昨日は日当直でした。電話は何本もかかってきたのですが「出動」要請はなく平和な24時間を過ごしました。

雑用とは呼べない重要な仕事が山積みでいくらやってもOmniFocusのlistが減りません。 ここしばらく実験にうつつを抜かしていた「つけ」がまわっているともいえます。

少し前にNHKで病院内のコンビニを72時間定点観測するという番組が放送されました。(ドキュメント72時間「大病院の小さなコンビニ」)

最近では院内にコンビニがある病院は珍しくなく前の職場でも、前に通っていた兵庫県北部の病院でもチェーン展開をしているコンビニが営業していました。7時から22時までが営業時間という場合が多く24時間営業は経験したことがありませんでした。

でも昨年の4月に今の職場に移ったのですがコンビニは24時間営業です。3時(15時ではありません、念の為)くらいでも誰かいたりするのでびっくりというか味わい深いものがあります。

番組自体は作りすぎの感がありました。普通、もっと淡々としていますよ大病院のコンビニは。


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鷲田清一さんの「哲学の使い方」を読みました。

感動的です。 岩波新書の王道を堂々とゆく一冊。

同じ岩波新書の一冊である「知の旅への誘い」を読んだときと同じ種類の感動を味わいました。

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@biochemfanさんのブログエントリー「私が実験科学から脱落した3つの生物学的要因」を読みました。

実験が大好きだった@biochemfanさんがなぜ諸事情で実験を主体とした研究活動から挫折したかを自分語りで説明したエントリーとなっています。

とても他人事とは思えなかったのでちょっとこの件で書いてみます。 (以下、「だ」・「である」調になります)


「3つの生物学的要因」とは

  1. 実験が不安でたまらない
  2. 不注意な自分が信用できない
  3. 予定変更が辛い

の事だ。

個々の要因ごとにその意味合いが記述されている。 個人的な事情や想いを差し引いても”wet”な研究に研究の初期からぼくも感じていたことだ。

 

1. 成功体験で克服したつもり

実験を始めて最初の5年特にはじめの3年はすごくつらかった。研究室はいわゆる「名物ラボ」だったがそれは大きな問題ではなく、要因1と要因2が主原因。

いつもうまくいかずに翌日も実験するのが怖い、何かデータが出てもこれが正しいということに確信が持てないという事がずっと続いた。

麻酔科から基礎教室にお世話になっていたのだがいつ麻酔科に逃げて帰ろうかというような事ばかり考えていた。

結局何か踏ん切りがつかずにまるまる4年いてその後麻酔科に「回収して」もらった。 すでに妻子もあり自分勝手はできないなどと殊勝なことを考えたという事もあったし、麻酔科の教授からは破門されていていて今さらという気もあった。

とにかくはじめの3年を乗り越えて何とか気が楽になった。昔でいう研究班会議などにも出席させてもらい当時の分子生物学・細胞生物学の一流どころとか一流ラボの若い衆と話していく過程で何とか続けてゆく事ができた。 あれはわざとそうしたのだと思うのだが、部屋が一緒で川の字になって結構偉い先生方と寝たりもした。なんぼなんでもそういう状況ではいろいろと話してくれるわけです。皆さんそこそこ苦労していたのだ。 このブログで何度か書いているが初めての論文は難産の結果出てその結果、はじめの5年のつらさをまさに一種の「成功体験で克服」したつもりになった。そこが@biochem_fanさんとの違いだろうか。

結局、そんな感じで、その後の5年位を突っ走った。 自分たちが出した結果がそのまま受け入れられるような研究分野に携わったっていたので10篇分くらいはsubstantialなrevisionなどしなくとも論文が受け入れられたので幸せだった。

