大学の教員をしているので授業をします。
臨床実習の相手ではなく教室で授業をするのです。といっても年間に6コマとか7コマで始まってしまえばあっという間に終わってしまいますけど。
フリートークをするのでは無く担当が決まっているので、過去の資産を使える場合はある程度準備の時間が節約できますが職場を変わったり退職された先生がいて引き継いだりすると「イチ」からということになります。
医学部の普通の授業というのは特別講義とかとセミナーはすこし趣がことなり事実を重要性の強弱をつけて学生に話していくことなので面白いとか面白くないとかとはすこし違うと思っています。
すでに確立していること、この一年で変わったことなどを調べるのでそれなりに時間が掛かります。
例えば”Anesthesia“というこの分野の一番大きな教科書がありますが該当部分は改訂の有る無しに関わらず一度は目を通します。今では電子化されていますので補遺が追加されていきます。それにも目を通します。
その他その分野の基本的な教科書にも目を通します。
有力なこの分野関連の雑誌を検索してこの一年に出版された総説などにも目を通します。
という訳で結構な時間が掛かりますがたぶんこれがぼくの本職なんです。
これを学生に全て話すわけではありません。そんなことをしていたら何が学生として重要なのかわからなくなってしましますし一コマでは納まらなくなってしまいます。
こうなるとこれは学生の為にやっているのか自分のためにやっているのかなんのためにやっているのかわからなくなってきます。
少なくとも自分は物知りになる事だけは確かですが…
基礎研究の場合でもこのようなことは行っています。毎週決まった曜日に論文の検索を行って必要があれば読み込むという作業です。 論文や総説としてまとめる場合にはその作業の密度を上げることになります。 10000語の総説だと最低でも200篇の論文に目を通したりするのでこれはしんどいです。いまこんな作業をしていてこれが終わるまではぼくの夏はやってこない、というほど深刻な状況に追い込まれています。今も作業中なのですがストレスに耐えきれずにこんな駄文を書いて気晴らしにしているのです。
しかしこのような作業は自分のオリジナルな研究の推進にはそうそう大きな役割を果たしません。 過去20年以上の自分の研究歴を振り返っても文献検索が自分の研究を飛躍的に進めたという体験はありません。物知りになってどうするのだとは思うのですが、しかし、どうしてもこの作業は必要だとは思います。
雑誌 “Science”に”Just think: The challenges of the disengaged mind“というタイトルの論文が出ていました。
大学生を対象にした心理学的な実験をまとめたものです。
被検者は何の飾りもない部屋(unadore room)に椅子が置いてありそこに6分から15分ほど座ります(thinking periods)。携帯電話とかその他の持ち物は全て取り上げられています。
ここで課題を出されます。” think about whatever they wanted”と言う課題、他方は”chose from several prompts, such as going out to eat or playing a sport, and planned out how they would think about it”と言う課題です。
その後その体験を”enjoy”したかどうかの質問をされると両課題とも被検者の約50%はそうでなかったと答えました。 57.5%の被検者は集中できなかった、また89.0%は散漫な気持ちがしたいう答えをしました。 同じ検討を被検者の自宅で行っても結果には変わりがありません。 つまりunadore roomでという特殊な状況故ではないというわけです。ちなみに家での場合、立ったり何かしたりととかズルしちゃう被検者がいたそうです。
多くの被検者は”just thinking”という状況をenjoyできなかったという結論です。
次に面白い検討を行います。 痴漢撃退の時に電気ショックを与えるdeviceを使う場合があります。不快な体験で被検者にとって$5払ってでもこれを避けたいと思うような刺激となります。しかし、ここが面白いのですが、”thinking time”にボタンを押すとこの不快な刺激が与えられるという条件下で、67%の男性(女性は25%)はこの不快な刺激を受けるためにボタンを押したという結果が得られたのです。 つまり”pain or boredom”の選択で”pain”を選択する人がいたということです。
Wilson intends to pursue ways to tame what he calls “the disengaged mind”. “There are lots of times in our daily lives, when we have a little bit of time out, or are stuck in traffic or trying to get to sleep,” says Wilson. “Having this as a tool in our mental toolbox as a way to retreat or reduce stress would be a useful thing to do.”
