大法科卒の男しかもよし子さんに一旦は振られた男と結婚するのです。

 

完全振られる場面を青空文庫から引用します。

「拝借した金です。ながながありがとう。返そう返そうと思って、ついおそくなった」 美禰子はちょっと三四郎の顔を見たが、そのまま逆らわずに、紙包みを受け取った。しかし手に持ったなり、しまわずにながめている。三四郎もそれをながめている。言葉が少しのあいだ切れた。やがて、美禰子が言った。 「あなた、御不自由じゃなくって」 「いいえ、このあいだからそのつもりで国から取り寄せておいたのだから、どうか取ってください」 「そう。じゃいただいておきましょう」 女は紙包みを懐へ入れた。その手を吾妻コートから出した時、白いハンケチを持っていた。鼻のところへあてて、三四郎を見ている。ハンケチをかぐ様子でもある。やがて、その手を不意に延ばした。ハンケチが三四郎の顔の前へ来た。鋭い香かおりがぷんとする。 「ヘリオトロープ」と女が静かに言った。三四郎は思わず顔をあとへ引いた。ヘリオトロープの罎びん。四丁目の夕暮。迷羊ストレイ・シープ。迷羊ストレイ・シープ。空には高い日が明らかにかかる。 「結婚なさるそうですね」 美禰子は白いハンケチを袂たもとへ落とした。 「御存じなの」と言いながら、二重瞼ふたえまぶたを細目にして、男の顔を見た。三四郎を遠くに置いて、かえって遠くにいるのを気づかいすぎた目つきである。そのくせ眉まゆだけははっきりおちついている。三四郎の舌が上顎うわあごへひっついてしまった。 女はややしばらく三四郎をながめたのち、聞きかねるほどのため息をかすかにもらした。やがて細い手を濃い眉の上に加えて言った。 「我はわが愆とがを知る。わが罪は常にわが前にあり」 聞き取れないくらいな声であった。それを三四郎は明らかに聞き取った。三四郎と美禰子はかようにして別れた。下宿へ帰ったら母からの電報が来ていた。あけて見ると、いつ立つとある。

番組中劇で美禰子さんは高橋マリ子さんが演じていました。 朝吹真理子さんがあんなに長く話しているのを始めて観ました。

番組の最後に漱石が鈴木三重吉に宛てた有名な手紙が流れていました。

これも青空文庫から部分的に引用しておきます。

漱石が大学を辞めて小説家として立つという決意を伝えた手紙です。

只一つ君に教訓したき事がある。是は僕から教へてもらつて决して損のない事である。

僕は小供のうちから青年になる迄世の中は結構なものと思つてゐた。旨いものが食へると思つてゐた。綺麗な着物がきられると思つてゐた。詩的に生活が出來てうつくしい細君がもてゝ。うつくしい家庭が〔出〕來ると思つてゐた。 もし出來なければどうかして得たいと思つてゐた。換言すれば是等の反對を出來る丈避け樣としてゐた。然る所世の中に居るうちはどこをどう避けてもそんな所はない。世の中は自己の想像とは全く正反對の現象でうづまつてゐる。 そこで吾人の世に立つ所はキタナイ者でも、不愉快なものでも、イやなものでも一切避けぬ否進んで其内へ飛び込まなければ何にも出來ぬといふ事である。

君の趣味から云ふとオイラン憂ひ式でつまり。自分のウツクシイと思ふ事ばかりかいて、それで文學者だと澄まして居る樣になりはせぬかと思ふ。

現實世界は無論さうはゆかぬ。文學世界も亦さう許りではゆくまい。かの俳句連虚子でも四方太でも此點に於ては丸で別世界の人間である。あんなの許りが文學者ではつまらない。といふて普通の小説家はあの通りである。