最初の5年での小さな成功体験よりよい大きな成功体験を次の5年で得てしまいそれでで泥沼にはまっていったともいえる。

結局その後は自分であんまり実験をしなくなったのでwet特有の要素に自分自身が余り苦しむことはなくなった。


だから、私は robust (頑強)でない実験系は嫌いである。

例えば、DNA ワークを考えてみよう。50 ul の系で DNA を制限酵素処理するとして、制限酵素を 1 ul 入れるべきところ、ピペット操作の不手際や勘違いで 2 uL 入れたとしても、まあ大抵は大丈夫。FSEC (蛍光ゲルろ過クロマトグラフィー)によって蛋白質の安定性を評価するのも、見るのは void peak とモノのピークの相対的な高さの違いだから、全体量がズレても害はない。一方、定量的実験、たとえば放射性同位元素を使った基質結合アッセイで、サンプルを 1 uL 入れるべきところに 2 uL 入れたら、結果が 2 倍変わってしまう。こういうのはダメだ。私は自分の目も指先も信用していない。もちろん、サンプルを希釈して大容量の系で実験することで誤差を減らすといった工夫が可能な場合もあるが、そうでない系も多い。

ここら辺の感覚はぼくも同感。いまでも”robust”でない実験系は本能的に避けているというかそれだけで実験系を作ってそれで押していきたいと常々思っている。

その結果、論文を投稿してもああだこうだといわれるのだがこれはこれで仕方ない。 ある意味自分のやりたいようにやっているのだからそれでいいのである。


2.バカで「dry」にいけない

ぼくが院生としてもがいていた時代は「wet」「dry」みたいな区別もなく医学系の大学院の研究というのは「wet」しかなかった。

当時もし「dry」が選択肢としてあったとしても多分のぼくの頭の「悪さ」ではついていけなかっただろうと思う。

頭の「悪さ」ということ自体少し強迫観念的な言い方というか思いかたで他人は「おまえの頭が悪いということはないのでは」と思われるかもしれないがとにかくぼくには「基礎能力が決定的に自分には欠けていると」いう想いがずっとある。今風にいうなら「地頭」が悪いと自分では思っているのである。

これはたぶんぼくの知的履歴と関係している。なにせ高校の2年くらいまでは「頭を使う」ということをしてこなかったのですごく重大な欠落を自分は抱えていると思っているのだ。田舎の公立の小中高で成績を残す為に頭を使う必要などまったくない。教科書を何回か読めばほとんど書いてあることはほとんど暗記できるのだから。ぼくの通った小学校は宿題はないし家に教科書を持って帰ることが禁じられていた。友達と暗くなるまで遊んで帰宅してテレビを見て図書館の本を読むくらいしかない。中学生になって友人と遊ぶのが部活動になっただけだ。高校の入学試験の2週間前まで距離スキーを続けさせられた。お前が入学試験に落ちるわけはないからという理由である。

とにかく頭を鍛えるという過程なしに育ってしまった、という想いから自由になることがいまだにできない。

灘中学の入学試験の算数の入学試験を解いてみたことがあるのだがすごく時間がかかった。塾の回答をみるとまるで解法が違う。都会の賢い小学生はもっとクールに解くのだと悟った。

こんなことに気付いたのは大学に入ってからだ。

なので「dry」はぼくには無理。

 

 

凡そものが解らないという程不思議な事実はない、ともいえるのだ。つまり解らないことにも「程」がある。

このような「バカ」の自覚はぼくがなぜ麻酔科の医者をやっているのかと自分の頭の中では深い関係があるのだがこれについてここで詳述する時間がないので今日はこれでお終い。


以上ブログエントリーをきっかけに研究人生を「哲学」(物事をすこし深く考えるという意味)してみた。息苦しさを抱えたこの時代に、基礎研究生活に、人生において哲学をどう「使う」かですよ重要なのは。

@biochem_fanさんはたぶんぼくと同窓だ。 臨床実習とかで一度くらい話した事があるかもしれないしもしかしたらぼくの授業を聴いたことがあるかもという微妙な世代差です。機会があれば一度話してみたい気もする。

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