こんなことが書かれていました。
自分に引きつけて考えてみても納得できるような話です。 麻酔中の患者さんの経過というのは一様ではありませんが、体表面の手術で経過が完全に凪ぎという場合もあります。ぼくらは様々なモニタとか手術の進行に注意を払っていることになっているのですがいくら集中しようと思っても何も起きないで内的には“the disengaged mind”となることがあります。こんな時にどうしてやり過ごすかとか考えると面白いと思いました。今度同僚や研修医くん・さんと話してみようと思います。
國分功一郎さんに「暇と退屈の倫理学」著作がありますが、これは「暇と退屈の心理学」ですね。
PNASに”Multiple types of motives don’t multiply the motivation of West Point cadets“という論文がありました。時間がないので後に何か書いて見ようと思います。
当直でした。
19時には終わり夕ご飯を食べてシャワーを浴びたらあり得ないくらいに眠くなったので寝たらいつものように5時に起きました。7時間も寝ていたことになります。連続してこんな長時間寝たのは数ヶ月ぶりです。
という訳で朝からいろんなことをしていたら今日どうしてもしなくてはいけないことが全て消化できてしまいました。
某案件は催促されるまでしないことにしてすごく解放された気持ちになっています。
これからも仕事はどんどん断ります。
雑誌New Yorkerに心理学者のMARIA KONNIKOVAがエッセーを書いていました。
タイトルは「I DON’T WANT TO BE RIGHT」、副題は「Why Do People Persist in Believing Things That Just Aren’t True?」です。
麻疹(measles)、おたふくかぜ(mumps)、風疹(rubella)の予防のためにMMRワクチンを接種しますがこのワクチン接種が児に自閉症様の症状を引き起こす可能性を指摘した論文がLancet誌に掲載されたりしてーこの論文は後にretractされましたーMMRワクチンの接種に否定的な考えが流布したことがありました。 現在では、MMRワクチン接種と自閉症の発症の関係は医学的には否定されたとのコンセンサスがあるとの考え方が少なくとも医者の間では支配的です。 (参照1, 参照2)
これを背景にしたエッセーです。
最近Pediatrics誌に”Effective Messages in Vaccine Promotion: A Randomized Trial“という論文が掲載されました。
- 米国CDCによる、MMRワクチンと自閉症の関連には証拠がないという説明を要約したもの(CDCと明示されていない)
- 麻疹、おたふくかぜ、風疹に罹患した場合の疾患の症候や危険性について書かれた情報(CDCの文書と同等のもの)
- CDCが発行しているものを元にした、麻疹で死にかけた幼児のドラマティックな記述
- MMRに罹患した子供たちとその親を含んだ「疾患イメージ」
- 健康と無関係な文書を読んだ対照群(鳥の餌付けのコストと利点について)
の5パターンの文書を1759人の親に提示してワクチン接種を自分の子供に受けさせるかどうかの意志について文書提示の前後で調べたという論文で、結果は上記のどの文書も親の考えに影響を与えなかったというものです。
もっと興味深いのは、1の「正しい」記述を提示された群では、反ってワクチン接種への指向性が下がりまたワクチン接種と自閉症の関連あると信じやすくなったという結果です。backfire effectと言うのだそうです。
“I DON’T WANT TO BE RIGHT”という訳です。
低線量の放射線の健康に対する影響もこんな状況になっています。
「科学的」「医学的」に「正しい」とその人が思っている言説を「声高に」叫ぶことは反って間違った行動を人々に引き起こす可能性があります。
学会でもホントかうそかわからないようなちょっと怪しいことを熱心に何度も主張する人がいて反ってなんか胡散臭く感じる時があります。
文献を整理しておきます。 pubmedに収録された論文は適切な購読権がないと全文を読めない場合もあります。
“I DON’T WANT TO BE RIGHT” New Yorker
How the case against the MMR vaccine was fixed. BMJ
Effective Messages in Vaccine Promotion: A Randomized Trial. Pediatrics
雑誌ScienceのやっているサイトにAdam Ruben氏が”Experimental Error“というブログを書いています。
今回は “Forgive Me, Scientists, for I Have Sinned“
There are some things I need to confess. This isn’t easy to say, but after working as a real scientist with a Ph.D. for 6 years, I feel it’s finally time to come clean: Sometimes I don’t feel like a real scientist. Besides the fact that I do science every day, I don’t conform to the image—my image—of what a scientist is and how we should think and behave. Here’s what I mean:
いくつか引用してみます。
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I don’t sit at home reading journals on the weekend.
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I have skipped talks at scientific conferences for social purposes.
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When someone describes research as “exciting,” I often don’t agree. Interesting, maybe, but it’s a big jump from interest to excitement.
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Sometimes I see sunshine on the lawn outside the lab window and realize that I’d rather be outside in the sun.
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I have never fabricated data or intentionally misled, but I have endeavored to present data more compellingly rather than more accurately.
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I have pretended to know what I’m talking about.
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When a visiting scientist gives a colloquium, more often than not I don’t understand what he or she is saying. This even happens sometimes with research I really should be familiar with.
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I have performed research I didn’t think was important.
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I allow the Internet to distract me.
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I have read multiple Michael Crichton novels.