僕は一面に於て俳諧的文學に出入すると同時に一面に於て死ぬか生きるか、命のやりとりをする樣な維新の志士の如き烈しい精神で文學をやつて見たい。それでないと何だか難をすてゝ易につき劇を厭ふて閑に走る所謂腰拔文學者の樣な氣がしてならん。

命のやりとりをする樣な維新の志士の如き烈しい精神で文學をやつて見たい。それでないと何だか難をすてゝ易につき劇を厭ふて閑に走る所謂腰拔文學者の樣な氣がしてならん。

って格好いいですよね。

同時に,「君の趣味から云ふとオイラン憂ひ式でつまり。自分のウツクシイと思ふ事ばかりかいて、それで文學者だと澄まして居る樣になりはせぬかと思ふ。」にたぶんなっている自分がちょっと恥ずかしいという気もしました。


枕草子

とりわけ,「枕草子」は素晴らしく,橋本治氏の桃尻語訳「枕草子」を乗り越えたといってもいいのではないでしょうか。


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台風で家にいます

On 2014/8/10 日曜日, in hypoxia reseacrh, by bodyhacker

台風です。

関西では金曜日の夜から降り始めて土曜日の午前は大雨になっていました。 土曜日のお昼過ぎに突然晴れ上がりここだとばかり買い出しに出かけました。 途中猪名川の川縁を走るのですがこんな感じになっていました。

自分のフォトストリーム-503

あのくらいの雨でここまで増水するのですから四国はどんなになっているのでしょうか

という訳で、久しぶりに週末に家にいます。子どもが模試の監督にいくというので石橋まで出かけましたが結局模試は中止となったそうです。でも監督者の出欠をとっていて○をすると半日分と交通費がもらえるのだそうです。

本やら録画したテレビ番組やらを消化していました。

自分のフォトストリーム-505

NHKのEテレで 「戦後史証言プロジェクト」の一環で「日本人は何を目指してきたか」というサブシリーズが7月の上旬から放送されていました。

今回は

  • 第1回 湯川秀樹と武谷三男
  • 第2回 鶴見俊輔と「思想の科学」
  • 第3回 丸山眞男と政治学者たち
  • 第4回 司馬遼太郎

で一応完結ですがこの後4回の放送が予定されているそうです。

この番組を見て日本人は第二次世界大戦から以降何か学んだことがあったのかと少し暗い気持ちになりました。今日的な問題と思っていたものの多くは少なくとも第二次世界大戦後も何度も繰り返された問題だったのです。

ここで取り上げられている思想家とくに鶴見俊輔、丸山眞男は熱烈な信奉者がいると同時に苛烈な批判を加える人もいます。

丸山眞男は鶴見俊輔を批判したし、丸山眞男は全共闘運動への立ち位置から多くの批判を浴びました。 このような事実も番組で取り上げられていました。特に丸山眞男は「ここまでいわれますか」というくらいだったと思います。当然と言えば当然とも思いますがテレビでやられるとちょっとびっくりします。

特に丸山眞男の息子さんの証言は丸山の人間としての立ち位置を象徴するような貴重な証言だったと思います。

 

今回のシリーズ決定的な人物が欠けていました。 吉本隆明です。 おそらく次のシリーズには取り上げられると思います。

現在晶文社から全38巻の予定で全集が刊行されています。 特別のサイトもあって推薦の言葉が掲載さています。 読んで感動しました。

 

「才覚と機転」」というタイトルで鶴見俊輔が推薦文を書いています。

ネットで公開されているものですから鶴見俊輔の部分を全部引用してみます。

戦時下の体験を戦後もしっかりと持ち続ける。そこに吉本隆明の特色と力強さがあった。 戦後まもなく、学生だった吉本が「春の枯葉」の上演許可を求めて太宰治に会いに行ったのも、彼が太宰の中に同質のものを読み取っていたからだろう。自宅には不在で、教えられた行きつけの飲み屋に行くと、果たして太宰が居た。そこで上演許可をもらい、しばらく雑談をした。 戦時中に太宰の作品に出会い、その世界に引き込まれた私もまた、吉本と同じ頃、講演の依頼で二度ほど太宰のもとを訪れた。あいにく二度とも留守だったため、私はあきらめて帰った。運不運もあるが、その場で吉本のような才覚と機転を、私は持っていなかった。 吉本は自分の立つ場所というものを、当時からすでにしっかりと持っていた。太宰との出会いも、その中から生まれたものだったろう。