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I have taught facts and techniques to students that I only myself learned the day before.
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I find science difficult.
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I am afraid that people will read this confession and angrily oust me from science, which I love.
科学者はこうあるべきだとかどうとか最近声高に言う人がいてちょっと良くない傾向だと思っています。
鬼塚ちひろさんの曲に”We can go”というのがあって
吐き気に潰れてゆく中で柔らかな手に触れる どうか完全なものたちがそこら中にあふれないように We can go to the place, where we are forgiven
とうたっているのですが、もう10数年来のぼくのテーマソングなんです。
Ruben氏はこんな本も出しています。
Kindle版もあります。どうぞ。
今日からNHKで「シャーロック」が始まります。 息子はもう全部観たのだそうでけどぼくは吹き替えでないと解らないので…
MARIA KONNIKOVAにはこんな著作があります。
Naure Medicineに”The mathematician versus the malignancy”という記事が出ていました。
数理生物学が医学研究に果たす利点について解説したものです。こういう記事を見るー読むではないーとオボちゃんもうかうかしてられません。世界基準の美人研究者にならんとね。
金曜日に続いて日当直しています。
土曜日の朝に共同研究をしているH田さんが来てくれて3時間ほどいろんなことを話せて良かったです。 午後からはtaroが来て某講演会の作戦会議でした。うまくいくことを祈っています。
久々のエントリーです。
「原発事故と科学的方法」という本を読みました。
著者の牧野淳一郎さんという方は現在は東工大で理論天文学、恒星系力学、並列計算機アーキテクチャーを研究している人で原子力関連の専門研究者ではありません。
3.11の地震による原発事故について政府、東京電力から提供される「公式発表」に疑問を感じて公表されたデータと「高校の物理でならう程度」の知識でできる計算を自分で行って原発から放出されてしまった放射性物質の量が膨大であることに気付いた、その後のことを個人的な日記などの記録から淡々と記録して「科学的な方法」「科学者の態度」について考察した本です。
岩波書店の雑誌「科学」に連載していた「3.11以後の科学リテラシー」というタイトルの文章の内容を一般向けにtwitterやウェブサイトに筆者が書いたものと一緒に再構成することでまとめて出版された本で本の帯によれば原発再稼働と健康被害推定をめぐる「実践的な思考の書」ということです。
岩波書店は「科学」という名前の月刊誌を発行しています。 東北の地震と続発する原発事故つまり3.11の後にはこれに関連した放射線・エネルギー問題が特集として取り上げられることが多くなっていると思います。 一種の「科学」の「世界」化ですね。さらに 科学者と社会の関わりに力点を置いた数多くの書籍が岩波書店から出版されてもいます。
などはその例です。
「科学」の最新号は11月号ですが 特集は「“科学的”とは何か」です。
特集の論文のタイトルを列挙してみます。
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「想定外」にみる科学主義の虚偽──地に墜ちた日本国家の信頼と倫理……松原望
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医学情報の科学的条件──100mSvをめぐる言説の誤解を解く……津田敏秀
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「科学的」であることを市民の側から考えるために──東京電力原発事故と被曝をめぐる「科学」的言説をめぐって……影浦峡
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シミュレーションと予測の使われ方──福島原発事故をめぐって……牧野淳一郎
[規制と科学]
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放射線とベンゼンを例にみる規制と科学観──社会的受忍レベルの裂け目……神里達博
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リスク評価に“中立”はあるか──森永ヒ素粉乳中毒事件にみる文脈依存性……中島貴子
[科学と社会の諸相]
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論理学とサイエンス・コミュニケーションの補完……村上祐子
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科学という眼鏡……有田正規
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科学的である,という難事……岩田健太郎
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「原発と活断層」をめぐる「科学」の扱い……鈴木康弘
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福島第一原子力発電所から海洋への放射能流出の現状……神田穣太
いろんな人が俎上に上げられ批判されます。
以前紹介した医学と仮説――原因と結果の科学を考えるの著者である津田さんによって東京大学病院の中川恵一医師がばっさりと斬られます。 原子炉事故後積極的に発言されてされていましたが「医学情報の科学的条件──100mSvをめぐる言説の誤解を解く」では曰く「目覆いたくなる日本の医学者」の一人として「データを科学的に論じる能力に欠けた医者」として批判されています。 ちなみに中川医師は牧野さんにも「原発事故と科学的方法」で批判を受けています。要するに「科学的」でないというわけです。
それでは「科学的」とは何かまたはどういうことかという事が問題になるわけですがこれを明確に定義することはできないので結局は歯切れの悪い議論となりなり[科学と社会の諸相]というようなアプローチとなるわけです。
しかし「科学の科学性を担保するのが誠実にして謙虚な弁証法だ」という言説には同意はできないしそもそも何のことを言っているのかぼくには解りません。
科学雑誌”Nature“で科学者やその業績をどのように評価するかについての議論が特集として取り上げられました。
IMPACT:THE SEARCH FOR THE SCIENCE THAT MATTERS という特集です。
“The maze of impact metrics” はこの号のeditorialで問題が要領よくまとめられています
“Research assessments: Judgement day” 研究機関の評価のあり方に力点をおいたものです
“Science publishing: The golden club “ CNSとまとめられるCell, Nature, Scieceなどに論文を載せている研究者はそれだけで「すごい」と世間的には思われていろんな「得」をするのですが最近はその神通力が効きにくくなっているかもというお話です。
“Publishing: Open citations”, “Referencing: The reuse factor” この2つはちょっと短めのコメントです。
“Who is the best scientist of them all?”は ちょっと面白い読みものです。
Google Scholarの統計に基づくと歴代の研究者の中でh-indexの順番は 一位:S Freud:282 二位: E Witten: 243 三位: WC Willet: 220 だということです。 生物学に限ればM Friedman: 193, SH Snyder: 176, B Vogenstein: 167 となっています。
研究領域が異なるとh indexを直接比較することが適切でないというか場合があるというか比較できないのですがそれをどう補正するとよいのかという研究も紹介されています。
その領域の研究者のh-indexの平均で個々の研究者のh-indexを割った値をhs indexとして使うとよいのだそうです。(Universality of scholarly impact metrics)
この補正を加えると歴代のhs indexの一位はあのKarl Marxとなるのだそうです。
インディアナ大学の研究チームが作った Scholarometerというツールが紹介されています。これはGoogle Scholarのデータを使って研究者の名前と研究分野を入力するとh-indexを計算してくれるアルゴリズムです。
例えばShinya Yamanaka: 64(biology)と出てきます。
Gregg Semenza:125(biology)です。 これの面白いのは共著者の順番も出てくることです。
K HirotaはGregg Semenzaの共著者のランキングの二番目で15です。ちなみに一位はH Zangの17です。ぼくはGLSの共同研究者の二番目にランクされるというわけです-あくまで論文数ですけど-。
それではお前はどうなんだということで、Kiichi Hirota:40(Biology)でぼくの共著者ランキングはS Takabushi:18, K Fukuda:15, T Tanaka:13となっています。
全国の某診療科の教授のh indexランキングも作ることが可能ですね。だれか学会で発表したらどうでしょうか? この道具を使えば簡単ですよ。 例えばKazuhiko Fukuda:38(biology)で共著者のランキングはK Hirota:29, G Shirakami:22となります。 ぼくって福田先生とこんなに共著論文があったんですね。最大の共同研究者です。まあそうだと思っていたのですが実際にそうでした。
その他も10人ほど調べましたが差し障りがあるので公表しません。自分で調べてください。
名前がありふれている人は検索結果が全てその人のものとは限りません。 またGoogle Schalorから漏れている業績は検索に掛かりません。
日本語の特に製薬会社の出しているPR誌の「論文」や出版社から出ていても査読などのない「論文」-それを論文と呼ぶのかどうかわかりませんが-は検索から漏れています。 これはもちろんぼくの責任ではありません。
h indexは個人の業績を出版された論文などをもとに解析したものですが最近はAltmetricsという名前で呼ばれる手法も取り入れられています。
alternative metricsから作られた造語だということです。
ソーシャルメディア等における研究成果への反応をリアルタイムで収集し、そのインパクトを論文単位で定量的に表示する新しい研究評価指標とのことです。(参照)
PLoS Oneもこんなページを作っています。
評価の指標が単一でないことはよいことだと思います。
一方”Science”では”Communication in Science: Pressures and Predators“という特集を組んでいました。
今大流行のOpen Journal、peer review、大勢の人間を一カ所に集めて行う「学会」の問題点などを議論しています。
“Scientific Discourse: Buckling at the Seams”
“Improving Scientific Communication”
“The Seer of Science Publishing”
“The Power of Negative Thinking”
“Hey, You’ve Got to Hide Your Work Away”
“The Annual Meeting: Improving What Isn’t Broken”
“Who’s Afraid of Peer Review?”
査読のいい加減さがあばかれています。神戸市にある某国立大学の発行している医学雑誌も相当なもののようです。
“What’s Lost When a Meeting Goes Virtual Meetings”
“That Flatter, but May Not Deliver”
“Public Science 2.0—Back to the Future”
“The Power of Negative Thinking”、“Who’s Afraid of Peer Review?”、“Public Science 2.0—Back to the Future”は一読をお勧めします。