実際これはあります。 研究も結局は出会いだと思います。 そこに「才覚と機転」を見いだすのは評価する側の審美眼の問題だと思います。 大抵はそうはならずにはじめから関わっていた人は「運が良かった」程度にあしらわれて、はじめから自分たちがやってきたような顔をするエラい人がほとんどですけど。

人間的な、あまりに人間的な」というタイトルの見城徹氏の文章は特に感銘を受けました。 ぼくも「転位のための十篇」は時々読み返します。

吉本隆明も「擬制の終焉」で大々的な丸山眞男批判をしていました。晩年は「不謬ならざる法皇」ともいわれた事もあるはずで思想が同時代性を保つことの難しさを教えてくれます。

しかし、その吉本隆明もレトロスペクティブには間違っていたところもあります。

でも「彼は戦後の反体制運動のなかで扇動者の役割を果たしたり時局発言をしたりしたが、また大衆消費社会に迎合したとも言われたが、そしてオウム事件の時には麻原彰晃を擁護したり反原発運動に対立したりというフライングを犯したりもしたが、そういうふるまいの瑕疵はかれの業績を傷つけない」という指摘は正しいと思います。

擬制の終焉」の『「私」的利害』の問題などぼくの中でまったく克服できていない問題です。

「医療」にはヒューマニズムの実現という側面がありそこを強調する意見も根強くありますが「医療人」とても職業人です。おなじ事が科学にもいえます。「科学」には真理の探究という側面がありますが「科学者」は現在では職業人です。これが現時点での科学の孕む問題の多くの根源だと個人的には思っています。

 

実は吉本隆明の講演を録音したものが出ています。 ぼくは持っています。 iPhoneにいれてあるので時々電車で聞き直します。 すごいよ。

 

鶴見俊輔の番組の彼の言葉を紹介します。

真理は間違いから、逆にその方向を指定できる。こういう間違いを自分がした。その記憶が自分の中にはっきりある。こういう間違いがあって、こういう間違いがある。いまも間違いがあるだろう。その間違いは、いままでの間違い方からいってどういうものだろうかと推し量る。ゆっくり考えていけば、それがある方向を指している。それが真理の方向になる。

この部分は本になって出版されていますが本人があの真剣さで話すとすごい説得力でした。 (参照: 日本人は何を捨ててきたのか: 思想家・鶴見俊輔の肉声)

真理は方向性だ」という指摘は重要です。これをネタにして今度どこかで話し見たいと思いますが注文があるかどうかはわかりません。

敬称は省きました。

カメラロール-3333

金曜日の夜から本を何冊か読みました。

「絶対に受けたくない無駄な医療」もその一冊でした。

米国で展開されているChoosing Wiselyキャンペーンの内容を部分的に日本語でまとめて解説を加えたものです。

一般の人が読んでも今ひとつわかりにくいかも知れません。これだけを患者さんとその家族が読んでも混乱します。

費用対効果が低いという事と治療としての効果が無いとか低いという問題は不可分にむすびついていて取り分けて考える事ができにくい場合もあります。 本書でも書いてありますが医療制度の違いの問題もあります。

日本では患者の自己負担の割合が少ないのでCT検査も「しない」で済んだと思うより「してもらって安心」したいと思う人がほとんどだと思います。 医療行為のゴールをどこに設定するか、つまり疾患の治療に設定するのか患者の満足または幸せと設定するのかで医療従事者の行動は変わってきます。 ぼくは麻酔をする医者なのですが外科系の医者が手術すると言ってきた場合多くの場合適応を議論しません。言われたままに麻酔をする程度には「意識の低い」医者です。

そのような麻酔科医も米国ではChoosing Wiselyに参加していています。

以下の5項目がASA(american-society-of-anesthesiologists)の提案です。

  • 1 Don’t obtain baseline laboratory studies in patients without significant systemic disease (ASA I or II) undergoing low-risk surgery – specifically complete blood count, basic or comprehensive metabolic panel, coagulation studies when blood loss (or fluid shifts) is/are expected to be minimal.
  • 2 Don’t obtain baseline diagnostic cardiac testing (trans-thoracic/ esophageal echocardiography – TTE/TEE) or cardiac stress testing in asymptomatic stable patients with known cardiac disease (e.g., CAD, valvular disease) undergoing low or moderate risk non-cardiac surgery.
  • 3 Don’t use pulmonary artery catheters (PACs) routinely for cardiac surgery in patients with a low risk of hemodynamic complications (especially with the concomitant use of alternative diagnostic tools (e.g., TEE).
  • 4 Don’t administer packed red blood cells (PRBCs) in a young healthy patient without ongoing blood loss and hemoglobin of ≥ 6 g/dL unless symptomatic or hemodynamically unstable.
  • 5 Don’t routinely administer colloid (dextrans, hydroxylethyl starches, albumin) for volume resuscitation without appropriate indications.

日本では「普通の意識の高さ」の麻酔科医にでもほとんど考慮されていないのが現実ですね。というかこれを実践しようとしたら「変わり者」だと呼ばれると思います。

 

米国にAmerican College of Cardiology、American Heart Associationという組織があってこんなガイドラインを出しています。

2014 ACC/AHA Guideline on Perioperative Cardiovascular Evaluation and Management of Patients Undergoing Noncardiac Surgery: A Report of the American College of Cardiology/American Heart Association Task Force on Practice Guidelines

「特に意識の高くない」麻酔科医でも一応熟読して完全に理解しているだろうというガイドラインです。

今回改定されました。

ちょっと気になったのはAngiotensin II receptor blocker, Angiotensin-Converting Enzyme Inhibitorsの扱いです。これらの薬剤は「継続」すべきという勧告となっていました。

 

麻酔に関する部分を読んでちょっと暗い気持ちになりました。 少なくと周術期の心血管イベントの防止に麻酔ができる事はすごく限定的だという研究結果が淡々と述べられているのです。


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「キャパの十字架」がNHKで

少し前に雑誌文藝春秋に掲載された沢木耕太郎氏の「キャパの十字架」を紹介しました。(参照)

単行本化されるようです。(参照)早速予約しました。

2/3の日曜日にNHKでこれをテーマとしたドキュメンタリーが放送されるようです。

沢木耕太郎 推理ドキュメント 運命の一枚 ~”戦場”写真 最大の謎に挑む~

これは期待できます。沢木氏自身が例によって登場です。

問題は「観てから読むか,読んでから観るか」という事ですね。ぼくはもう読んでしまったのでどうしようもないのです。

比較するのはどうかと思いますが「イカ」よりおもしろいと思うのです。


Societyの成熟

体罰,暴行ってなんで今頃問題になっているんでしょう。日本の社会がある程度成熟してきたということなんでしょうか。それとも皆が何かをあげつらうような社会に日本がなりつつあるということなのでしょうか。

その割りにscientific societyはいまだに成熟度がいまいちなような気もします。

相変わらず論文はバンバンretractされるしだからといって何かが変わるでも無し。

再現性のない論文を平気で投稿する人がいると思えばそれを平気で採択してしまう雑誌がある。少なくとも自分たちのグループ内での再現性は必要最低限だと思いますけどね。そもそも他人にほとんど顧みられない論文だがらかそれはそれでよいのかな。確かに誰も追試しないのであれば「再現性」が問題になることはないですよね…

 


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